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殿上人日記

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2019年02月07日
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テーマ:海外旅行(7025)
カテゴリ:旅のいろいろ


​中国の上海に出かけた​と伝えた前の日記で
食事とかホテルの心配以上に、大気汚染が
あるから、中国行きを躊躇するというのが
ありました。実際に春節で日本に来ている
中国人の中には「シーフェイ(洗肺)」が
目的みたいです




煖房などに石炭を使う冬季から春季にかけ
PM2.5の濃度が大きく上昇する傾向もある
中国から、空気が美味しい日本の田舎へと
いう事で格安航空の乗り入れている佐賀が
人気観光地の一つなんだとか




「中国の大気汚染:リアルタイム」

私も中国に渡航するにあたって、↑中国の
大気汚染リアルマップなるものも探して
見たりしました。日本や韓国も表示がされ
ますので、お住まいの地域もご覧下さい
うちは田舎なので、ド安心の緑色でした




一週間予報もチェックすると、私が行く
土~月は、平日に比べて工場など操業の
ない週末なので汚染度が低い! しかも
春節が始まる前に帰省している人がおり
上海の車の数も普段より少ないそうだし




なにより中国の他の地域(北部、西部)に
比べて上海などの南部は、汚染度が低めの
ようだ。前回の3日目の写真がどんよりと
してたのは単に悪天候なだけで、上海でも
青空も見えて、特に大気汚染は感じません
でした




さてさて上海の旅行、初日の午後の部です
アヘン戦争以降に、淮海中路を中心にして
フランス租界が出来て、居留地に残された
当時の洋館(老房子)は、リノベーションが
されて数億円で売買がされているそうです




芸能人などもこういった洋館に住んでいたり
するようですよ。今回はそんな高級住宅街の
「思南路」へとやってきました。個人宅の他
にも、こじゃれたお店もあって右側の洋館は
スターバックスです




ここへとやってきた目的は「周公館」でして
1972年に田中角栄首相と、日中正常化の
調印をした周恩来が一時期、住んでいたいた
邸宅だそうで、中に入らず家の前でガイドの
話を聞きました。ウィキペディアによると




>周恩来(しゅうおんらい、1898年3月5日 ~
>1976年1月8日)は中国の政治家。字は翔宇。
>中華人民共和国が建国された1949年10月1日
>以来、死去するまで一貫して政務院総理・
>国務院総理(首相)を務めた。毛沢東共産党
>主席の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚
>しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり
>小法師)の異名がある。




>南開中学卒業後の1917年に、日本に留学。
>日本では勉学に励む他、友人と活発に交流
>して祖国の将来について語り合っている。
>(中略)日本社会や日本人についてもよく
>観察しており、これが知日派としてのベースを
>つくった。




>周の誠実な人柄と、自ら権力を欲しない
>謙虚な態度と中国革命への献身は、中華
>人民共和国の民衆から深い敬愛を集めて
>いた。また、その人柄からニクソンや
>キッシンジャー、田中角栄など、諸外国の
>指導者層からも信頼が厚かった。




といった方で、学生の頃に京都嵐山に
寄った際の詩「雨中嵐山」は、周恩来
記念碑となり残されている。この街路樹
だけどプラタナスの樹だそうだ




近くには「上海孫中山故居記念館」があり
こちらは歩きながら門の外からありますよ
程度で素通りをしたけど、孫中山(孫文)が
住んでいた邸宅です。中国や台湾では
孫文よりも「孫中山」が一般的であるそうだ




この中山であるが日本に亡命していた頃に
近くに住んでいた中山孝麿侯爵邸の表札の
中山が気に入って、孫中山と名乗るように
なったそうだ。犬養毅には「明治維新は
中国革命の第一歩であり、中国革命は明治
維新の第二歩である」と語ったんだとか




ウィキペディアによれば
>孫文(そんぶん、1866年11月12日(清
>同治5年10月初6日)~1925年(民国14年)
>3月12日)は、中国の国父・政治家・革命家。
>初代中華民国臨時大総統。中国国民党
>総理。「中国革命の父」




