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2013.11.07
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 こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。

 

 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。
 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか?

 

 先日、同僚のOstrya japonicaさんが養老牛を歩いたと聞きました。好評のうちに幕を下ろした難読地名シリーズvol.30は「養老牛」でした。
 第30回になる今回は、先人に倣って、養老牛を題材にしたいと思います。

H30-01_標津川.jpg標津川

 

 標津川上流に位置する養老牛温泉の利用は、約300年前にさかのぼります。利用していたのは、アイヌの方々で、イオマンテ(熊送りの儀式)などを行っていたようです。
 松浦武四郎の「東蝦夷日誌」(文久3年(1863年))にも養老牛と考えられる記述があり、150年以上前から存在は知られていたようですが、温泉地としての利用は最近のことです。

 

 温泉地として開発の手が入ったのは、大正5年(1916年)西村武重氏によって始まりました。西村氏は大正9年に「養老園」を開業し、ついに養老牛温泉としての歴史が始まったのです。
 その後の歴史をまとめたモニュメントがあります。養老牛史実案内盤です。

H30-02_養老牛史実案内盤.jpg史実案内盤

H30-M.jpg

<地図の出典>
 この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら

H30-03_駅逓跡.jpg駅逓跡

 かつて、養老牛駅逓があった場所で、史実案内盤は静かに歴史を語ってくれています。

 

 そして、時代は流れ、昭和10年ごろ、養老牛の名がようやく知られるようになります。
 その後、養老牛温泉は、北海道を代表する温泉地の1つとなり、「男はつらいよ」などの映画の舞台となったのです。

 

 

 話を戻します。
 養老牛は、かつて「ヨローシ」あるいは「養老趾」と書かれていました。現在の漢字が当てられるようになったのは、大正10年ごろのことです。

 

 この「牛」の字にちなみ、モアン山の表には大きく「牛」と書かれています(Ostrya japonicaさんは、裏側を歩いたために、見られなかったようですね)。

H30-04_モアン山.jpgモアン山

 

 ところで皆さん、少し変なことに気づきませんか?
 「牛」の字が当てられたのは大正10年頃ですが、中標津町で、酪農が発展したのは、その後--昭和2年の第2拓殖計画と昭和8年の主畜農業5ヵ年計画の後になります(詳しくは歴史探訪シリーズ第13回および第14回をご覧ください)。
 西村氏に先見の明があったのか、はたまた、ただの偶然か、温泉に浸かりながら考えれば、いいアイデアも湧きますかね?
 皆さんも、考え事があるときは、養老牛にお越ください。

 

参考文献:中標津町史
参考文献:北海道の温泉 源泉・かけ流しの湯(本多 政史 著)
参考文献:郷土研究なかしべつ第三・四号(なかしべつ町郷土研究会 編)
参考文献:目で見る釧路・根室の100年(高嶋 弘志 監)

 


■補足

「目で見る釧路・根室の100年」を紐解くと、昭和40年ごろの養老牛温泉紅葉まつりの写真が掲載されていました。
2013年現在では、このイベントは途絶えてしまっていますが、2016年には開湯100周年になります。なかしべつ観光協会のHPにも特設ページが公開中です。
何が、用意されているのか、期待に胸が膨らみますね。


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最終更新日  2013.11.07 18:14:10


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