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カテゴリ:エッセー
写真は2016年9月25日、16:10:42の富士山
(タイトル) 富士山(3,776.12m、剣が峰の最高地点の標高)と噴火 富士山の噴火と造山活動と東京への影響を考える。 (宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった。) (本文) 最終氷期が終了した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量に噴出した。 この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富士が形成された。 その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,500から2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。 新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前から約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前から約3,200年前の1,300年間と考えられている。 山頂部からの最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部からの噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的に発生している。 延暦19年から21年(800年から802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出した貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707年)の宝永大噴火で噴煙は成層圏まで到達し江戸では約4cmの火山灰が降り積もった。 また宝永大噴火によって富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火山性の地震や噴気が観測されている。富士山は噴火する火山であり、その噴火がいつ起こってもよい状態にある。 地質学上の富士山[のことだ。 地質学上の富士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。 現在の富士山の山体の形成は、大きく次の四段階に分かれる。 先小御岳 小御岳 古富士 新富士 この中で先小御岳が最古であり、数十万年前の更新世にできた火山である。東京大学地震研究所が2004年4月に行ったボーリング調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判明した。安山岩を主体とするこの第4の山体は「先小御岳」と名付けられた。 古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した火山灰が降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝永火口の北側1から2kmのところにあったと考えられている。 2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士宮市-富士吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが蓄積している(活火山である)現れとされている。 プレートの観点からは、北アメリカプレートまたはオホーツクプレートと接するフィリピン海プレートの外縁部に位置し(ほぼ、相模トラフと駿河トラフを陸上に延長した交点に位置する)、すぐ西にユーラシアプレートとの境である糸魚川静岡構造線が存在するなど、3個のプレートの境界域(三重会合点(英語版))ともいえる場所に位置している。 富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。 標高3,776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な姿は日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ、芸術面でも大きな影響を与えた。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。 古来霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになった。 これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季には富士登山が盛んである。 富士山は日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。 また1936年(昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25年)6月22日には関連する文化財群とともに「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された。 日本の文化遺産としては13件目である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年12月08日 12時08分14秒
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