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カテゴリ:オーラの泉
舞台「毛皮のマリー」で美輪さんに大抜擢されたこともある役者さんがゲスト。
【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃なりたかった職業→ロックスター。 ☆ 自分の性格をひと言で→頑固者です。 ☆ 苦手なもの→極度の高所恐怖症です。(階段セットの上で)今も怖いです☆ ☆ 最近嬉しかったこと→よくあることと言えば、よくあることなんですけれども 普通に街を歩いていて「頑張って下さい」と声をかけていただいたときです。 ☆ お父さんはどんな存在?→父であり、また友達であり、子供のような、時には… そんな存在です。 ☆ 人生の転機→子供の頃に東京から屋久島の方に引越しをしたんですけれども その時が一番、転機になったような気がします。 ☆ 今の心境→とても…緊張しています。 美「さ、いじめてやろう☆」 国「いしださんは、僕と同い年なんですよね。昭和49年の生まれで、同い年なんですけれども この落ち着き。ただ、上で『相当緊張している』と言っていましたけれども… 僕のイメージですけれども、あんまり緊張しない方なのかなっていうイメージが あるんですけれども」 い「いえ、実はすごく緊張する方なんです…」 国「今日は特に、お二人と会うという部分でしょうか、その緊張感というのは」 い「もう…大半を占めております☆」 国「大半を占めていると☆美輪さんとは面識はあるんですよね?」 美「初めまして☆」 い「初めまして…そんなことないじゃないですか☆ …以前に、あの…何度か美輪さんの舞台に出させていただいて…」 美「ちょうどね、彼が売り出しの頃に話があって…素晴らしかったの、演技が。本当に… 『お父さんよりも素晴らしい才能だなあ』と思っていたのよ」 国「何年前ですか、その初舞台を踏んだのは?」 い「えーっとですね…今から13、4年ほど前…」 美「ねえ…私が二十歳の頃だわ☆」 国「そうですね、単純計算するとね☆…もうこのぐらいでよろしいでしょうか☆ …江原さんとはどうですか?」 い「はい、あの…ご無沙汰しております…」 江「初めまして☆」 国「『ご無沙汰しています』と。これは…TVとかですか?」 い「いいえ、あの…すごく前になるんですけれども、いろいろと相談にのって頂いて… アドバイスを頂いたりとか…しておりました…」 江原さんが個人カウンセリングをしていらした10年ほど前にお会いになったようです。 お父様の石田純一さんが大学二年のとき、二歳年下のお母様と結婚され 壱成さんが生まれてすぐに離婚。壱成さんは父親の顔を知らないまま 母子は流浪の生活を続けたようです。 国「東京から屋久島に引っ越したんですか?」 い「はい、そうです」 国「これは何故、屋久島だったんですか?」 い「あの…僕もそう思ったんですけれども、あの…母親がですね、どうやらその… 都会を離れて、自然の中で、全て自給自足の生活をしてみたいという気持ちがあったみたいで… それで自動的に連れられるようにして…」 国「自給自足というと、畑も自分で耕したりとか…」 い「はい…あの…まず、朝起きてすることは、川に水を汲みに行きまして その後に薪を使って火をおこして…その頃に親を起こして…」 国「え?親を…お母さんはまだ寝てて?」 い「まだ寝てて。その後に僕の仕事というのは、ヤギの乳を搾りに…」 国「何時代ですか、それ?☆」 い「一応…昭和でしたね☆」 国「へえー…それは、苦ではなかったですか?」 い「もう…ぶっちゃけて言いますと、それまではずっと都会でしたから まあ家に帰れば電気もすぐつくし、冷蔵庫を開ければ物が冷えている。 それがいっぺんに無くなったので、さすがに戸惑うことはありました」 国「あの、引越しの数もすごく多いんですよね?」 い「はい」 国「何回くらいしたんですか?」 い「記憶にある限りで…ええっと…51回目…」 国「51回?」 い「はい…」 国「お母さんってどんな方なんですか?」 い「…その…漂うことが…あまり一箇所の場所に執着せずに…」 国「あ、じゃあ屋久島も、そういう経験をして、すぐまた違う所へ行ったんですか?」 