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カテゴリ:愛知、三重の旅
![]() 5月半ばに旦那の運転で、娘と私のいつものメンバーで 日帰り行楽で出かけた先は、伊勢湾岸自動車道を西へと ![]() 渋滞も抜けた事だし、サービスエリアにも立ち寄って 「ご当地B級グルメ」をゲット。津市の学校給食から 生まれたという、大きな揚げ餃子の「津ぎょうざ」は 具は決まってないので、味はお店によって色々らしい ![]() いよいよ、お伊勢さんに到着。伊勢神宮は通称であって 正式には「神宮(じんぐう)」といい、二つの御正宮が 存在をしており、正式な参拝は豊受大御神(とようけの おおみかみ)を祀る「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」 通称「外宮(げくう)」が先なので参拝に向かった ![]() 天照大御神が雄略天皇の夢に現れ、自分一人では食事が 安らかに出来ないので、丹波の豊受大御神を呼び寄せる ように神託をされたので、内宮に近い山田の地に迎えて 祀ったそうだ 豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれており 御饌(神々にたてまつる食物)を司られており、衣食住 広く産業の守護神として崇められている ![]() ちなみに「丹後国風土記」には、丹波の比沼真奈井(ひぬまの まない)で天女八人が水浴をしていた時に、老夫婦に羽衣を 隠された一人の天女が天に帰れず、老夫婦の家に住んでいたが 10年後には家を追い出され、あちらこちらを漂泊した末に 未奈具に辿り着き鎮まったのが豊受大御神であるという説も 俗に「三つ石」と呼ばれる、川原祓所(かわらのはらいしょ)は 地震などで埋まってしまっているが、宮川の支流がここを流れて たそうで、その名残で川原とある昔の祓所で、今も20年毎に 行われる式年遷宮の「川原大祓」は、この場所で行われるが 最近はパワースポットとして注目をされているとか ![]() 御池にかかる亀の形に似た大きな一枚岩の石橋は、外宮神域の 奥にあり、江戸時代に「天の岩戸」と信じられていた高倉山 古墳(今は立入り禁止)の入口にあった岩だとか ![]() さて、いよいよ車で天照大御神(あまてらすおおみかみ)の 祀られた「皇大神宮(こうたいじんぐう)」、通称「内宮 (ないくう)」に向かう ![]() 平田篤胤の思想に基づく平田派の神道家や津和野派国学者らは 万世一系の天皇が日本を統治し、国家の中心に存在するという 王政復古による祭政一致の国家実現を提唱し、明治政府も 開国によるキリスト教流入を防ぎ、神道を国家統合の基幹に しようと「国家神道」が推し進められた ![]() 大日本帝国憲法では信教は自由とされ、道徳の範疇にある 敬神を国民の義務とする神道は、宗教では無いという解釈で 神道・神社を他宗派の上位に置き、政府による「神社崇拝」が 進められ、官国幣社は内務省の神社局が所管し、新たな 官国幣社の造営には公金も投入をされた ![]() 現御神(あきつみかみ)である「天皇」は、天照大御神から 万世一系の血統をつぐ神の子孫であるので、それが祀られた 「神宮」は、最尊貴の神社として特別な存在だった ![]() 太平洋戦争の敗戦によって連合国最高司令部から、神社は 国家から分離するよう通達され、国家神道の時代は終わり 神祇院は解散。皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会が 合同し「神社本庁」を設立し、政教分離による宗教法人と して神社神道が再出発をした ![]() 日本全国約八万社の神社を包括する宗教法人「神社本庁」に 属さず、単立宗教法人として運営をされている神社もあり 例えば靖国神社や、日光東照宮、伏見稲荷大社 などだ そして「神社本庁」において、古来より至高至貴神社であり 全国の神社の総親神として「本宗(ほんそう)」と仰がれて いるのが「神宮」である ![]() 天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、太陽が神格化した神で 天照大御神―アメノオシホミミ―ニニギ―ホオリ(山幸彦)― ウガヤフキアエズ―神武天皇と連なり、皇室の祖神(皇祖神)の 一柱とされる ![]() イザナギがイザナミの居る黄泉の国から生還をして、黄泉の 穢れを洗い流した時に、左目を洗ったときに生まれたとされ 右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に 三貴子と呼ばれ、イザナギから天照大御神は天津神の住まう 「高天原」を治めるよう命じられた ![]() 天照大御神は宮中に祀られていたが、垂仁代に皇女倭姫命が 天照大御神を祀る為の土地を探しに各地を巡ると、伊勢国に 着いた時に「この国に留まりたい」との天照大御神の神託が あり、倭姫命は五十鈴川の畔に祠を建て祀り、磯宮と称し たのが「皇大神宮」の始まりだ ![]() 「神宮」には、この二つの御正宮の他にも、14の別宮 43の摂社、24の末社、42の所管社が、伊勢市だけ ではなく、度会郡大紀町、玉城町、志摩市磯部町 度会町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町などにも有り 神宮125社と呼んでいる ![]() 江戸時代に、数百万人規模の伊勢神宮への集団参詣が数十年 周期(おかげ年)に、流行をした「お蔭(おかげ)参り」は 奉公人が主人に無断で、子供が親に無断で参詣をしたので 抜け参りとも呼ばれ、幕藩は規制もしたが効果は無かった ![]() 庶民(特に農民)の移動は厳しい制限があったのだが、伊勢の 参詣は許され、特に商家の間で天照大御神は商売繁盛の守り神 でもあったので、親や主人に無断に旅に出ても、伊勢神宮参詣の 証拠の品(お守りやお札)を、持ち帰れば良かったそうだ ![]() 伊勢神宮参詣の名目の通行手形を発行して貰い、参詣を済ませ 京や大坂などの見物を楽しむ者も多く、伊勢神宮参詣は庶民に とって一生に一度の夢である。伊勢までの旅費は相当な金額で 「お伊勢講」のメンバーは定期的に集まり、お金を出し合って 「くじ引き」で当たった代表者の旅費とした ![]() 当たった者は次回からはくじを引けないので、講のメンバーは 全員が当たるよう配慮がされ、軽くて小さな壊れない土産にと 御祓い(御札)や新品種の農作物の種、松阪や京都の織物などを 持ち帰り、そこで見聞きした芸能などの最新の文化が伊勢から 全国に発せられた 元和3(1617)年、慶安3年(1650)年、宝永2(1705)年 明和8(1771)年、文政13 / 天保元(1830)年に起こった ![]() 日本一小さな造り酒屋の伊勢萬 「おかげさまにごり梅酒」を一杯(有料) それとは別に、慶応3(1867)年は「ええじゃないか」と 呼ばれ、天から御祓い(御札)が降ってきたのを慶事の 前触れだと、民衆が仮装をして「ええじゃないか」等 囃子言葉を連呼しながら踊り、町々を巡ったそうだ ![]() そんなお蔭参りで、伊勢が最も賑わった江戸後期から明治 初期の伊勢路の建築物が移築、再現をされ、老舗の味や 名産品、風習、人情までをも感じられる「おかげ横丁」だ ![]() 創業明治42年。牛肉にこだわり豚を捨てたので名づけ られた「豚捨」でミンチカツと、牛肉コロッケをぱくり ![]() 豆腐庵山中のおとうふソフトもぱくり。でもでもお昼は これからなんだよね。伊勢の旅はまだまだ続く! ![]() 平成22年5月15日に伊勢で撮影 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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