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カテゴリ:エッセー
生後6カ月と15日の紀州犬オス犬の「タケゾウ」
(尾を立てている犬だ。歯がでて睾丸も二ある) 生後7カ月で背丈が55センチメートルになった 紀州犬のオス犬。(背後の壁の横線で上の犬 との背丈の差がわかる)この犬は顔も長い、首 も長い、胴も長い、耳も長い。 1歳8カ月と6日の「ジュウベエ」。背丈は 53センチメートル。(後ろの塀の横線で 上の犬との背丈の差がわかる) 紀州犬物語135「土用の一つ子」の紀州犬 白のオス犬の生後7カ月。(横田俊英) (タイトル) 「土用の一つ子」の紀州犬 白のオス犬の生後7カ月。 (サブタイトル) 生後7カ月になっても背丈が44センチメートルというチビの紀州犬のオス犬の「タケゾウ」 第135章 「土用の一つ子」の紀州犬 白のオス犬の生後7カ月。 執筆 横田俊英 (本文) 紀州犬のオス犬の「タケゾウ」が生後7カ月になった。 朝と夕に散歩にでて、それがすむと食事が与えられる。食事はドッグフードに豚肉と野菜を水で煮たのを掛けたものだ。「タケゾウ」はそれを喜々として食べる。 散歩は200メートル先の寺までであったり、500メートル先の紅梅の木までであったりする。もっと遠くまで連れて行きたいのだが、この犬はリードをグイグイ引っ張る。内側に歪んだ後肢の状態を考慮して距離を伸ばさない。運動と栄養ということではもう少し運動するとよいのだろう。幼犬のときの強い運動は弊害がある。この時期の運動は成長を促すということと、飼い主との信頼関係および服従の訓練の一環として考えている。 気になるといえば前肢の先が外に向いていることもそうだ。犬の前後肢が素直に伸びて、なおかつ力強いというのが理想だ。なかなかそのようにはならない。前胸のアーチが良い半円弧を描き、肘が外転することなく内側によく引きつけられていいる。胸の筋肉はよく発達して力感をもっていること。そうした状態に近づきたい。人でも年老いて膝関節が外転すると内側に押し込むといった手当を整形医はする。犬でも同じことをするのは有効だろう。運動のあとで指圧をして間接を揉みほぐし修正する。おまじない程度であったとしてもこれによって飼い主の悩みは少し和らぐ。 7カ月になるこの犬は私が飼ってきた紀州犬のオスとしては背丈はこれまでで一番に低い。生後6カ月ほどで母親と同じくらいになっているのが普通だ。この「タケゾウ」の何代か前の先祖のメス犬に背丈が小さいのがいた。そのメス犬は「紀州犬物語(120)二つの白い犬がいる海辺の光景。波間を月が漂い満天の星が犬と人の暮らしを照らす」に登場する紀州犬の飼い主が最初に飼った子犬の母犬であった。 その犬は背丈が46センチメートルあるかないか、という小さなメス犬であった。44センチメートルの背丈の犬だといった方が表現は正確だ。紀州犬のメス犬の背丈は49センチメートルであることが望ましい。その背丈から上下に3センチメートルの範囲は「許容」と表現される。 私が育てている「タケゾウ」は生後7カ月になっても小さい。背丈はメスに「許容」されている下限の46センチメートルあるかどうかだ。「タケゾウ」の生後7カ月における背丈は44センチメートルなのだ。小ささは何に由来しているのか。 「タケゾウ」のように生後7カ月になっても背丈が伸びない犬は、その後も駄目だろうということで里子にだされる。多くは猪猟をする人に渡される。背丈の低い犬は品評など較べっこの世界では端(はな)から通用しない。犬を飼う唯一絶対の目的が較べっこである人はこうした犬を見捨てる。弾(はじ)かれるというのだろうか。そのような事情によって犬は里子にだされる。 「紀州犬物語第120章 二つの白い犬がいる海辺の光景。波間を月が漂い満天の星が犬と人の暮らしを照らす」に登場する人の子犬がそのような立場におかれていたことがあった。犬hsいまの「タケゾウ」と同じ立場にあり、飼い主は同じように悩んだ。その先のことは知らない。 犬の背丈とその遺伝の出方はどうなっているか。 大きな犬の子は大きくなり、小さな犬の子は小さくなる。これはある程度は事実だ。 紀州犬の場合にはオス犬、メス犬それぞれに望ましい背丈がある。子犬を生ませるにあたって多くの人が望ましい背丈になるようにしてきた。長い年月をかけてそのような取り組みがなされてきた。紀州犬は平均すればオスの背丈は52センチメートル、メスは49センチメートルに育つ。オス、メスともに上下に3センチメートルの範囲で「許容」される。 そのような取り組みがなされてきたので大概の犬は望ましい体高になる。あるいは「許容」の範囲におさまる。それは大概であり、平均すればということだ。「タケゾウ」のような例外は少なからずある。