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殿上人日記

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2011年07月26日
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カテゴリ:旅のいろいろ

      尾道の寺12

 文学のまちとして有名な尾道は、沢山のお寺があるのでも
 有名である。子供がまだ小学生の頃に家族で出かけたのは
 春休みで、尾道は桜の花で彩られていた


      尾道のハト2

 その時にも聖徳太子の創建という古刹で、本堂と多宝塔が
 国宝に指定をされている「転法輪山大乗律院荘厳浄土寺」に
 立ち寄って、子供らは鳩の餌やりなどをした覚えがある

 この日も、境内には沢山の鳩たちが整然と並んでいた


 尾道のハト1

 ところが子供の頃の「鳩に餌やり、奈良の鹿に餌やりには気を
 つけろ」という体験を忘れた娘が、鳩の餌の豆を購入し手に
 取った途端に鳩、大興奮!! 娘の頭に肩に背中に乗るもの
 までも・・・・やっぱ、今回もヒッチコック「鳥」状態になった


      尾道の寺13

 本尊は十一面観世音菩薩で、中国三十三観音霊場第九番札所の
 浄土寺は公家や武家の信仰も篤く、元弘の乱では後醍醐天皇が
 綸旨を住職に下し、天長地久の祈祷を命じたそうである。更に
 足利尊氏は、九州へ下る際に尾道に船を寄せて戦運を祈った
 「必勝祈願」の寺である


      尾道の寺14

 むかしむかし浄土寺で法要をすると、ご馳走の膳が必ず一つ
 なくなるそうで、あまりの早業なので妖怪の仕業に違いないと
 妖怪退治をする事になった。広間に百匁ろうそくが立ち並び
 ご馳走のお膳を並べてじっと待っていると、ろうそくの炎が
 かすかに揺らいだ瞬間に、すかさず弓の名人が息を止めて
 天井へ向けて矢を放ったそうだ


     尾道の寺19

 耳をつんざく悲鳴が聞こえ、広間全体の百匁ろうそくが一度に
 消え去り、天井からは血がしたたり落ち、広間から庭、そして
 浄土寺の東側山奥の大きな洞窟に続いていたそうだ。中に入ると
 沢山のお膳やお椀が転がり、奥にらんらんと輝く二つの目があり
 それが襲いかかってきたので矢を放ち命を絶った。倒れた妖怪は
 大きな大きな猫であった


 尾道の寺巡り

 古くから瀬戸内海屈指の良港であった尾道は経済 や交通、軍事
 などの要地であったのも理由であるのか、小さな坂の街には至る
 ところに歴史ある社寺があり、それを巡る事なども出来た


      尾道の寺15

 時には地元の方に道なども聞いて、車も通れぬような狭くて
 迷路のような道を、再びてくてくと娘と巡ってみた訳で


 尾道の寺18

 浄土寺のすぐ近くにあるのが、塔頭にあたる「転法輪山海龍寺」で
 江戸末期に尾道の浜問屋の旦那衆が、大坂から文楽のお師匠を
 招き楽しんでいたそうで、その師匠の死後に追善供養の為に
 建てたもの

    
      尾道の寺20

 その師匠は、人形浄瑠璃の文楽座の始祖であり文楽の創業者の
 初世植村文楽軒や、初代竹本弥太夫といった錚々たる面々で
 当時の尾道の興隆がわかるというもの。脇の経塚をなでながら
 祈願をすると、「芸や技が上達」をするそうである
 

      尾道の寺17

 「文楽(人形浄瑠璃)」は、日本の誇る伝統芸能の一つとして
 戦後になって国の重要無形文化財に指定をされたのが、更に
 2009年9月に、ユネスコの世界無形遺産に登録をされた


 尾道の寺9

 勝負運、芸の上達の次に目指すのは健康って事で足腰にご利益が 
 あるというのが、門に大きな草鞋が掲げられた「摩尼山西國寺」で
 奈良時代の名僧の行基が、巡国中にこの地で加茂明神の霊夢を
 見た事により建立をされたという

 仁王門より108段もの階段を登りきっての尾道の街並みは絶景で
 健脚を祈願というより、健脚じゃないと参拝できない?


