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職の精神史

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2008.05.07
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※この文章は、2003~2006年に大学生・若手社会人向けに配信されたメルマガ『内定への一言』のバックナンバーです。


45.「伯楽は、愛する者には駑馬の鑑定法を教え、憎む者には名馬の鑑定法を教えた」(韓非子)


皆さんは昔、漢文の授業で習った「伯楽」の話を覚えていますか。伯楽は名馬鑑定のプロで、「世に伯楽ありて、然る後に千里の馬あり」(伯楽がいるからこそ、千里を走る名馬がいる=才能を見抜いて活用する人がいるからこそ、才能ある人が活躍できる)という故事成語が残っているほど、成長する馬の可能性や資質を見抜くのに長けていたそうです。


馬は、現在では競馬や乗馬の対象でも、昔は車やバイク並みに使い、誰もが付き合った動物ですから、伯楽の故事を今風の言い方で理解するなら、「自動車査定コンサルタント」か「証券アナリスト」に置き換えてみると分かりやすいでしょう。


伯楽の逸話は、「いかに才能がある人でも、それを見抜いて用いてくれる人がいなければ、いつまでも引き出されずに世に埋もれてしまう」という教訓を含んだ、漢文の授業で習う名作の一つです。


学校の授業では「名馬鑑定の達人」として紹介され、「だから、自分を見抜いてくれる人を持つことが大事なんですよ」という、先生の念押しで終わってしまう伯楽の話も、リアリズムの古典「韓非子」に登場すると、また違った視点での解釈が得られます。


「駑馬」とは「駄馬」と言ってもよく、「ダメな馬」、あるいは「使い物にならない馬」のことで、「名馬」とは言うまでもなく、走行能力や体力に優れ、外見も立派で取引上も高い価値を持つ馬のことです。


常識的に考えれば、「名馬の見抜き方」を大切な人に教え、「駑馬の見抜き方」は嫌いな人に教えよう、と考えてしまいそうなのに、伯楽のやり方は逆で、「親友には駑馬の鑑定法、嫌いな人には名馬の鑑定法を教えた」ということです。


おかしい…。ひょっとして、「名馬鑑定の達人」である伯楽は、詐欺師だったんでしょうか。それとも、性格が悪かったんでしょうか。あるいは、ひねくれ者だったんでしょうか。


いいえ。伯楽は、極めて円満な常識を弁えた「人間関係の達人」でもありました。


伯楽は、「名馬という、一年に一度出会えるかも分からず、ましてや買うのはさらに難しい商品の見抜き方など、知っていても虚栄心を満たすくらいの効果しかない。名馬を待って、日々の生活や売買で気付かない損を積み重ねる方が問題で、名馬鑑定法などは、およそ非実用的な知識である」と考えたからこそ、自分を利用し、名声に集まって浮利をむさぼりたがる業者には、「お望みの名馬鑑定法」を教えたのでした。


つまり、「ブランド価値はあるが、実は全く使えない無駄な知識なんて、おまえらにくれてやる。せいぜい有り難がって、大好きな優越感にでも浸っておけ」と強烈な皮肉を見舞ったわけですね。


そして反対に、自分が大切に思う仲間やお客さんには、「世に溢れているのは駑馬です。


あなたが馬の取引をしたり、家事や仕事に使う馬を買おうとしたりして出会う馬の大半は、駑馬なんです。だから、馬で失敗しないためには、とにかく悪い馬を買わないことが大切です。
だから私は、あなたに駑馬の鑑定法を教えましょう」と、毎日使える平凡で基礎的な「実用知識」を教えたのでした。目立たないし、当座の性急な成功を目指す人は軽視しそうだけど、実は毎日使えて損失を未然に防いでくれ、それが積もり積もって大きな利益を生み出す「実用の学」こそ、駑馬の鑑定法だったというわけです。


さすが、伯楽は馬の鑑定の達人だけあって、人間の虚栄心や素直さもばっちり見通していたんですね。

さて、大学といえば、「大学では、組織的腐敗の技術に大げさな名前を付けて教える」(『腐敗の時代』渡部昇一・PHP文庫)とも言われ、在籍している学生すら、「自分の専攻が何に役立つのか」を自覚しておらず、さらには、「経営の専門家」や「マーケティングの研究者」が一流企業並みに在籍しているのにも拘わらず、補助金がないとやっていけないほどの赤字を抱えた不思議な組織です。


でも、「大学の授業の大半は、なぜつまらないのか」、「なぜ日本の学生は、留学生と比べてやる気がないのか」、「なぜ社会人になったら、皆がもっと学生時代に勉強しておけばよかったと言い始めるのか」という、皆さんが一度は感じたことのある疑問も、この「伯楽の鑑定法」の故事に当てはめてみれば、さほど不思議に感じる必要もなくなります。


つまり、大学で習うことの大半は「名馬鑑定法」になってしまっているのです。言い換えれば、「名前は立派だが、目的不在で、使う機会が想定されていない」ということです。単位さえ取ればアホでも学士になれ、卒論のテーマだけを言えば、高卒や中卒の人は「すげぇ」と言ってくれるかもしれませんが、そもそも、大卒の九割は「借金人生を歩む貧乏人」になるだけの話です。


