現在の日本の政治が「とても信頼できる」ものだ、子どもたちが民主主義を学んでいく上でお手本になる素晴らしいものだ、と考えている人は少数でもでもいるでしょうか。
全然だめだ、という声は山のように聞こえてきます。しかし、どうすればその現状を打開していけるのか。私は、「優れた指導者が登場すれば・・・」という発想そのものを変えていく必要があると考え、6月12日に開かれた「自然エネルギーに関わる総理・有識者オープン懇談会」に注目してきました。
まさに、この会を主催した内閣府参与の田坂氏はインタビュー記事(月刊誌『Voice』)の中で、日本の(政治の)あり方の根本的な変革を展望していたことを述べています。
注目すべき発言の後半部分を以下に転載しておきますね。
内閣府参与 田坂氏のプロイールはこちら。
――近くでご覧になって、率直に菅総理は、指導者としてどうなのでしょうか。
田坂 もとより、理想的な指導者像と比較すれば、誰といえども、不十分な点はあります。しかし、内閣官房参与という立場は、現在の内閣を統轄する総理を補佐するのが役割。その総理の強みを生かし、弱い所を補うべく努めなければならないと思っています。
そして、その職務を通じて、複雑な政治の状況のなかでも、現実を1ミリでも良き方向に変えていけるかが問われているのでしょう。そして、私自身は、もっとも重要な仕事は、国民の声や思いを官邸に届けることと考えています。
ただ、あえて申しあげるならば、菅総理は、総理になる前から、誰よりも「官僚主導の打破」と「政治主導の実現」を訴えてきた。その総理が、政府のあり方を思うように変革できているかといえば、けっしてそうではない。官僚組織は、組織としての「慣性力」がきわめて強い。
官僚の一人ひとりと話をすると、誰もが優秀で、職務に対して忠実であり、使命感もある。そして、善意もあり、人間的にも好感のもてる人が多い。ところが、それが官僚組織という「システム」になると、硬直的で、非効率的で、国民にとっては、「温かみのない組織」になってしまう。
なぜか、一人ひとりの願いや思いを超えて、悪い方向に向かってしまう。現在の政治や行政の姿をみていると、「地獄への道は、善意で敷き詰められている」という言葉の怖さを、つくづく実感します。
ジョージ・オーウェルも、未来社会においてわれわれが戦うべき相手は「システム」だというメッセージを残していますが、このシステムを変えていく戦いは、じつは、政権交代を実現し、政党が代わっただけで簡単に進むものではないのですね。いわんや、「総理さえ代えれば何かが変わる」というほど簡単な話ではない。
では、このシステムを変えるために、何を変えるべきか。
私は、まず変えるべきは、われわれ国民一人ひとりの意識だと思うのですね。そのためには、長く続いた劇場型政治や観客型民主主義を克服しなければならない。 「誰か面白い変革ドラマをみせてくれるリーダーはいないかと考え、人気のある政治家がいると、期待し、投票し、リーダーにする。しかし、まもなく、そのリーダーに飽き、幻滅し、また、次のリーダーを探す」。そうしたヒーロー願望と幻滅が繰り返されるだけです。その原因は、われわれのなかに巣食っている「自分以外の誰かがこの国を変えてくれる」という依存の病であり、この病をこそ克服しなければならないのですね。
そして、この病を克服したとき切り拓かれるのが、一人ひとりの国民が社会の変革に参加する「参加型民主主義」の時代なのだと思います。そして、じつは、いま、この新たな時代を切り拓く好機が到来しています。なぜなら、今回の大震災後、多くの日本人が「被災地のため、この国の復興のため、いま自分に何ができるのか」を真摯に考えているからです。
こんな時代は、かつてなかった。いまこそ、こうした国民のエネルギーを、素晴らしい国づくりへと向けていくことができるならば、政治が変わると思うのです。
そして、この参加型民主主義を実現していくために、自然エネルギーというのは、格好のテーマなのです。なぜなら、原発をつくるかつくらないかは、いくら国民が議論しても最後は国と電力会社に任せるだけの話になってしまう。しかし、自然エネルギーは、議論ののち、国民が自らの手で取り組むことができる。その気になれば、すぐに太陽光パネルを導入することもできるし、節電に取り組むこともできる。
まさにそれは「参加型エネルギー」であり、われわれ一人ひとりが日々の生活を通じて新しい社会づくりに参加できるのです。その意味でも、今後、自然エネルギーは力強く推進していくべきでしょう。これは観客型民主主義から脱却するための、一つの有力な方法だと思うのです。
◇ネット直接民主主義で政府のあり方を変える◇
――それが6月12日に、Webの動画中継を通じて全国に発信した「自然エネルギーに関する『総理・有識者オープン懇談会』」にも通じる思いでもあるわけですね。
田坂 そうです。五人の有識者と総理の懇談会をネット中継し、延べ15万人を超える方々が視聴し、ツイッターなどで15,000件を超えるコメントや質問が寄せられました。私自身、内閣官房参与として取り組みたかったのが、この「開かれた官邸」のスタイルでした。つまり国民と政府中枢を直接結ぶ、双方向性のある開かれた場づくりでした。
その場で、有識者を交えて賛成派も反対派も意見のやりとりをする。そうしたなかで、国民的な議論が巻き起こり、国民の行動が生まれ、政治への参加意識が自然に育っていく。こうした場がなければ、国民はどこまでも「お上と下々」という古い感覚に縛られたままになってしまう。インターネット革命が1995年に始まり、もう16年たっている。私はもともとインターネットの論者ですから、こうした日が来るのを待っていたのです。
――ネットを活用した直接民主主義の動きは興味深いものですが、反面、菅総理が総理であるからこそ、それがある種の市民運動的なイメージでみえてしまっているところがないですか? たとえば6月15日の「再生エネルギー促進法成立! 緊急集会」では、「オープン懇談会」にも参加した孫正義氏や小林武史氏が顔を揃え、そこで菅総理が得意のアジテーション演説を行なったので、とても、昔ながらの市民集会と二重写しになってしまいます。
田坂 「オープン懇談会」と「緊急集会」は、たまたま出席者が重なっていますが、それぞれまったく別の主催者であり、私自身、緊急集会の企画には関わっていません。
「オープン懇談会」はインターネット革命の時代の新しい民主主義のあり方、参加型民主主義をめざすものであり、かつての市民運動とはまったく違うものです。それは、むしろ、政府と国民の新たな対話のスタイルといってもよい。したがって、この新たな方式は、総理が代わっても、政権が代わっても、続けていっていただきたいですね。
おそらく、こうした参加型民主主義の新たなスタイルが広がっていくことによって、市民運動のスタイルも進化していくのでしょう。そして、政府のリーダーのスタイルも変わり、政府のあり方も変わっていく。
3月11日は、すべての国民にとって忘れがたい痛苦な経験でした。しかし、だからこそ、われわれは、この時代を、何としても、日本新生の転機にしていかなければならない。そして、そのためにも、いま、政府自身が、大きく変わっていかなければならないのですね。
教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)