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カテゴリ:教育論・教育問題
色々な評価がなされている安倍談話ですが、部分的には充分納得できる内容もあります。例えば以下の部分。 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」 しかしながら、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くの人々を勇気づけた」と自慢したり、現在すすめようとしている安保法案を念頭に「積極的平和主義」という言葉を使うなど、談話の全体的内容がちぐはぐな印象を与えるのです。 〔「ダラダラした印象をぬぐえないちぐはぐな安倍談話」ですが、それとは対照的な「チャップリンの史上最高のスピーチ【独裁者】という動画」を知りました。ぜひご覧ください。〕 http://ameblo.jp/shchan3/entry-12075502188.html また、冒頭で引用した「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」については全く異存ないのですが、「向き合うべき歴史」の内実をどのように創っていくかが問題なのです。 私が先日、あるコラムに投稿した以下の文章、よろしければご一読ください。 ▼先日、県中部で行われた「新しい歴史教科書をつくる会 」が主催する会に参加した。会の目的は「子どもたちが日本に誇りを持てる教科書で学べるようにすること」だという。「これまでの教科書が日本を不当に悪く描いていたこと(自虐史観)を改めるべきだ」というのが、会の主張なのだ。 ▼そうすると、ナチスの暴虐に正面から向き合い子どもたちに歴史を伝えようとするドイツの教科書こそ「自虐史観」の典型だということになるのだろうか。証拠が不十分だ(ない!)と主張しながら南京大虐殺や軍慰安婦という性奴隷制度を否定しようとする「つくる会」とは対照的に、ドイツは自ら現地取材も含めて事実を確認することで、教科書と歴史教育をつくり上げてきた。 ▼「戦後五〇年」を機に、来日したワイツゼッガー元西ドイツ大統領は講演で述べている。「ドイツも日本も勇気をもって自らの過去と向き合い、それを伝えていくことが大切だ。そして、連合国も勝つためにとった手段が全て正当化されるものではないという事実に向き合う必要がある」と。子どもたちだけでなく我々にとって大切なことは、過去と向き合い「世界に通用する歴史観」を身につけることではないだろうか。 ▼「つくる会」をはじめ、安易な自己正当化に走り、諸国の顰蹙を買うような人々の言動は「愛国的」でもなんでもない。戦後、周辺諸国にも尊敬されたドイツの歴史教育にこそ学ぶべきだろう。教科書づくり・教科書採択を含め、教育の内実が鋭く問われている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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