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カテゴリ:教育雜感
Toy/Fermata わが国の語学教育は、なんと能率が悪いのだろうか。 数年間学んできて、全くモノにならないお粗末な結果への失望は言うまでもないが、青少年に「語学コンプレックス」を抱かせるような教育は、根本的に間違っているといえるだろう。 なにせ、二度と自分から学ぼうとはしなくなるのだから。 学生たちも一応「第二外国語」を取ってはいるようだが、「じゃあ、しゃべれる?」と聞いてみても、答えはいつも決まっている。 どうして一年間も勉強して、しゃべれないのだろうか。 授業料に換算すれば、一年間で8万円は投じているというのに、あまりに能率が悪すぎる。 一年もあれば、3、4ヶ国語くらい学べるのではないだろうか。 それが、一ヶ国語すら身に付かないとは、一体、どういう勉強法で学んでいるのか、気になるところだ。 学生はそれほど知力がないわけでもないのに。 「そんなことを言うあんたは、じゃあ、できるのか?」 私は語学教室にも、大学の語学の授業にも行ったことがなく、家庭教師にも習ったことはないが、4つの外国語を話せる。 同時通訳レベルでないなら、あと4つくらいの言語を読める。 私は22歳の時には、英語、韓国語、マレー語、インドネシア語を覚えていた。 そこから、学校というところでは、どういう勉強方法を採用しているのかを知った。 …驚いた。 まるで、より下手になるように、嫌いになるように、二度と勉強したくなくなるように、カネを取って調教しているようなものだった。 「こんにちは」 「私は韓国人です」 「今日は天気がいいですね」 「キムチがおいしいです」 …見りゃ分かるだろうが、アホ。 …天気?それがどうした。 …おいしいなら、黙って食え。 人間関係の発展段階を語学学習に当てはめてどうする?愚かな学習方法と言うほかない。 そんなやり方では、数字を覚えるあたりで、挫折するだろう。 国民全員で「バカの一つ覚え」に熱中して、資源の無駄遣いも甚だしい。 「会計」に資産と負債という属性があるように、「音楽」に音符という属性があるように、「食事」に栄養という属性があるように、語学にも「品詞」という属性がある。 どの外国語でも、変化するのは「動詞」と「形容詞」だ。だから私は、あいさつや数字を抜きにして、まずは活用を徹底的に覚える。 そして、動詞から名詞、形容詞から名詞、形容詞から動詞、動詞から副詞、形容詞から副詞の変化の仕方を覚え、読んで聴く際の「想像力」を高める。 「一つの単語」を覚えることが「5つ」、「6つ」の単語を覚えるのと同じような意味を持つ連想力こそ、先に鍛えるのだ。 外れてもよい。とにかく、思考の中で何度も想像と応用を繰り返すのだ。 そして、長文やインタビューに徹底反復で触れる。分からなくても全体を読み、全体を聴く。 語学学習は「分かるところから」などというやり方はしないことが大事だ。逆に「難しいこと」からやった方が、どんどん簡単に、楽しくなっていく。 分からなくても最後まで読む。聴き取れなくても、最後まで聴く。難しさを徹底的に味わう。 「動詞」から主語や目的語の所在と意味を想像し、「形容詞」から主語や名詞の所在と意味を想像する過程こそ、記憶力と応用力を鍛えるのだ。 財務諸表学習と、まったく同じ仕組みである。 「最初から辞書で調べる」など、もってのほかである。頭を怠けさせて、挫折へのカウントダウンを始めるだけだ。 そうして、ある程度その言語の「思想」が分かったら、そこから「単語」を系統的に覚える。欲張って高望みはしないことだ。基本的な単語を確実に覚えることだ。 この間、約1ヶ月。 次は、その国の言語をしゃべる留学生でもつかまえてきて、「交換日記」をすることだ。 ついでに、その国の音楽CDを買って、毎日10回以上、同じ曲を聴くことだ。 そして、留学生に会い、文法や発音の間違いを直してもらう。相手は「日本語の練習がしたい」と言うかもしれないが、カネを払ってでもまずは勉強させてもらうことだ。 これを繰り返せば、基本的な事柄は二ヶ月ほどで読み書き、話し、聞けるようになる。 三ヶ月目からは「社説」を読んで翻訳する。社説はこなれた言い回しや難解な単語も出てくるので、自分の覚えの浅さや狭さを測るにはちょうどよい。 私はこんな感じで、短期間に数ヶ国語を覚えた。 今でもまだまだいくつも覚える自信がある。記憶力や学習力は年齢を問わないと知ったので、いつでもやれるという安心感さえ、手に入れた。 そういう経験を経て、経済誌記者になった。 韓国貿易センターは韓国語で、イギリス政府投資事務所は英語で、マレーシア領事館はマレー語で、フィリピン貿易センターは少しのタガログ語で、タイ貿易センターは少しのタイ語で、それぞれ取材した。 それから数年後、起業して、ついでに学生サークルのお手伝いをすることにもなった。 私は、学生たちの語学学習の能率があまりに低く、語学学習の過程と成果への自信がなく、意欲さえ持続できずに困っているのを見て、「韓国語塾」を始めることにした。 1時間300円。3ヶ月で24回、徹底的にやる。 学生たちは一様に、流行語で口を揃えて「3ヶ月?ありえない」と言った。 そうだろう。疑え、疑え。 疑うほど、いずれ自分の頭の良さに驚くのだ。「私は何だってできる」と喜ぶことになるのだ。 君たちは、自分が劣等感を抱くほど、非効率な勉強方法を強制させられてきたのだ。 学生たちが「無理」、「できん」、「せめて文字だけでも読めれば」と言うような短期間でやり遂げたことは、後の大きな自信につながった。 私は韓国語力よりも、この自信と意欲を手に入れてほしかったのだ。語学力など、おまけにすぎない。欲しかったら、いくらでもくれてやる。 カタカナのような親切なものは、一切使わない。板書でもカタカナは使わない。最初から難読単語を紹介し、母音と子音の仕組みを叩き込む。会計と同じだ。 作文が完成しなければ、休憩は取らせない。家に帰さない。 家には、挫折感ではなく達成感を持ち帰ってもらうためだ。 学生たちはわずか2日でハングルが読めるようになり、2週間で作文ができるようになり、2ヶ月でKポップの歌詞を追えるようになり、3ヶ月で社説を翻訳できるようになった。 西南大でも女子大でも、「韓国語」のテストはみな、90点以上だった。 学校のテストじゃ簡単すぎて実力を試せなかったようだが、大学では一年かかったことが、私の教え方では2週間で終わるのを実体験して、「私って天才かも?」と喜んでいる学生もいた。 そうだ、天才だ。君は君がどれだけすごい人間なのか、それを自分で証明したのだ。自信を持ってほしい。 語学学習があまりに簡単で楽しいために、自分で歌詞の翻訳を始めたり、学習2ヶ月で一人旅に出る学生さえ現れた。 私が若き日に信頼して実施し、そして、学生たちへの語学教育にも応用した方法は、分かる人には、誰の学習方法か分かるだろう。 シュリーマンと井筒俊彦である。 二人合わせて、40ヶ国語を操った達人の勉強方法である。 この夏は一年半ぶりに、久しぶりに「第六期・韓国語塾」でも開いてみようか… と、Fermataを聴きながら思った。 今週、何人かに希望を聞いてみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
頭悪すぎm9wwwwwwwwwwwwwwwwww
(2013.12.03 23:34:29)
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