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カテゴリ:オーラの泉
お父さまは今年の4月に亡くなられたばかりとのこと。
江「伸び伸びと、きちんと育てていただいたんだけれども 家族でありながら、常に心の壁はありましたね。だからどこかで 『常に自分は一人』という思いが強くて。 話を合わせて合わせて、同じ感動を共有しようと一生懸命なさっていたけれども 自分の心の方は本当は違っていて 『やっぱり嘘はつけない』『自分は異質なんだ』という思いの中でいらっしゃったと」 高「・・・はぁぁぁ・・・」 国「めちゃめちゃ純粋な目になっていますよ☆」 高「はぁ、まさに」 美「あのね、あなたの妄想している世界があるじゃありませんか、 美意識の世界とか浪漫の世界とか、 ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896 フランスの詩人)とか ランボー(1854-1891 フランスの詩人)の世界とか、いろいろあるでしょう? そういうものと、お父さまの感じてるランボーだとか、北原白秋だとか 佐藤春夫やなにかの世界と、同じ文字で、同じ詩を読んでいながらも 感度は全く違っていたのね。だからそこの溝が、ものすごく深かったんですよ。 それで精神的な苦しみとか葛藤とか、自分を素直にお父さまに出せない。 『拒絶されるのがわかってる』 そういった気苦労がすごかったでしょう?とおっしゃっているの」 江「それで会話していても『え?』という顔をされるのがものすごく怖い。 それがいまだにトラウマになっていて、ご家族で食卓を囲んでいても 普通に会話したつもりが『え?』という顔をされると 『あ、また変なことを言った・・・』って自分の中でね」 高「それはありますね。自分で作ったものが、詩でも 『え?これでいいの?』と思われるのがすごく嫌で、完璧なものを作らないと、 誰もが『OK!』と言うものを作らないと、見せたくないなという・・・」 国「そういう人が一人でもいると、不安ですか?」 高「不安ですね」 江「でも、本当は理解しようと努めてくださっていたんですよね、お父さんは」 高「多分、そう思うんですよね」 江「本当はそうなんです。お父さん自身は、そういう思いでいるんですよ。 『だから本当は理解したかった、けれども自分自身の方が あまりそういう感性が豊かではないんじゃないか』と 逆に自己否定の方にいっていたんですよ」 美「つまりお父さまはね、戦時中育ちの、そっちの方のトラウマから 抜けられなかった方なんですよ」 江「お父さん自身が、ぬくもりの感じられない家庭の中で育った方らしいんですよ。 そのトラウマで、どう接していいかわからなかったんですって」 高「そうなんですよ・・・ちょっと複雑な・・・」 江「だから実はお父さんこそ、正常なる父としての愛、 情とか、人としての愛念、愛情というものがわからずに、 割と暗中模索していた、試行錯誤というかね。 本当はよき父として、父の愛情とか、そういったものを きちんと表現したいと思いながらも、時に高圧的に出てしまう。 でも、内面は実は自分の方が不安で『自分の方の考え方の方がおかしいのかな・・・』と。 実はお父さんは『自分自身は親を思うトラウマの中でずーっと生きてきた』 お祖父さんとかもおっしゃるんですが、高見沢さんがここに来られた理由のひとつは 『家族トラウマを、今日こそ抜け出ること』 チェックでも言っていた『孤独感』も、普通の、皆さんの共有する孤独感とは違っていて 高見沢さん独自のもので。 一番の身内であると思っている人の顔色を見ながら来た部分があって。 いまこうやって、一見はじけて見えるんだけれども、今もなお 常に自問自答の中で、はじけ切れていないんですよ。どこかで自分で 『いかん・・・』とか・・・」 美「原罪意識で、罪の意識がどこかおありになるのね」 江「最後はほとんど会話にならなかったですからね。 だから、言えないで終わっちゃってるんですよ」 高「そうです。そこが自分としても・・・」 江「本当はお父さんの望みだったんですよ、自分の生い立ちから全部話して死んでゆくのが」 高「僕もね、それは聞きたかったんですよ。いつか聞こう、聞こうと思っているうちに・・・」 江「伝えて死ぬつもりだったんですよ、けれどもそれができずして 体の方がガタンと来てしまったものだから、語りたい思いばかり持ちながら生きて 亡くなっている。表現方法、自由を奪われちゃったのでね・・・」 美「でもお父さんは、何か書いているものか、書籍か何かで それを暗示するようなことを残していらっしゃる感じがするわね」 江「そうなんです。日記かなにか、そういうようなもの」 美「お聞きになっていない?