い「そうですね」 国「ちょっとそれ…何か言わなかったですか、子供の頃に 『ちょっともう、落ちつかねえ?』って」 い「転校が多いのは、さすがに困るって言いましたけれども☆」 国「そうですよね」 い「いわゆる幼なじみっていうのが、僕は…いないので…」 国「はいはいはい…お母さんと暮らしているときに、51回引越したんですか?」 い「いえ…あの…一人になってからも、結局…癖のようになってしまったんですけれども」 国「一人暮らしをしていても…」 い「…また、次…」 国「一番短くて、どのくらいで引っ越したんですか?」 い「…3週間」 国「はや!☆探すのが大変ですよね、その間に」 い「滞在したんです☆」 国「滞在ですね、本当ですね☆」 美「そのへんはね、後で江原さんが全部、分析してくださるから☆」 国「なるほど、これもね、意味があるんでしょうね」 美「意味があるのよ」 国「子供の頃、お父さんがいないというのは、ちょっと寂しくなかったですか?」 い「はい…あの、正直に言うと結構、寂しい部分は、ありました」 国「それをお母さんとかには、別に言わなかったんですか?」 い「ええ。ただ…あの…母親がお付き合いしていた人が、まあ、僕からすれば 『お父さん』っていうような…構成になったりしましたので、それほど そういった意味では、あの…すごく寂しいとか、そういうことはなかったんですけれども… ただ…学校の、あの…何でしょう、通信簿、じゃなくて連絡網ですか。 ああいうのに大体、ご両親の名前って、どなたでも書いてあったのが 僕のところだけ母親の名前で…それが発覚して、やはりまあ いじめではないですけれども『何で?』って言われて…」 国「『何でお前のところ、母ちゃんの名前なんだよ?』とか…」 い「はい…」 国「それはお母さんにも言ったんですか?」 い「いえ、そんなには…言わなかったです…」 国「自分の中で、止めていたということですか?」 い「そうですね…『あまり言わない方がいいのかな…』っていう…」 美「いや…『お母さんを傷つけるんじゃないか』って思ったんでしょ?」 い「はい…どうしてもやっぱり…『言わない方がいいな』って。 すごく好きでしたから、母のことが。今でも当然、そうなんですけれど ちょっと子供の頃って、また違った愛情表現の仕方だったと思うんです… もうどっちかと言うともっと『好き!』みたいな…」 国「自分のお父さんが石田純一さんだと知ったのは…どうやって知ったんですか?」 い「あの…ふとしたときに、自宅でTVがついてまして、たまたま、とあるクイズ番組に… で、こう…まあ引きの絵で、回答者の方がザッと並んでいてその中に。『あ、』っていう… 『どうしたの?』と言ったら『お父さんだよ』って」 国「『ウッソー?』ってならないですか☆」 い「『ウッソー?』って言いました☆」 国「ですよね。とこかで信じられない部分もあったりとか…」 い「『え?この人が…あ、…格好いい人だね』っていう風に…」 国「それまでは、石田純一さんをTVで観るということはなかったんですか?」 い「はい。あの…TVすらもない家だったんですね」 国「なるほど…それでTVのところで『お父さんだよ』と…」 い「…初めて、言われて…」 美「そういう親子のね、『別れた、別れてない』というのは、父親と息子というのが 『何年ぶりかに会ったら、ぶん殴ってやろうかと思ってた』とかね いろんなことがあって…という気持ちはおありにならなかった?」 い「全くなかったです…」 美「…優しいのね…」 い「え…どうでしょう…何かこう…どこか切り離して考えるように していったのかもしれないです。 『自分の父親』っていう人と、『いま一緒に暮らしている大人の男の方』と。 こっちの方をもう、自分のお父さんだと思うように…自分の中でずっとしていましたから…」 美「お母さんの相手の人ね」 い「はい、そうです。この関係も壊したくはないし、でも別で 『TVに出るような仕事をしているんだ』というのは、そのとき初めて知って…」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 21, 2008 07:03:52 AM
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