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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:ハンガリー映画
ハンガリーに生きる親子三世代にわたるドラマを、ブラックでアートに綴る。 祖父、父、孫、それぞれが繰り広げる人間の欲望と命の極限を巡る数奇な物語。 物語は、祖父モロジュゴバーニが生きた第二次大戦中に始まります。 人里離れた寒村で、中尉にこき使われるモロジュゴバーニの唯一の愉しみは、倒錯した性の妄想に耽ること。 その子どもである父カールマンは、共産主義政権の下でスポーツ大食いの選手となり、孫ラヨシュは、肥満で身動きさえできない父を世話しながら剥製師となるのでした―――。 強烈な視覚的刺激をもって欲望を描くに留まり、あえてなにかに迫ったとはいえないけれど、おぞましくて、目を背けたくなるなるような三人の男たちが頭に焼きついてなかなか離れません。 陰部やら吐瀉物やら臓物やら、、、嫌悪感でいっぱいになるけれど、良く言えばシュヴァンクマイエル作品のような雰囲気で、手作り感に溢れています。 物語を作り出したというよりは、凝ったカメラや映像によるビジュアル映画。 血の繋がった親子であっても、遺伝子的繋がりがあまり感じられなかったのは残念なところ。 祖父と父の欲望の種類を、性欲、食欲という言葉で表すなら、息子ラヨシュにはどんな欲があったのだろう。 彼が求めていたのは永遠?それとも不変。 せっかくインパクトのある人物だったのに、ラストで成し遂げる恐るべき顛末に、彼らしい哲学が感じられなかったのはもったいない気がしています。 感情に届くのは視覚による作用ばかりで、内容的にはいまひとつ。 グロイこと覚悟しつつ、世の中にはこんなに醜いこともあるのだ!と実感したいときにはおすすめです。(なかなかないと思うが、、) 監督 パールフィ・ジョルジ 原作 パルティ・ナジ・ラヨシュ 脚本 ルットカイ・ジョーフィア パールフィ・ジョルジ 音楽 アモン・トビン 出演 ツェネ・チャバ トローチャーニ・ゲルゲイ マルク・ビシュショフ コッパーニ・ゾルターン (カラー/91分/ハンガリ=オーストリア=フランス合作) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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レビューにも書きましたが、この映画はかなり理性的(頭脳的、頭で考えた)ものではないかと感じました。感性に訴えかける オゾマシ映像 とは裏腹に。
- ハンガリーもブルガリアもルーマニアも、ポーランドやチェコスロバキアも、戦後の権力地図の下でソ連圏になっただけで、望んで共産国となったわけではない。そこに各国文化的葛藤を抱えていた。 - ところでポーランドのキェシロフスキが言っているけれど、反体制的なことは直接は言えないから、映画ならそれを例えばラブストーリーとして描く。でもそのメタファーを観客はしっかりと読み取る。こうした国々の作品にはそうした伝統がある。 - その意味でこの映画も何層もの重層性があり、親・子・孫の3代はそれぞれハンガリーの3時代を象徴している 層 もある。 - 別の 層 としては人間の欲望もあるし、また別の 層 として人の動物的生理もある。情念もあれば理性とか思想もある。そういうものの総体として捉えなければならないのがこの作品だと思います。 - 単一のテーマを解り易く描いたのがハリウッド映画なら、深く物事を考察しようとして解り難いのがヨーロッパ映画。それとも違って、一つではない複数のテーマを一つのストーリーに重ねてしまっているのが、この手の映画だと思います。感じるべき 層 は感じて考え、頭脳的 層 はそれとして頭で捉える。そういう風に鑑賞すると、各 層 個別にではなく、何 層 もの総体として見甲斐のある作品でした。 (2009.04.11 01:10:54)
映画の事は知らなすぎでコメントは出来ませんが汗、
なんだかすごい映像でコワイ・・・ね。 はるさんってほんと色々映画観てるね~ 話が変わるけど、もうそろそろ仕事も慣れてきたので 会いましょう♪ (2009.04.11 17:21:31)
>はかなり理性的(頭脳的、頭で考えた)もの
そうですね。 それゆえ、揺さぶられることはなく。 後味は複雑で。 もっと広い心で受け入れながら見たらよかったかもしれません。 祖父があまりにもあれでしたので、引き気味になってしまったのは確かです、、。 層をばらばらに受け取ることで、オムニバス映画を観たときのような印象となるのは否めません。 ひとつひとつが濃くても、作品全体を評価するのがむつかしいような。 (2009.04.11 22:41:51)
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