もっと言えば、「○○のために経済学を学ぶ」、「○○の分野で活躍するために法律を学ぼう」などといった動機付けができている若者など、百人中五人くらいしかおらず、残りの九十五人は、卒業後、確実に「大学の勉強って、社会で役に立たないね」と言うに決まっているのです。


それは、本人が「○○に役立てよう」と考えて学ばなかったのですから、当然の結果です。不運を嘆くのはおかしいのです。入試が去れば大学の雰囲気に怠け、試験が来れば焦り、レポートが迫れば焦って提出し、就職活動が迫れば場当たり行動で乗り切る…こんな生活で「成功した未来」を願うのは、アル中並みの見当違いと言ってよいことです。


そういう人は、最近FUNで流行中の「下流社会~新たな階層集団の出現」(三浦展・光文社新書)ではありませんが、自分の学生時代の生活態度が招いた「下流生活」をエンジョイすればよいでしょう。自分らしく、個性的に。


今の生活態度や学問の姿勢で、卒業後の自分の姿の八割は、もう決まっています。「本当の自分」など、未来のどこを探してもいません。成功を目指すには、ただ、今、ここにいる自分と向き合い、辛抱強く付き合っていくほかありません。


そもそも事の本質は、勉強が役に立たないのではなく、その人が使い物にならないだけの話です。本当の勉強とは、社会や人生で役に立つものです。


もっと言えば、「役に立てよう!」と思って取り組む知的・精神的行動のことです。本気で学ばなかったからといって、それを自分の怠慢ではなく勉強のせいにするのは、間違った態度ではないでしょうか。


もっとも、経営の現実や社会の最前線のスリルとは無縁の、時間の止まったような研究室で、「興味のあること」だけを恣意的に抽出し、自分の理論や学説の構築と、それを学生にインストールすることに躍起になっている「センセイ」の頭の中が、無意識のうちに「理想的な社会や企業」のイメージに偏り、シンプルな現実や実用的な事実を捨象してしまうのは、ある意味やむを得ないことです。


しかし、画期的な商品が生まれるまでに多くの商品が消滅するように、画期的な学説が生まれるまでには、多くの学説が「ありきたり」、「独創性に欠ける」、「研究不足」と言って葬られるのも事実です。こういう点では、企業経営も学術研究も、ともにシビアな世界です。


よって、「成功とは、遭遇しにくく、掴みにくく、維持しにくいものだ」と最初から覚悟し、失敗を最小限に食い止め、実用知識を評価して摂取する生活態度が必要になってくるでしょう。つまり、「頻繁に起こる失敗を食い止めることで、成功の可能性を引き上げる」というアプローチです。


「名馬鑑定法には価値がない」というわけではありません。ただ、それだけでは生きていけないと言っているのです。「人がやれないこと」より、「人がやらないこと」こそ重視すべし、ということです。


毎日遭遇する連続的な現実を効果的に処理し、その積み上げの中から法則を標準化し、自分の生活態度や習慣に落とし込めなければ、名馬を買うような資産も、名馬にめぐり合えるチャンスも「夢のまた夢」に過ぎません。これは仕事でも、事業でも、投資でも、全てに通用する普遍的な常識です。


就活コースの繰り返しになってしまいますが、「完璧主義者に前進なし」ということですね。我々はただ、前進することによってしか、完璧になれないものです。名馬が欲しいなら、前進してから手に入れればいいのです。そして、そのためには駑馬を買わないことが大切です。


FUNは、創設者の安田君が何度も言っていた通り、「小さくても、人生を預かるサークル」(今は小さいとは言えませんが…)です。その中で、発足時から社会人顧問として毎週来ている僕が、非実用的な知識など教えては、無責任を通り越して有害です。


学生は、使いもしない知識を求め、無用の情報を有り難がって、今の貴重な時間を無駄にはしてはいないだろうか?学生は、成功哲学や自己啓発の本ばかり読み、実践を忘れて、毎晩自己嫌悪に陥ってはいないだろうか?学生は、将来の一発逆転やドラマチックな成功に憧れて、平素の努力を軽視し、授業や卒論、レポートなどの「勤め」で、惨めな気分を味わってはいないだろうか?

僕は、顧問を引き受けた当初からそんな疑問があったので、FUNでは「実践第一」の勉強を重視してきました。「シンプルな基礎を軽視せず、先人の知恵や経営者の努力を敬意と愛情を持って学び、社会における最高の自己表現手段である仕事の可能性を、各人の持ち場で全力で追及する」という、FUNで大事にしている考え方は、今年も来年も、その次の年も変わりません。


そうやって、「自分が今、自分であることが最高に幸せ」という実感を掴めたら、学生の皆様には、何より嬉しく自信につながる活動と呼べるのではないでしょうか。僕は、FUNの学生さん一人一人が大好きです。


だからこそ、学生時代は「駑馬の鑑定法」を教えます。「名馬鑑定法」は、皆さんが社会人になって三年くらいたったら、少しずつ教えていきますね。今は仕事や社会、コミュニケーション、お金の基本を、怠けず弛まず、週一回、コツコツと勉強していきましょう。







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Last updated  2008.05.08 01:59:09
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