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職の精神史

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2008.05.28
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白磁の杯


竹山道雄「白磁の杯」(角川文庫)



去年の近現代史勉強会の最終回で、この勉強会を作り上げてきた4年生たちと一緒に読んだ本だ。


東京裁判、社会主義、マスコミの偏向、教育の変質、ゆがんだ外交論、奇妙な自衛隊認識…


去年扱った全ての文献のまとめとして、この小説を読むと、きっと、私がこの勉強会で伝えんとしたことを分かってもらえると思い、あえて選んだ。



ソフトバンクに入社したH君は、特に印象が深かったようで、自分でも持っておきたいと探し回り、なんと、400円という破格の値段でこの絶版の名著を見つけたのだが…


「エスペラント語」の本だった。


H君の「ありえませんよね」という笑顔が懐かしい。


H君は近現代史勉強会の実質的なリーダーだった。その理解力、コメント力に敬意を表してか、誰かが「近現代の鬼」と名付けたが、全然そんな雰囲気ではない。


思索的で、哲学的で、物事の本質をじっくり考える立派な若者だ。H君の努力と継続なしに、今年の後輩たちの参加はありえないことだった。


私はH君の地道な継続に、深く尊敬と感謝の念を抱いている。


私は本書を二冊手に入れたので、今度H君が帰省したら、一冊プレゼントしようと思う。もちろん「日本語」だ。



さてこの「白磁の杯」、表向きは少女向け恋愛小説だが、中身はそんなに優しいものではない。


竹山氏の著作をほぼ全て集めた私は、同時期の氏の作品や、氏の終生のテーマを考えた上で、この本は戦後の思想情勢をリアルに描いた特筆すべき小説だと思う。




あるところに、見るも美しい白磁の杯があった。


この杯は、聞けば宋時代に鉅鹿(きょろく)という町で作られたものらしい。


竹山氏は、その鉅鹿という町に興味を持ち、「どんな町だったのですか?」と質問する。


なんと、その鉅鹿の町は、洪水で水没し、完全になくなった町だった。


しかも、不思議なことに、死者は洪水を察知して逃げた形跡もなく、ある者は安らかに、ある者は笑顔で水死していた…。


一体、この鉅鹿に何があったのか?物語はそこから始まる。



鉅鹿には士賢という好青年がいた。士賢は町でも評判の若者で、科挙の試験を受け、将来は高級官僚として登用され、国家のために尽くしたいと願う熱い青年だ。


この士賢は采采という若く美しい女性と婚約していた。


士賢が儒教的で現実的思考を重視するのに対し、采采は道教を信仰して空想的な思考が好きであった。


二人は考え方の違いなどで何度か口論もするが、根本の信頼は揺るがず、将来の結婚を心待ちにしていた。



そんなある日、この町に怪しい幻術を使うと評判の道士がやってくる。


道士は幻術でたちまち町の人々を魅了し、手懐けてゆく。



鉅鹿の町には大きな川があり、そこの堤防を毎年夏に修復するのが町の人々の務めだった。


今年もその時期がやってきた。


だが、人々は道士の幻術に操られ、川にはこんこんと水が溢れているのに、「まだ大丈夫だ」、「洪水なんて来やしないさ」、「あれくらいのことは、よくあるのさ」と言ってばかりである。


士賢はこれはおかしいと悟り、町の人たちに、放っておくと大変なことになると呼びかける。だが、誰も耳を傾けてくれない。


士賢は役所の上司にもかけあうが、上司は確定していない危機を持ち出して人心を動揺させるのは役人の道に背くと、空論を展開して士賢をけむに巻いた。



そうこうしているうちに、采采も道士に興味を持ち、観(道教の寺院)に通うようになってしまった。


士賢と采采の仲は険悪になり、士賢は恋人と町の未来に思い悩んで、とうとう独断で首都に知らせることを決意した。


越権行為と批判されようが、仕方なかったのだ。(この間の男女の心理描写に感心した学生もいた)



首都では数日の後に申し出が受理され、鉅鹿の町に調査団が派遣されることになった。


首都の官僚は鉅鹿の惨状を見て驚く。


「なんだ、この町は。どうしてこうなるまで放っておいたのか」


「責任者は、町の人々は何をしているのか」


「この町は狂っている、おかしいぞ」



川の水は堤防を越える寸前であり、決壊すればどうなるかもみんな分かっていたのに、道士の幻術に操られた人々からは、完全に危機感と当事者意識がなくなっていた。


この後、士賢はあれこれと手を尽くすのだが、結局は…。


という小説だ。




この「白磁の杯」を学生たちと読んで、みんなが等しく「これは…」と驚いたのは、以下の部分だった。


士賢が采采の持っていた道教の秘術書を盗み見て、「人心を操る秘術」を知って驚くシーンである。



秘術書には、こう書いてあった。


1、人間の心は宇宙の中でただ一つの特別なものであり、実在しないものを思いうかべることができるものである。その底にはつねに、自分にも気づかない欲求があってはけ口を求めている。