「タケゾウ」の背丈はまだ確定してはいない。だから例外の事例にはならない。しかし較べっこの世界で覇を競うことを目的にしているとこの時点で見切られる。 紀州犬の遺伝の因子はどのようになっているか。 大きなオスとメスから生まれた犬が大きくなるかというとそうではない。オスでもメスでも下限ぎりぎりの犬が生まれる。標準体高とその「許容」の範囲を上下に超える犬が生まれる確率は1割ほどはありそうだ。上下限ぎりぎりということでは2割はありそうだ。そのような犬を幾つも知っている。丈の不足気味の犬と過大気味を里子にだす相談をされた事例からそのように言える。 小さな犬と小さな犬とから生まれた犬が小さいかというと必ずしもそうではない。普通の大きさの犬が生まれる。また上限を超えるような大きな犬も生まれる。 紀州犬が望ましい体高の範囲に収まるように長い年月をかけて飼育されてきたことが由来してのことだ。それでも遺伝因子は背丈の大きさにがさまざまに作用する。 紀州犬の先祖あるいは元犬になった犬の中には柴犬の元犬になった犬と縁があるのがいた。紀伊半島で地犬として飼われていた時代の犬たちは小型の柴犬も中型の紀州犬も大して区別されていなかった。紀州犬は中型日本犬に分類されるがその中型の背丈の規定の範囲を超える大きさになることは珍しいことではない。日本犬の世界では柴犬を小型、紀州犬や四国犬と中型、秋田犬を大型と分類して、その大きさを体高で示している。洋犬を交えた犬の世界では柴犬を中型犬として分類していることがある。 標準体高としてオスが52センチメートル、メスが49センチメートルという規定を考慮して紀州犬に子供を生ませることが大事だ。そのようにしていても標準からはみ出すような大きな犬や小さな犬が生まれるのは、先祖犬が小型犬の大きさや、中型犬の大きさを超える犬のがいたためでもある。潜伏している遺伝因子が表にでる。紀州犬にそうした犬が生まれるのはこのためだ。 生後7カ月になる紀州犬のオス犬「タケゾウ」の母親の「ウメ」の背丈はメス犬の上限の51センチメートルである。父親はオス犬の標準の52センチメートルを少し超えている。父親の背丈の伸びは遅かった。3歳を過ぎるころに脛(すね)が伸びたために53センチメートルになった。その後も伸びている。 ある人のメス犬は1歳を過ぎても背丈は標準の49センチメートルよりも5センチメートルも小さい44センチメートルであった。その犬が3歳を過ぎると49センチメートルになっていた。伸びが遅かったのである。 「タケゾウ」の祖母犬の「コウメ」は1歳ころには下限の46センチメートルにとどくほどの背丈であった。5歳になって「コウメ」は49センチメートルになり、一端(いっぱし)の紀州犬のメス犬になった。奥手な犬だったのだ。較べっこに価値をおき背丈に厳しい人が飼い主であれば若いうちに見限られていた犬だ。 御託(ごたく)をならべて不安を誤魔化しながら飼っている「タケゾウ」の背丈は生後7カ月になっても44センチメートルである。チビの紀州犬のオス犬の「タケゾウ」を育てる飼い主は、「タケゾウ」は駄目な犬として烙印をおされるのではないかと心配する。 一時期「タケゾウ」と一緒に飼われていたオス犬は生後7カ月で紀州犬の上限の55センチメートルに達していた。この犬は顔も長い、首も長い、胴も長い、耳も長いというデカデカの犬であった。 狐(きつね)につままれたような気分でこのデカ犬と接した。大きければ何となくよく見える。この犬は良い犬なのではないかと惑わされることもあった。年寄りが育てていたこの犬は我が儘であった。里子にだすためにそのあいだ預かっていた。この犬は山歩きをする人に飼われることになった。山歩きのついでに猪(いのしし)をも追わせたいと思っている人だ。 犬が好きだ、紀州犬が好きだという人は多い。 紀州犬好きの代表、あるいは犬好きの代表ともいえる人が東京都の中野に住んでいた。山梨県で生まれて育ったこの人は子供のころから犬が好きで好きでならなかった。夜寝るときにも犬と一緒のほうがよいというほどであり、実際に犬小屋に入って犬と寝ていた。 このような犬好きは滅多にいない。並の犬好きではない。根っからの犬好きといってよい。犬が好きだから、紀州犬が好きだから、ということで紀州犬を飼っているうちに紀州犬のさまざまなことが良く分かるようになった。人はこの人を紀州犬の大家として認めている。 生まれてくる犬を観察すると、犬は望ましいオスとメスを交配しても単純には望ましい犬が生まれてくるのではないのであった。望ましい犬は1代か2代かの間をおいて生まれてくる。このことを知るようになった。 そのようなことがあるから良い犬をと願っても一直線に或いは単純には良い犬はできてこない。何かの法則だからとその法則を当てはめてよい子が生まれてくるはずだ、と単純にやってはならない。