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カテゴリ:根室(ねむろ)地域
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。
先日、同僚のOstrya japonicaさんが養老牛を歩いたと聞きました。好評のうちに幕を下ろした難読地名シリーズvol.30は「養老牛」でした。 標津川
標津川上流に位置する養老牛温泉の利用は、約300年前にさかのぼります。利用していたのは、アイヌの方々で、イオマンテ(熊送りの儀式)などを行っていたようです。
温泉地として開発の手が入ったのは、大正5年(1916年)、西村武重氏によって始まりました。西村氏は大正9年に「養老園」を開業し、ついに養老牛温泉としての歴史が始まったのです。 史実案内盤 <地図の出典> 駅逓跡 かつて、養老牛駅逓があった場所で、史実案内盤は静かに歴史を語ってくれています。
そして、時代は流れ、昭和10年ごろ、養老牛の名がようやく知られるようになります。
話を戻します。
この「牛」の字にちなみ、モアン山の表には大きく「牛」と書かれています(Ostrya japonicaさんは、裏側を歩いたために、見られなかったようですね)。 モアン山
ところで皆さん、少し変なことに気づきませんか?
参考文献:中標津町史
■補足 「目で見る釧路・根室の100年」を紐解くと、昭和40年ごろの養老牛温泉紅葉まつりの写真が掲載されていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.11.07 18:14:10
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