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| 22番目のカテゴリー
この本もパリトーショが翻訳している。OSHOは1990年に肉体を離れ、92年にこの本が出たのだが、「存在の詩」ニューズレター75年や「やさしいかくめい」創刊号77年あたりから、「My Life in Orange」04年や「セカンドライフを読む。」の07年の30年間のOSHOの歴史の中では、ちょうど中間に位置している一冊と言える。 おそらく何時かこの本が、来るべき新しい人間たちへの、古い世界のある種のガイドブックの役を果たすような時代がくるのだろう。その時その本の扉にはこう書かれているはずだ。 と、訳者後記に書いてある。「来るべき新しい人間たちへの、古い世界のある種のガイドブックの役」を果たすことになるかどうかは不明だが、このブログにおける「OSHOmmp/gnu0.0.2という名の宝石箱」 にはぜひ入れておきたい一冊である。この本の中にはOSHOが愛した本として168冊が触れられている。「古い世界」の一冊になるかもしれないが、OSHOは「資本論」にも触れている。 これは、かつて書かれた本の中で最悪の本だ。だがある意味ではこれは偉大な本だ。なにしろ、何百万という人々を支配しているのだから。世界のほぼ半分が共産主義者で、あとの半分も安心できない。共産主義でない人々でさえ、心の奥深くでは、共産主義には何かいいところがあるのだと感じている。共産主義にはいいものなど何もない。それは大いなる夢の売り込みだ。カール・マルクスは夢想家にすぎなかった---経済学者ではない、そんなものではまったくない---単なる夢想家、詩人だった。それも三流の詩人だ。彼は書き手としても偉大ではない。誰も『資本論』を読まない。私は有名な共産主義者に何人も会ったことがある。そしてその目をじっと覗き込みながら彼らに、「『資本論』は読みましたか?」と尋ねた。読んだと答えた者はたったの一人もいなかった。p168 このブログでは「<帝国>」や「マルチチュード」のアントニオ・ネグリを追っかけている。彼は、確か現在でもマルキストを自認しているはずだ。それぞれの大御所たちのいろいろな言説を踏まえた上で、このブログはこのブログとして折り合いをつけていかなくてはならない。この「私の愛した本」は、とにかくオリジナリティあふれるOSHOの世界が、他の世界とのインターフェイスを限りなく多く備えている稀有な本だ。いつかチャンスが来たら、この一冊を中心にしたコスモロジーを楽しむのもいいかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.22 09:08:28
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