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この舞台の元となった映画「Once~ダブリンの街角で」は、公開当時見ている。 最初に舞台化の話題に触れたとき、私は懐疑的だった。 「あんなに地味な作品をどうやって舞台にするのか?」と。 だから、 トニー賞各賞を総なめにするほどの人気だと聞いたときは、非常にびっくりいたものである。 今回、初来日の舞台を観て、 「これは映画を越えたな」というのが正直な感想だ。 楽曲のよさがこれほど心にしみわたるのは、生演奏ならではだし、 それを支えるキャストのクォリティが非常に高く、実に素晴らしい。 ただ「映画を越えた」とはいえ、 原曲あっての舞台化、ミュージカル化なわけで。 生歌、生演奏の迫力と美しいハーモニーには、本当に心洗われる。 せつないけど、そこを悲劇ではなくとらえるラストがいい。 ここの説得力が、映画より断然舞台なんだな。 まずアイリッシュパブを基調とした舞台装置が見事で、 EXシアターという、どちらかといえば無機質な劇場が 本当にアットホームな空間に生まれ変わるのだ。 そのセットに開演前や休憩中に上がれるのも素敵! 公演前や休憩時間に、そのカウンターで飲み物を買えるという趣向もGood。 舞台に上がってみると、思いのほか小さい舞台に、驚くかもしれない。 ひとつひとつの歌が伝える感情を大切にして、 点と点を結びつけるようにした構成がまた見事で、 特に「Gold」という楽曲では歌詞の深さ、美しさ酔いしれた。 二度目にアカペラで歌われるところではもう体に電気が走るくらいしびれました! 音楽と、詩と。 芸術が、人生を語る小舟に揺蕩う瞬間に遭遇。 映画のレビューはこちらだが、 映画はどちらかというと、ダブリンの街を俯瞰から見ていたと思う。 その分、男と女の関係よりもダブリンとかチェコ移民とか、そういうものが強烈だった。 「終わりよければすべてよし」型ハリウッド映画にはない、胸がチリチリするせつなさや もどかしいほどの男女の「一歩」が出ない空気感は 映画よりずっと共感しやすかったと思う。 舞台は映画より、男と女の「魂の距離」がずっと近く、ウェットだった。 ダブリンとかチェコとかNYとか、土地柄が持つ意味や社会問題は 日本人の多くにはわからないものが多いけれど、 シングルマザーで母親の面倒まで見ている女が男に放つ 「(NYに)お母さんまで連れて行ける?」の一言の重みは、 きっと誰にも突き刺さることでしょう。 また、 映画を見たときには「やっぱり結局元カノなわけ?」という憤慨(笑)が残ったのだが、 舞台では、どんな人生にも一歩踏み出ために何かをあきらめるときがあり、 それは自分が決めるものであって強制されるものではない、ということをしみじみと感じた。 そしてこの舞台はまるで、小津安二郎の映画みたいだな、とも思った。 「女」には原節子が重なり、 「男」のお父さんが最後に「行け」というところは、笠智衆みたいで。 六本木のEXシアターで12/14まで。 こちらから、動画も見られます。(複数あります) トニー賞、グラミー賞、当然だと思うと同時に、 これがアメリカでも多くの人に受けるという現象に、 時代を感じさせられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.12.05 08:28:49
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