>中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。
>また、中国でも「近代革命先行者(近代革命の
>先人)」として、近年「国父」と呼ばれる
>現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。




>中国国民党では現在も、孫文は「党総理」で
>あると党則第15章で定めている。春秋時代の
>孫子および三国時代の呉の孫権の末裔と
>伝わる。




フランス軍駐屯地だったのが、1907年に
公園として解放され、当時はフランス公園と
いって毎年、パリ祭りも開かれていた。後に
中国人にも開放され、今は復興公園といい
地元の人がのんびりと寛いでいた




ここには「マルクスとエンゲルスの石像」が
あった。ウキペディアによりますと

>カール・ハインリヒ・マルクス(1818年
>5月5日~1883年3月14日)は、ドイツ・
>プロイセン王国出身の哲学者、思想家、
>経済学者、革命家。




>フリードリヒ・エンゲルスの協力を得ながら、
>包括的な世界観および革命思想として科学的
>社会主義(マルクス主義)を打ちたて、資本
>主義の高度な発展により共産主義社会が
>到来する必然性を説いた。




フリードリヒ・エンゲルスの方は
>マルクスを公私にわたり支え、世界の労働
>運動、革命運動、共産主義運動の発展に
>指導的な役割を果たした。




との事だ。復興公園からバスでやってきた
のは「田子坊」という若い子たちに人気の
エリアだ。日本でいう原宿のような所か?




ガイドさんが、若い子には良いかもしれ
ないが皆さんが買うものはないですよと
言ってたが、よく年配者向けのツアーの
行程に入れたもんだ




ただ私の方は娘と一緒だったので、今回の
行程を見て、田子坊とかが逆に入っていて
娘が喜ぶと思ったので嬉しかったが。寺や
庭園ばかりでは、娘もつまらないだろうし
入り口の分かりやすい場所で解散して
集合時間までフリータイム




こうゆうのが一番有難い。今回は参加
人数も少ないので集合時間にも遅れる
人もおらず、時間通りに出発が出来た
あまり時間がとられていなかったので
迷路のような狭い道を右へ左へと早足で




若い女の子たちでいっぱいの、かわいい
お店はガイドブックにも紹介してあった
紅茶の専門店「兔子威廉的英式茶屋」で
幾つも試飲ができたので、私もお土産に
フレーバーティーを一缶、購入をした
価格は日本と同じくらいと感じた




円と中国の元の為替レートは、16円台で
セントレアで交換したのは、手数料込みで
18円弱。14000円ちょいで800元に
交換した。中国の空港は手数料が高いので
要注意。よく見かけるようなキャラクターの
ような




ウィキペディアによりますと
>狭く迷路のような路地に様々なアート
>ショップや外国料理店、ブティックや
>小物店などが密集している。外国人
>観光客も多く、レストランは中国料理
>以外の各国料理店も多い。店のオーナーも
>外国人が多く、日本人が経営する店も
>存在する。




>現在は豫園や新天地に次ぐ上海の
>観光ショッピングエリアとなっているが
>大資本が街を完全に改造した新天地と
>異なり、田子坊は住宅だった場所に
>自然発生的に店が増えて現在の姿に
>なっているのが最大の相違点である。




>元々は画家・彫刻家の陳逸飛が1999年に
>アトリエを開いたのがショッピングエリア
>としての田子坊の始まりとされる。それを
>機に他の芸術家も当地にアトリエを次々と
>開き、それらを訪れる人々目当てに店舗
>レストラン・バーなどが増えていった。




>未開発の路地(里弄)がそのままショッピング
>エリアとなったために、迷路のように店舗群が
>入り組み、探検気分の味わえるエリアでもある。
>また、エリアは今でも拡大しつつある。現在でも
>店舗に隣接して住宅が混在し、泰康路に面して
>古いスタイルの市場が残るなど、一般市民の
>生活が垣間見える地域でもある。




