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カテゴリ:美容
先日市役所に行ってエレベーターに乗ったら頭上にカメラがあり、乗客を映していた。ふっとモニターをみたら頭のてっぺんがピカピカに輝いている人がいた。まさか自分とは夢にも思わなかったが、二人しか乗っていなくてもう一人の人は若くて黒髪黒々の人だった。だとすれば自分しかいない。薄いことは分かっていたが、これほどとは思っていなかったのでショックだった。
人間には自分に見えないところがある。鏡を組み合わせれば見えるかもしれないが普段は頭のてっぺんや後ろはみることができない。知らぬが仏でこんなにも禿げているとは知らないで普通に生活していたが、てっぺんから後頭部にかけてこんなに禿げていたら恥ずかしくて外が歩けないとふっと思った。 おなかが出ていることは自分でも目で確かめることができるが、頭のてっぺんや背中のことは分からない。他人には見えて自分には見えないものは、外見だけでなくて人間性とか、性格なども自分には見えないところがある。 外見や性格などで自分には見えない部分も他人からは丸々見られているのかと思うと、恥ずかしくなる。その見えない部分を何らかの方法で見てしまったらもう前と同じようには他人と付き合えないと思ったりする。思いのほか自分の頭が禿げていたり、背中が曲がっていたりするといやだと思うが、鏡がない時代には自分の顔だって自分には分からなかったのである。 日常生活では鏡を見ながら生活しているわけではない。他人と向き合って生活しており、自分の姿は他人に映り、他人の姿は顔や性格を含めて自分に見えるのである。他人がいい顔をしていたら自分の姿はいいのである。吐きそうないやな顔をしていたら自分はよっぽど嫌な姿をしているのである。 自分には見えないところがあっても他人には全て見られているのである。自分に見えないところをカツラをつけたりして修正するより、自分を映している鏡である他人を見て修正するほうがいいと思う。他人がニコニコしていい顔をしていたら自分の姿は素晴らしいのだ。他人という鏡に映る姿を良くすることこそ最高の美容ではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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