お家の中にそういうもの、残っていません?」 江「まだ整理されていないから・・・整理しないと出てこないと思います」 高「まだですね」 美「それをご覧になればわかる」 江「だから本当の気持ちというものを知ると、まったく見方が変わってくると思いますね」 本当の意味での孤独は、お父さまの方にこそあるとのこと。 江「お小さいときから自分の意思を述べたことがないし 世間の中で負けない生き方をするとか、そういうことだけにこだわって 必死に精一杯生きてこられたから。 だからいつも何となく冷えた家族だったんです。お母さんにしてみても、 『何で夫婦でありながら、みんなが腹を割れないの?』という・・・」 高「そうなんです。団欒はありますけれど、みんな個人、個人なんですよね。 それが当たり前ですからおかしいとは思わなかったんですけど」 江「だからメンバーとの出会いで、初めて兄弟を知ったと思いますよ。要するに 『おい!』って手を引っ張ってくれるとか、『どうしたいの?』とか聞いてくれたり。 最初は戸惑いがものすごくあったと思います」 高「ありましたね」 国「かなり濃いお話になりましたね」 江「それを伝えることを望まれて、ここに来ていらっしゃるんですよ。 まずその土台の、昔を解かないと次に料理できない。 素材は洗って下ごしらえしないと料理できない」 美「次に進まないというの」 国「今の話が下ごしらえですか?☆濃いーですよ☆」 高「そうかー・・・ちょっとサングラスしていいですか?☆」 お顔の上部を、また覆われました。 人生の転機は、アルフィーの皆さまとの出会い。 桜井賢さんとは明治学院高校で、坂崎幸之助さんとは明治学院大学で同級生だったそう。 高「高校時代は、桜井はフォーク、アコースティックグループをやっていて 僕はロックグループで、もう敵対視、相容れない世界。 お互いに存在は知っていましたけれども、あまり口をきいたことはなかったですね」 大学生となり、桜井さんと都立から入学された坂崎さんがグループを組んでいたところ ギターのメンバーが辞めたため、高見沢さんがサポートメンバーに。 高「だから僕、サポートで入ったんです。そのまま今、ここにいるわけですけれどね」 国「必然ですよね☆絶対これは」 高「出会ったということは、非常に。居て楽しかったですよね」 国「そこで生まれたジャンルというのは もうフォークでもロックでもない感じなんですか?」 高「いや、でもアコースティックでした、やっぱり。僕が合わせていました」 美「やってみてどうでした?」 高「最終的にはやっぱりロックの方がいいなと思いましたけれども。 僕は音が激しい方が好きなんですね。 ずっと同じ、静かな、ピアニシモ(極めて弱く)でいくのはちょっと何か。 最後はフォルテ(強く)でガーンと行く方が好きなものですから」 美「だってロックは、始めから終りまでフォルテばかりじゃないですか」 高「そうですね。ですからアルフィーに入って僕がロックをやることによって 最初はアコースティックで始まって、だんだん音が厚くなって、最後はうるさく終わる。 静かに始まって、うるさく終わる☆このパターンが」 美「それは音楽の本質ですよ。音楽とノイズが違うのは何処かといったら 音楽はメロディがあってハーモニーがあってリズムがあって いろいろな条件があるんだけれど、変化ですよ、常に。 ところが、変化のないもの、つまり強弱がなくて、強、強、強・・・これはノイズですよ。 弱、弱、弱・・・これもノイズ。 だから、強弱、弱強、デクレッシェンド、クレッシェンド、 だんだん大きくなってみたり、だんだん小さくなってみたり、 わっ!となったり・・・」 高「びっくりした・・・☆」 美「小さくなったり・・・変化がいっぱいあるわけでしょう? メロディも、モーツァルトが何故いいかといったら マイナーかと思ったら急にメジャーになったり」 高「・・・メジャーになったり、転調したり・・・」 美「だから音楽というのは、それなんですよ。 その条件に満たされないものは、ノイズなんですよ」 高「僕もそう思います。だから僕もノイズというのは嫌いなものですから メロディアスなものを追求しようと。どんなに周りに激しいリズムがあっても メロディはちゃんとしてるというのを、自分なりには心がけているんですけれどね」 美「素晴らしい・・・」 高「ありがとうございます」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」リンク、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 31, 2007 09:24:08 PM
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