全部を回れないうちに、集合時間が近づいて
きたので、そろそろ退散する事にするけど
こうゆう街などを、ゆっくりまわる為には
パッケージツアーじゃ無理だろうなぁ




上海なら次回はフリータイムツアーでも行け
そうだし行ってもみたい。孫中山記念館の
中も見学してみたいし。上を観たり、下を
向いたりと、大忙しな街歩きだったけど
なかなか楽しかった




集合場所はスターバックス。娘がメニュー
見てきたが、日本の価格より高いようだ
帰りの空港でも、色んなお店のコーヒーが
どこも高いので手が出なかった




浦東のように高層ビルもニョキニョキと
雨後の竹の子のように建ち並んだ上海も
思南路の老房子や、ここ田子坊のように
古い建物もリノベーションをして、新たに
命を吹き込んでいるのが印象的だった




初日は実はもう一つ、観光をしている
のだけど構成上、後にしたので夕食を
紹介をしますね。温かな料理が次々と
足されまして




北京ダックです。円卓では8名だったので
一人あたり2切れなのですが、年齢が高めの
方ばかりなので、いつも残りまして




残ったものは、いつも若い子が沢山食べて
と、娘にすすめてくれるので、娘の体重は
2キロ近く増えてたそうで・・・・恐るべし




食事を終えて外に出ると、周囲は暗く
なってまして。午後6時近くに食事を
始めたが、日本時間と1時間の時差が
あるので体内時計的には午後7時近く
丁度よかった




そんなに早くに夕食をとるのは、この後
1日目は上海雑技団で、2日目はナイト
クルーズのオプショナルツアーが予定を
されているので。お安い旅行である理由
下請けの現地ツアー会社やガイドの儲けは
26800円の旅行代金本体よりも




こういったオプショナルツアー参加費とか
お買い物のキックマージンから儲けを得る
事が多いようだ。ガイドさんは熱心に上海
雑技とか、淡水真珠の素晴らしさを語るの
だった。私は日本で上海雑技も京劇も
変面も見たしなぁ




何気に変面はもう一度、間近で見てみたい
とは思う。娘が雑技は興味がないというし
他に目的もあるので、うちは参加はせずに
他の二組と共にホテルに先にチェックインを
する事になった




今回のお泊りは、デラックスホテルとの触れ
込みで「上海虹口三至喜来登酒店」を連泊で
日本語に訳すとシェラトン上海虹口ホテルです
ホテルは酒店といいます。この写真は翌朝の
観光出発時にバス車窓から撮りました




団体用に、かなり安い価格で出されていると
思われるので下層階ですが、お部屋のつくりは
スタンダードでしょうし、朝食ブッフェは一般
宿泊者と一緒なので、お得はお得なのでしょう
日本でも個人で泊まるとお高い旅館も、団体
ツアーなども普通に使ってたりしますしね




大きなテレビでNHKの国際放送も観る
事が出来たのでまんぷくもタイムリーで
見れました。外資系ホテルの特徴でも
ある、分厚いバスローブも用意をされて
いました




風呂場がスケルトン~。ボタンで隠す事も
出来ます。バスタブの排水方法がわからず
他の参加者の奥さんに、バスタブ底の蓋を
強く踏むと、排水すると教えて貰ったけど
入浴中に強く踏まなくて良かった。シャワー
ブースが外なので、ゆっくり湯にも浸かれ
ました




飲料用の他にも、歯磨き用にも1ボトル
ずつ、無料でミネラルウォーターが用意
されていたので、残ったボトルを次の日
バス移動中などの飲料にも利用出来たし




お部屋からの眺めはこんな感じ。真下に
公園のような緑地が広がっていた事もあり
下層階でも苦にはならなかった。更には
ここ虹口周辺は戦前に日本人租界があり
多い時には10万人も暮らしていたそうだ




なにより、このホテルが素晴らしかったのは
地下鉄駅が目の前にあり、あの外灘などの
中心地へ乗り換えもなく、3駅で簡単に行く
事が出来るのだ。まだ午後8時前、さてさて
ここから夜のフリータイムだ。 続 く




         平成31年1月26日に上海市街で撮影

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最終更新日  2019年02月13日 13時03分56秒
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