この要求を満たしてやると約束せよ。人間が自ら気づかずに欲しているものに訴えたときにのみ、幻を引き出すことができる。「かくあってほしい」と願っていることを「かくある」と思わせることができる。

人間は自分の要求に従って世界を把握する。知覚は要求によって左右される。



2、人間は眠っているときには、何も見ず何も触れていない。しかも夢の中では、自分は見て触れていると信じている。対象がないのに、あたかもそれがあるかのような感触をもっている

これが大切な点である。すなわち幻術とは、人間の持っているこの夢見る働きを生かすことである。実物がなくして、しかも実物に接したときに受けるのと同じ内的感触を引き出すことである。



3、相手にする人間は、大勢であるほどよい。群集はもっとも作用されやすい。しかし、これは必ずしも、たくさんの人間が同じ場所に集まっていなくてはならないという意味ではない。意見交換さえ自由に行われれば、人間はちらばっていても群集と同じ性質のものとなりうる

こうなれば、人々は幻を語り合い、せりあう。いったんこのせりあいが始まれば、すでに魔法の影響の下に入った人々のあいだでは、熱はとめどもなく高まる

かくて、映像は個々の人間から離れて独立して生きたものとなり、これが世の中を支配するようになる。「みながそういうのだから」とて否定できないものとなる

この集合的心理は、個人的な心情から推してはとうてい考えられないものである。集団に対して個人倫理をあてはめて判断することはできない。



4、いったんそうだと思いこませてしまえば、後は楽である。ある見方が決まると、それから後は全てをその目で見るようになる。要求選択して知覚を組み立てる

人は初めのうちは、自分はそれを信じていると信じたがっているのだが、やがて自分はそれを信じていると信じるようになる。この「事実についての見方」を与えることが、幻術の要訣である。

もともと人間は事実そのものの中に生きているのではなく、事実について彼が抱いている表象の中に生きている。事実を直視する人間はほとんどいない。人間は事実から出発しないで、表象から出発する。

人間に、世界についてのある特定の表象の仕方をあたえよ。人間は世界を幻のように見る。



5、人間の持っている絶対的なものへの要求――生と死とか、霊魂の不安とか、あらゆる不満の救済とか、永遠の理想境とか――への暗示。

儒教はおろかにもこういう問題を回避しているから、人間を奮い立たせる新しい力となることができない。人間はただ現実の中にのみ生きているには堪えないものである。

よろしく、このような解くべからざる超感覚的な問題をある形で解決してやると唱えることによって、そこに熱狂への道をひらくべきである



6、人間は命令されたがり、支配されたがっている。その人の言うことを聞けば一切が解決して、この漠として謎のような宇宙の中で自分が安定した地位を占めることができるような人の出現を、渇望している。

ことに、知ることができない未来への関心は、人間の根本的な切願である。教祖の預言は、世に絶えることがない



7、空想力という大きな機能を顧みないことは、人間の本性についてのはなはだしい洞察の欠如である。最大の恐怖を生むものは空想であるが、最大の確信を生むのも空想である。実に空想はついに事実まで生む。

もともと人間は空想力によって他者と一体になっていた。子供や原始人は自他の区別を知らない。やがて知力がすすんで、反省をするようになって、はじめて空想の世界と醒めた現実とを分離することがはじまった。

空想世界は、後から夢想によってえがきだされるばかりではなく、むしろ人間はこれから出発したのである。だから、人間の精神にとっては、現実と非現実の未分離が根づよいものである。人間は世界事象を神話として把握し、これによって初めて盛んな行動力を持つことができる



8、幻術の作用は、この両者を分離するものを除いてやることである。これさえしてやれば、人間は現実に対しては不満を持っているのだから、いまとは違う非現実の状態へと奔るようになる

そして、現実を超えた自他の別のない集団の中に溶け込むことができて、その法悦に酔って、救われる。自分一人で立っているということは、人間にとっての苦しい負荷であり桎梏である



