本の読み方
本の読み方スロー・リーディングの実践【電子書籍】[ 平野啓一郎 ] 本書はアンチ速読本である。 速読者の対語として、スロー・リーダーなるなんとも奇妙な言葉を提唱する。 スローリーディングとは一冊の本にできるだけ時間をかけゆっくりと読むことである。 鑑賞の手間を惜しまずその手間にこそ読書の楽しみを見出す、そうした本の読み方だとひとまずは了解してもらいたい。 スローリーディングをする読者を私たちはスローリーダーと呼ぶことにしよう。 それはともかく、次なる文章は速読者に対する、許しがたい、暴言、冒涜、ではなかろうか。 速読家の知識は単なる脂肪である。 それは何の役にも立たず無駄に頭の回転を鈍くしているだけの贅肉である。 決して自分自身の身となり筋肉となった知識ではない。 それよりもほんの少量でも自分が本当に美味しいと感じた料理の味を豊かに語れる人の方が人からは食通として尊敬されるだろう。 読書においてもたった一冊の本のたったひとつのフレーズであってもそれを読み終えその魅力を十分に味わい尽くした人の方が読者として知的な栄養を多く得ているはずである。 確かに、ひたすら速読をしていたら上記のようなことになるだろうと考える輩が出ることは容易に予想できる。 しかし数々の速読者が今まで提唱来たことは、速く読もうが、スローに読もうが、頭に残るものは変わらない、というものだ。 いくらなんでも速読者の知識が脂肪だなんて、そりゃああーた、言い過ぎ、言いがかり、難癖以外の何者でもあるまい。 そして、 とある速読本によるとその速読法で得られる理解率は内容の70%程度でこれはゆっくり選んだ場合とさほど変わらないとのことである。 理解率というがどういう形で測定されているのか疑問の残るところだが、こうした単純な数字はまやかしである。 速読した場合の理解率70%とスローリーディングによる理解率70%は同じ70%でも全く意味が違うからである。ときたもんだ。 70%などという根拠のない数字を出すから、著者に刺されてしまうのだ。 はっきりいえば、本は、速く読もうが、スローであろうが、私の理解度は全くかわらない。 むしろ、速読のほうが理解度は高まっていると思う。 ただ読み流すだけではなく、こうしてブログアップという作業を続けていると、本の中味も身につくというわけだ。 速読者がスロー・リーダーをバカにしたことはない。 だが、なぜ、著者は、こうまでして速読者をけなすのか。 それこそ理解に苦しむ。