2月第3回‘光圀伝’
2月第3回‘光圀伝’私の世代では、テレビ時代劇 ‘水戸黄門’でお馴染みの水戸光圀の物語。仕事が混んでいたのと重なったこともあったのだけど、750ページもある物語でなかなか読み終えられなかった。ただ、読んでいる時はおもしろくてページが進む。冲方丁さんの文章が読みやすい。(実質的に私の読書力では、300ページくらいの小説を2週で読むくらいだから、750ページに1か月かかってもおかしくないのです。)人それぞれに心に持つ‘義’(ここで‘義’の定義はなんなのか...となりますが、ここでは‘人が人生において、生きるために信ずるべきこと、間違ってはいけない基準’みたいな感じと浅学な私の中で簡単に定義させてもらいます。)は違うので、それがぶつかってしまうのは仕方ない事。もしかしたら、その大きな衝突が戦争なのかもしれないけれど。(でも、戦争を仕方ない...とは私は言えない、考えられないですが。)‘義’を通して生涯を終えられる人はほんの一握りなのかもしれない。光圀ほど力を持った人物でも‘義’を貫くことは簡単ではないと知れる。では、‘義’なんて持たなければいいと思うところはあるのだけど、信じるべきものがない人生はどういう意味があるのだろう...という気もする。今更ながら、こういう過去の人物や過去の出来事の物語を読むことで、その時代にちゃんと今のように時間が流れていたことに気づく。時間が流れていたということは、今、私が実感しているような長い(はず?の)人生があって、長い苦しみ、一瞬の喜びがそこにもあった。そういう実感がなされることで今の状況を大きく、逆に小さくも見られるような気がする。歴史に学ぶことが多いです。(年号を覚えるようなだけではダメなのですよね。)光圀伝 [ 冲方丁 ]