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カテゴリ:大田区
アーケードの途切れ目というのは、そこを通り過ぎる時に胸が高鳴るのを決まって抑えられなくなるのです。無論、日常的に利用して慣れ親しんだとしたらそんな感慨に浸る気持ちの高揚など起こり得ぬだろうし、しかも胸の高鳴るのはアーケードの切れ目に限った事ではない。地下道に降る階段に足を踏み出す瞬間にしろ今いる空間と異質な場所へと移行するのは何にせよそれなりに興奮するものであります。危険なのはどんなに初めての境界超えであれ、その行動自体に慣れてしまう事です。人はいつまでも初心で無知なままではいられぬ生き物のようで、つい以前の刺激と比較せずにはおられないのです。つまりはそうした場所を好んで渡り歩くうちに感性が摩耗するのはやむを得まいと思うのです。もっとあれこれ書こうと思っていたけれど、こんな事は語ったところでどうにもならぬものです。やはりこうした所詮は趣味の延長のような愉しみに情熱を傾け過ぎるのはいろんな意味で良くないのだろうと思うのです。家族や友人、同僚なんかに迷惑をかけぬ程度に節度を持つべきなのでしょう。世には本気で酒場評論家を目指すアルコールが些か回り過ぎで夢を見過ぎだと思うのです。いくらかニーズのある映画評論家などの映画を語る場合であってもその生業だけで食えている人など片手に余るのではないか。小遣い稼ぎ程度に思うならそれは良いと思う。死ぬまでに一冊でも著作物を残したいと思う人もいるようだけれど、だったらさっさと自費出版するのが良いのでないか、きっと出版されたそれを手に取って思っていたような感慨など湧くまいと思うのです。いや、今ではそんなロマンチックな感性を持つ人だけが本を出版したいと思うのだと思うのです。酒場の本が将来に渡って残るなんて、ぼくにはとても信じられぬのです。 とまたも身も蓋もない発言をしてしまった。ゆめゆめ本気の方がおられるとは思わぬけれど、もし上段をお読みになったとしたら即忘却の彼方へと追いやって頂きたいのです。さて、アーケードの外れにある「めし処 壱番隊」にお邪魔しました。暖簾には「懐かし定食や」とあるのが、ちょっとわざとらしいなと思うのです。カウンターには各種惣菜が盛られた大皿が並べられ壮観でありますが、生憎と食欲はまるでないときた。お通しのひじき煮と格好だけ頼んだラッキョウたけでも持て余すくらいです。しかしまだ呑み出したばかりだから呑みの余力はまだこれからというコンディションです。さて留守番的な店の閑散時間帯を担当されているおかあさんは、中休みということで丁寧にもぼくに断ってお握りをぱくつきます。これだけの料理が並べられているのだから少し位賄いに回したら良さそうなものなのに。おかあさんによるとこちらの店主は体調を崩して入院されておられたとか。おや心配だねえと言葉を掛けると、しかし無事退院なさったそうで何よりです。ここの存在は以前から知っていたし、ついさっきも通りすがりに覗いてみたのだけれど、いつも盛況で席が空いてるのを見たことがなかったから、もしかすると一番良いタイミングで来れたのかもしれぬ。時はおやつ時だから、差し詰めぼくもおっさんのおやつ時といった感じでしょうか。まあ、摘むのが甘いとはいえラッキョとひじき煮だし、何より呑むのは少しも甘くない酎ハイなんですけど、商店街の開放的で客の引いた定食屋で夕暮れ前にゆるりと酒を呑むという少しばかり背徳的なひと時を楽しむのです。贅沢というのはお値段もそうかな、ちょっとお高めですがまあそれも贅沢な時間と場所が値段に含まれてると考えるのがいいのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/10/25 08:30:13 AM
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