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カテゴリ:宗谷(そうや)地域
宗谷総合振興局地域政策課のともちんです。
「稚内から船で行くヨーロッパ・サハリンを旅してきました!(前編)」は
詩人であり作家の宮沢賢治は、1923年稚内を経由してサハリン(樺太)を訪れました。 この旅は、前年に亡くなった妹とし子の魂の行方を探そうとする旅であり、 草むらに、かつての線路のまくら木が・・・。 そして、少し離れた場所には駅舎の建物の基礎が残っています。 この栄浜駅が、「銀河鉄道の夜」に出てくる「白鳥駅」のモデルとなったという説もあります。
工場の建物は、日本統治時代の1917年に建てられました。 終戦後も工場は操業を続けていましたが、木材不足により1995年に閉鎖しました。その影響で、一時は約3万人だったドリンスクの人口は減少し、現在は1万2千人を切っています。 こちらは、ドリンスク市内のロシア正教会。 釘を使わない楔(くさび)を使った建物は、15、16世紀の建築手法を再現したものだそうです。 サハリンにはロシア正教の教会が多いですが、ペレストロイカ以前はあらゆる宗教が統制され、現在は教会で行われている礼拝も、隠れて行われたそうです。
ロシアでは現在も兵役制度がありますが、こちらは、ソ連時代の1950年代~80年代に、アフガンやチェチェンなどの戦争で亡くなった若者たちの慰霊碑です。 「栄光の広場」の通りの奥には、「旧:樺太神社」の参道跡があります。
「樺太神社」から移設された狛犬です。
「ブリヌイ」という、クレープに似た料理です。イクラやサケの塩漬け、香草などを包んで食べます。 こちらは「ボルシチ」。前日のお店のボルシチはトマトなど色々な野菜を使っていましたが、このお店では、赤紫のビーツと牛肉のシンプルなボルシチです。 「ハッシュドビーフ」です。日本ではライスと一緒に食べますが、こちらでは、ゆでたじゃがいもをつぶしたマッシュポテトが添えられています。
最後になりましたが、稚内北星学園大学の学生が制作した、「樺太」をテーマにしたドキュメンタリー「私たちは【カラフト】を知らない」を紹介します。 戦争を知らない女子学生が、樺太からの引き揚げ者から話を聞いたり、サハリンに行き日本統治時代の痕跡を探すなどの過程で、思いが変化する姿をロードムービー風に描いた作品で、昨年秋の全映協グランプリ2016で、学生部門の最優秀賞である文部科学大臣賞を受賞しました。ぜひ、ご覧ください! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.08.17 09:05:25
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