我慢と粘り、そして観察が大事だ。そのようなことではあっても良い紀州犬という考え方が時とともに移ろう。昔なら良かったはずの犬が今は否定される。そうした移ろいがある範囲に収まっているのならよい。そこから抜け出すと日本の秋田犬と米国の秋田犬で大きな違いがでてしまっているのと同じになる。 良い紀州犬ということでは良い言葉ではないが「流行」(はやり)という現象が現れる。ある不具合を否定し克服しようとすると別の不具合とぶつかる。 上原謙か佐多啓二か。菅原文太か高倉健か。往年の人気俳優である。現代はだれが人気であるか。好きな俳優あるいはの顔を浮かべてみたらいい。往年の人気俳優とは顔立ちとキャラクターということでその人が持つ雰囲気や性格は違うはずだ。 犬の世界にもこのような「流行」があり、その「流行」は良い犬の概念を少なからず変えてしまう。「流行」の実態を知りつつ、紀州犬の在り方、その本質のことをわからないまでも考えていることが大事である。 いま良いとされている犬であっても時代が変わると「あの時代の流行の犬」ということになりかねない。 日本犬の世界では較べっこは重要であるらしく、付き合いのある人からは「勝った」「負けた」といったことが伝わってくる。その「勝った」「負けた」が「流行」がもたらす結果であるとすれば、喜びも悲しみも戦争時代のつくられたあの感情と同じであるように思えてならない。 紀州犬など犬の世界では「ああすればこうなる」ということが単純な形ではおこらない。 いまの日本の学校教育の仕方や多くの人の考え方は「ああすればこうなる」式に単純になっている。このようにしておくと詰め込み教育と受験学習の効率はよい。学校での成績がよい人ほど「ああすればこうなる」式で物事を考える。 そこでは伝説や物語(フィクション)だけが生きている。事実や現実は無視される。現れた事実が伝説や物語(フィクション)と違うと、事実を否定してしまう。犬を飼っていて伝説と物語(フィクション)の世界に生きている人がいる。 そのようなようすをみていると「ああしてもこうならない」と自分に言い聞かせて生きているのが丁度よいと思われる。 (誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。) 【特別な追記】 『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』 (藤井聡著 青春出版社、税抜き1200円) 犬のシツケとは飼い主がその犬はこのようにあって欲しいと願う状態にすることである。 「こうあって欲しい」は飼い主によって決まります。 普通の家庭で飼う犬は人に危害を加えないこと、人の迷惑にならないこと、飼い主にとってこの犬と居ることが楽しいことなどである。 上に列記したことを簡単に言えば犬の性格が良いことです。 そして健康であることは飼い主にとって好都合です。 格好いいこと、可愛いこと、性格が良いこととなどは飼い犬がかわいがられる条件になります。 そのような犬を生むことができるような犬を飼うことも望みに含まれます。 犬が飼い主が望むような状態をめざそうとすると、犬の行動の仕方を理解しておくことが大事です。 犬の性質を理解する、ということです。 犬は狼の子孫であり、常に主従関係がはっきりした縦社会のなかで生きていて、犬の精神はそうした状況のもとにあります。 犬を仕付けて訓練することを考える前に、犬の性質を知ることが大事です。 このための手がかりとなる理論を本に書いているのが藤井聡さんです。 この人が書いた『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、税抜き1200円)です。 この本を読んで目が覚めた、という人が多くおります。 どうか読んでいない方は読んでください。 読んだ人ももう一度読んでください。 自分がしていることの過ちや犬への間違った理解に気づかされます。 私が紀州犬愛好家として申し上げる追加項目は、紀州犬の愛好家は避妊手術はしないことを慣わしとしているということです。 飼い犬の健康の状態、精神のことなど、特別な事情があれば上のことは違ってきます。 (誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。) (数字の表記が漢数字になったり、算用数字になったりしております。惑いつつ統一することをしませんでした。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年03月23日 09時50分22秒
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