1225778 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

オフミの温泉メロディ

オフミの温泉メロディ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カテゴリ

コメント新着

お気に入りブログ

The Zombies - Hold … ken_wettonさん

The 115.NDR-Jazzwor… araiguma321さん

人生半分・・・・ま… ララオ0181さん
「人生の一日」  か… カマタアキヨシさん
アラフィフおやじの… 高島平さん
ると小屋(☆゚∀゚) りと様さん
Nov 25, 2006
XML
カテゴリ:よもやま話

先日、仕事の関係でカンボジアからのお客様を平泉にご案内した(注:私の仕事は「観光関係」ではありません)。

世界遺産、アンコール・ワットはちょうど1100年代初頭、中尊寺と同時代に建造が始められており、また平泉自身も平成20年7月に世界遺産の指定を目指していることもあって、客人にも非常に興味深くご覧いただくことができた。

しかし、中尊寺、毛越寺ともにいかにもありがちな写真(下の二枚。たはは・・)を撮ってしまったので、文章で補強しないとならないが、新たに文を起すだけの素養もないので、「平泉」のパンフレットから少し引用させていただく。

「12世紀、藤原清衡は中尊寺を造営、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院と、父子三代、100年にわたって仏教による平和な理想郷を建設した。
平泉はまた、薄幸の武将源九郎義経の終焉の地である。平家の公達を西海に沈め、輝かしい戦跡をおさめた一代の英雄は、一転兄頼朝の反感をかうところとなり、追われる身となって平家に落ちて来る。
秀衡の死後、後を継いだ四代泰衡は鎌倉の圧力に耐えかね、文治5年(1189)義経を攻める。弁慶ら主従の奮戦むなしく、ついに妻子とともに自害する。ときに義経31歳。



写真の金色堂の須弥壇の中には、三代秀衡までのご遺体と、四代泰衡の首級が治められている。
内部は撮影禁止であるが、堂内には、本尊阿弥陀如来を中心に、11体の仏像が三壇に安置され、堂の内外はすべて漆に金箔を押し、柱や須弥壇には金銀宝珠がちりばめられている。



次の写真の毛越寺は「吾妻鏡」に「吾朝無双」とうたわれた霊地であり、かつては「金銀をちりばめた紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くした」という伽藍が立ち並び、極楽浄土を地上に表現したという庭園が造られた。
今、建造物のすべては消失したが、浄土庭園と呼ばれる大泉が池がゆるやかな曲線を見せている。」

ところで、この地域にはこういう「わんこそば」の形式だということを始めて知った。
写真は中尊寺と毛越寺の間、国道沿いにある「泉橋庵」。



どんどんそばを放り込まれる盛岡方式と違って、自分のペースで食べていけるのが嬉しい。
こういうそばって、薬味の種類が多いのも食欲をそそる。
全体に、なかなかのお味でした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  Nov 25, 2006 07:21:23 AM
コメント(8) | コメントを書く
[よもやま話] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X