9、言葉こそは最大の武器である。多くの人々にとって、言葉はすなわち実在世界である



本ブログになじみの方なら、この本質はもうお分かりだろう。これは社会主義に洗脳された知識人や教師の姿を「道士」のシンボルを使って再現したものだということが。


この「道士の秘術」の実際の手本を見たければ、


「宣伝・扇動」(レーニン)

「わが闘争」(ヒトラー)

「群衆心理」(ギュスターヴ・ル・ボン)

「日本の赤い旗」(ポール・ランガー)



などを読んでみるとよい。



「平和」、「平等」、「自由」などという言葉を巧みに操って群衆を駆り立てる具体的な方法が、これでもかというほど詳しく書いてある。



今年はこの小説を、11月5日に読む予定である。今年の学生は、どういう感想を持つだろうか。






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Last updated  2008.05.28 12:56:31
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Re:竹山道雄「白磁の杯」(05/28)   H山 さん
お久しぶりです。
今年から近現代史がさらにパワーアップし、人数も増えて開催されているようで、嬉しくもあり羨ましくもあります。
近現代史は僕の価値観を大きく変えてくれた勉強会でした。
その中でも竹山道雄さんの『白磁の杯』は小説ながら人間の本質を鋭く突いた素晴らしい作品だと思います。
東京に来て古本屋を巡っているのですが、僕の捜索能力が低いのか竹山道雄さんの作品にはなかなか出逢えていません。
『共産主義批判の常識』は二冊目をゲットしました。

FUNで学んだ事、小島さんが紹介してくださった古典は、社会人となった今、僕の中でしっかりと生きていいる事を実感します。
よく思うことは、人間の本質はいつの時代も変わらないということです。
だからこそ、本質を突いた考え方、本質を貫いた生き方を学生時代に知れた事はとても貴重な事だと思います。
福岡で同じような考えのもと勉強している仲間が居ることをとても心強く思います。
今年の夏は帰省すると思いますので、FUNのみんなに負けないように近現代2008をしっかり予習しておきますね。

中々まとまっていないコメントですみません。
今回このブログを開設して頂いて、離れた場所からでもFUNや小島さんを身近に感じることが出来るので、凄く嬉しいです。
ありがとうございます。
ではまた。 (2008.05.30 00:29:42)

H山さんへ   nao12317556 さん
おはようございます。久しぶりですね。コメントどうもありがとうございます。D君と同じ職場になったと聞きましたが、お仕事は順調ですか?東京はたくさんの先輩と仲間がいて、職場も休日も充実していることでしょう。

近現代は今年から講義も取り入れ、去年より時代背景や事実関係の確認に力を入れています。今年も2ヶ月たち、MさんやT君が中心となって盛り上げてくれていて、去年とは違った活気が出てきました(予定はFUNのHPに掲載)。

竹山道雄さんの作品は、書店にはほとんどないと思います。全集を扱っているお店が稀にありますが、8万円くらいします…僕も旭川、石川、岩手、千葉、岐阜など、色んなお店から数年かけてほぼ全作を集めました。控え目で上品な方なのであまり目立たず、知る人ぞ知る文学者ですが、僕は戦後一流の学者の一人だと愛読しています。ぜひ、H山さんと語り合いたい偉人です。

社会人となり、学生時代の学びを改めて振り返る機会もあるでしょう。大切なことは何も変わりません。何かに役立てようと思って歴史を学んでいるのではなく、歴史はそのような動機で本質が見えるようなものでもありませんが、きっと、近現代史勉強会の学びが指針となる時が来るでしょう。

卒業生の皆さんの活躍が後輩たちや僕の心の支えになっています。お互い、一日本人として誇りを持って生きたいですね。
夏にまたお会いできるのを楽しみにしています。その時は「白磁の杯」をお持ちしますね(笑)

小島
(2008.05.30 06:21:58)

Re:竹山道雄「白磁の杯」(05/28)   isaka さん
突然で失礼いたします。「白磁の杯」は、ずっと以前に読んで大変な感銘を受けました。たしか、小柳陽太郎先生という方が触れていたので探し出して読んだ覚えがあります。

 要点をよくまとめて下さっているのに驚きました。

 この問題は、共産主義の虚偽が暴かれた今もなお、継続していますね。

 多くの問題がなおこの手法で人々を幻惑し、虚偽の夢の中に人を落とし込んで、危地に陥れていることでしょうか。

 このブログをみつけて、嬉しくなり、つい書き込みさせて頂きました。

 ありがとうございました。 (2023.02.21 19:09:23)


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