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カテゴリ:TV・ドラマ
昨日「日本のドラマはダメ」みたいな話を書きましたが、
それは概して民放の連続ドラマでして、 NHKとWOWOWは腰を入れてドラマを作ってるな、と思わせる作品が多いです。 なぜならこの2社は、ほかと違って視聴者からお金をとってますから、 スポンサーの顔色をうかがわなければならない程度が民放に比べて違います。 そこは強みだな、と思います。 さてこのドラマ「なぜ君は絶望と闘えたのか」は、 山口県光市で起きた少年による母子殺害事件を軸にしています。 この事件によって、遺族である本村浩一さん(ドラマの中では町田)は 本当に社会に大きな影響を及ぼしました。 一審で少年が無期懲役となった直後、 記者会見で「控訴はしない。出てきたら私が殺す」と言った時は、 テレビを見ているだけの私でさえ慄然としたものです。 怒りと憎しみに凝り固まり、加害者のことしか眼中にない本村さんの表情は、 常にひきつっていました。 そんな彼が数年たったとき、まだ闘いは途中ではあったものの、 だんだん物腰や顔つきが柔和になってきたことに、私は少し驚いていました。 「時」が彼の内の憎しみを薄れさせたとは思えなかった。 でも自分と自分の家族にのみ向けられた刃を、社会への刃として認識し、 自分の苦しみと闘いながら、人の苦しみにも目を向けるようになっていたのです。 私は彼を見るたびに なぜ彼は、そこまで人間的に成長できたのか、と思ったものです。 それこそこのタイトルのように「なぜ君は」と。 一体どれだけの修羅をくぐり抜け、あるいはまだその途中にありながら……。 ドラマの中で、その過程が明らかになるかな、と思いましたが、 彼が「戦う人」となる一審判決までを描く前半は非常に丁寧に描かれていたのに対し、 二審、最高裁の部分となる後半は少し駆け足で、 事実をなぞるシーンが多く、 彼があの落ち着きと柔和な表情を獲得するまでの最後の部分は 期待するほどの描写がなかったのが残念です。 でもその代わり、 私は違う視点からこのドラマを堪能することとなりました。 この事件を追っていた雑誌記者の、ものかきとしての姿勢です。 江口洋介扮する北川(実際にルポをまとめたのは門田隆将氏)は、 10年この事件を追いかけていて、初めて「書きたい」と思う。 いや「これで書ける」と思う瞬間に出合う。 そのために、出版社を退職して本を書くことに集中する。 なぜ君は絶望と闘えたのか 日々の締切に追われるライターとして、 どの事象にも関心を抱きつつ向うも、どうしても時間的制約の中で中途半端になり、 気がつくと次の事象、次の事象。 一生懸命はやっている、手は抜いていない、でも 本当はもっと向き合い、もっと時間を使って掘り下げるべきなのに……。 そんな気持ちは、その多忙さの大小、質の高低はあったとしても 痛いほど共感できるものなのだ。 「これをじっくり書いてみたい」「深めてみたい」とは 彼は当初から思っていたことだろう。 しかし本当に「これで書ける」と思えるだけの確信を持つまでに、 彼は10年かかっている。 おそらく他の事件よりもずっと深く、ずっと詳しく、ずっと長く張り付いていて 社内では早い時期から彼がもっとも踏み込んでいたはずなのに。 10年の取材の重みを感じる。 「追い続ける」ことの重み。 その「取材」を生かす切り口を見つけることの大切さ。 ただねぇ。 経費会社持ちだから東京から光市まで行けるんだよね。 フリーで、 とにかく「書きたい」と思う対象を長く取材し続けるって 本当に大変なことなのよ。 先に企画を売り込んで通して経費出させるっていうのもものすごい力なのよ。 それをやっている先輩方を何人か知っているけど、 ほんとに尊敬してやみません。 いろいろ勉強になるドラマでした。 (門田氏は、フリーになる前にもたくさんの本を書いています。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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