      尾道の寺8

 平安時代に火災で大半が焼失してしまったのだが、白河天皇の
 勅命により復興し、愛宕山の山麓に巨大な伽藍が完成をした後
 白河天皇の祈願所、法皇となった白河上皇により勅願寺となり
 官寺として百を超える末寺を持ち、山陽道随一の伽藍を誇った


 尾道の寺11

 南北朝時代に、火災によって再び焼失をしたが、今度は備後国の
 守護大名であった山名氏が寺院の復興にあたったそうで、更に
 三重塔は室町幕府六代将軍の足利義教の寄進により建立をされ
 国の重要文化財に指定をされている 


      尾道の寺10

 かつては聖武天皇の時代に各国の国分寺に納めた「国分寺経」で
 備後国分寺にあった国宝の「紫紙金字金光明最勝王経10巻」が
 この寺にあったのが、戦後に国有(今は国立文化財機構の所有)と
 なり奈良国立博物館に所蔵されている

 港では荷の上げ降ろしに沢山の男たちが働き、力自慢の人達が
 この石を持ち上げて競い合っていたそうだ


 尾道の寺7

 仁王門の大草鞋は縦が約2メートルもあり、「仁王様のように
 丈夫な脚になるように」との健脚祈願で、この寺のシンボルだ


       尾道の寺6

 塔頭の「金剛院」には、軽く持ち上がれば願いが叶うという
 「重軽(おもかる)さん」と呼ばれる石造の三体の天狗面が
 あるのだが、境内で造作をされていたので行く事無く、入口
 あたりに「出世しだれ梅」というのが咲いていた
 

 尾道の寺1

 「音に名高い千光寺の鐘は 一里聞こえて二里響く」と言われ
 遠く瀬戸の島にも聞こえたと伝えられる「大宝山千光寺」の
 「驚音楼(きょうおんろう)の鐘」で、今でも夕刻6時に鐘が
 鳴り響き、環境庁の「日本の音風景百選」にも選ばれている


      尾道の寺2

 尾道水道を一望する、大宝山の中腹にある千光寺の起源は
 大同元(806)年に弘法大師によって創建をされ、源満仲
 (多田満仲)によって再興をされたと伝わる


      尾道の寺3

 昔、玉の岩や太陽、月の光を反射させていたと伝えられて
 いる「鏡岩」。鏡には神が宿るという信仰の対象であった


 尾道の寺4

 この寺には「玉の岩」という奇岩もあったのだが、それに
 気がつかなかった。残念。それにしても岩のある社寺は
 どこも原始信仰にもつながるような厳かな雰囲気がある

 横溝正史が「獄門島」の舞台として、この寺の名称を使用
 したそうだ


      尾道の神社1

 「良神社」は大同元(806)年に創建をされて、天照大神
 須佐之男命、伊邪那岐命、吉備津彦命を祀っており、映画
 「時をかける少女」で原田知世がタイムリープ中に、自分の
 過去(七五三の時)に遭遇した神社であるとか


      尾道の神社2

 「御袖天満宮」は学問の神様、菅原道真を祀る神社であり
 映画「転校生」で、男女高校生が石段から落ち入れ替わる
 シーンが撮影されたことで有名。上まで行きたかったけど
 お腹が空いてキレ気味な娘がいたので、下から仰いだだけ


 尾道の寺16

 そして尾道で一番有名な風景じゃないかと思うのが、この
 「海雲山天寧寺」の三重塔で。創建当時には五重塔だった
 のを、江戸時代の元禄五年の羅災による修復で三重塔に
 改められたもので、国の重要文化財に指定をされている

 さぁ、次は瀬戸内のいかなる街へ。まだ旅は2日目午前中


      尾道の寺5

            平成23年3月9日に尾道で撮影





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最終更新日  2011年07月28日 10時07分52秒
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