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今が生死

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2021.05.22
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カテゴリ:読書
谷川俊太郎氏(89歳)

文学界5月号に詩の大家 谷川俊太郎と高橋睦郎の対談が掲載されており、それぞれ新作詩を発表していた。
谷川氏は「なぜ生きる」を載せていた。
           
           なぜ生きる   谷川俊太郎

なぜ生きる?と問われたら
生まれたからと答えるしかない
いのちに理由はない
喜怒哀楽があるだけで十分だ

今朝も眠っている間に
日の出があったと見えて
窓を開けたら世界が眩しかった

隣の家の屋根に瓦があるのを
再確認した
耳があるのは有難い
耳は雀のさえずりを聞いている

些事が大事に劣らないこの世
老いも若きも弁じてやまないが
無意味の重みは腑に落ちているのか

生きる意味は「生まれたから」と答えるしかないのはその通りだと思う。窓の外を見たり雀のさえずりを聴くのも生きているからだと思う。しかし第四小節目は意味があまりよく分からない。些細なことも大事なことも同じように大事なのだよということを言おうとしているのだと思うが最後の一行「無意味の重みは腑に落ちているのか」になると分からなかった。読者各々に考えてもらいたいということかも知れない。老いも若きも色々論じているがそれは無意味なことなんだよと言いたいのか、無意味ということの重要性は理解しているのか?のどちらかだと思ったが、私は後者ではないかと想像した。
世の中には些細なことも大事なことも、意味のあることも無意味なこともあるが無意味なことも生きていく上では重要な事なんだよと言っているのではないかと思った。
ある人は時間を無意味なことに無駄に使ったりすると焦りや後悔や自己嫌悪にさいなまれる。世の中には価値あることと無意味で価値ないことがあると思っていて価値ないことに時間を費やすことには罪悪感さえ感ずる人もいる。
しかしこの詩の作者は、生きるというのはそれほど大それたことではなく、生まれたから生きているというだけで屋根瓦を見たり雀の声をきいていればいいことで、生きてる間に何かをしなければならない、それには時間が足りないとあくせくしなくてもいいのではないかと言っているのではなかろうか?
ある人から見ると「なんとのん気なことを言っている詩か?」と思うかも知れないが最後の一行「無意味の重みは腑に落ちているのか」で人生で最も大事なことを詠んでいるのかもしれないと思った。





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Last updated  2021.05.22 15:36:19
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