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カテゴリ:精神美(あそびの話)
人生の大きな壁にぶつかったときの実践法などのお話を集めてみました。
いじめや引き篭もり、子育ての悩みを乗り越えるヒントを与えてくださいます。 *** 青田典子さん コンプレックスの塊でご自分のことがあまり好きではないと青田さん。 青「好きになるずっと努力はしてきてるんですけど。 小さい頃はそうでもなかったんですが・・・」 美「家庭環境でね」 9歳のときにご両親が離婚。父方に引き取られた後、すぐにやってきた新しいお母さまは 18歳という若さ。 国「9歳のときに18歳のお母さんを持ったのはどんな心境だったんですか?」 青「心境ですか?気を遣うって言っちゃいけないんですけど・・・」 美「女同士になるのよ。親子っていうよりも女同士なの」 青「だからあんまり、その新しい家族に迷惑をかけないようにするっていう・・・」 国「迷惑をかけないって、ちょっと9歳が考えることじゃないですよね」 青「あのときは本当に、悩んだ時代ですね。」 お父さまの転勤にともなって、愛媛から東京に転居をしたのが中二のとき。 今までの家庭環境が変わり、引越しで友人もいなくなった上 言葉の違いもあって学校でいじめにもあっていたと。 青「それでもう、家でも一人ぼっち、学校でも一人ぼっちになって そこから一気に殻に入った思春期になってしまったんですね」 美「あなたの人生は、ずーっと一人だったのよね」 青「・・・はい」 美「ずーっと一人で。つまり愛にもいろんな種類の愛があるじゃない。 そのいろんな種類の愛がどこにもない。愛がないまま子供時代、青春時代 一番、愛が必要な時期に、愛がないところでずっと頑張っていらしたのね。そうでしょう?」 青「そうですね。」 美「その想念が夕べからずっと来てて、『えらいな、よく頑張ったな』って思ってたの」 江「嫌いとはおっしゃるけれど、いまのご自身の方が楽でしょう?」 青「すごく楽になりました。」 江「もともとは、すごくさばざばした人。本当はこのまんまの人」 青「ありのままの自分を表現しても、受け入れられるんだっていうことを 最近知ったんですよ。」 美「子供の頃や青春時代は、いろんな形で愛が欲しいし、 人間にとって一番必要なものなのよ。 それがまったくないところで、たった一人でぽつんと生きてきたから。 どこの扉を叩いても開かないんですものね」 青「14歳のときは、本当に死のうかなって思いましたから。友達もできない、 家に帰っても一人ぼっちだったので、生きる意味がわからなくなっちゃったんですよ。 実の母親が唯一の救いで、泣きながら、電話代が月に四万くらいかかって。 恥ずかしいんですけど、生きる意味が」 美「よくグレたり、家出したりしませんでしたね。」 青「それをしなかったのは、どうしてなんだろう? ・・・そこに勉強っていう逃げ道があったんですね。 『環境が人間性を変える』ってよく父が言っていて、 『そのためにもいい高校に入りなさい』と。まあ父は医者にさせたかったんですけど」 目指していた進学校には無事に合格するも、いままで成績上位だったのが高校では下位に。 その一方、ご自分が男性からの視線を多く集めていることに気づき 女性としての美しさを磨くことに比重が傾いていったそう。 青「勉強じゃないのかもなって。医者ってなにかな、みたいなところとか」 短大に進学が決まった18のとき、渋谷でスカウトに。 もともとお母様が宝塚に入れたがっていたこともあって、 ピアノやバレエを習うなど素養はあったものの、お父さまは大反対。 青「興味あるな、これなのかなって思って父に相談したら、『そんな世界は駄目だ』。 勘当といったことを言われてたので、私はもう、父親に、『ふざけるな』と」 国「初めて、ですか。」 青「初めてです。あんなにいい子ちゃんだった子が初めて、吐露してしまいました」 美「そこで爆発したのよ☆」 青「『お前の人生を生きるために生まれてきたんじゃない!』って」 国「それでお父さんは許してくれたんですか?」 青「いや、そのまま家を出ましたから。そのとき初めて父親の涙、男の涙っていうのを 見ました。でもよかったんです、そのときは」 アルバイト先からお金を借り、一人暮らしを始めるも、最初は苦労続きだったよう。 そんなときに出会ったのがとても不思議なお客さん。 青「あと二年頑張れって言われたんですよ。『二十歳になったら、人生が変るから。 だからどんなに辛くても、何があってもあと二年生きてみなさい』って言われて。 二年、生きることにしたんです」 国「その言葉を受け入れることはできたんですか?すんなりと。」 青「すんなりとじゃないですけど、でも、あと二年だと思ったら、ちょっと楽になったんですよ。 長くじゃなくて、二年かと思ったときにちょっと頑張ってみようと思ったんです」 青田さんの人生は、本当に20歳で変ったのだそう。 ☆ 青田さんのお話、とても共感して聞いておりました。 明るい表情の向こうに乗り越えてきた大きなものが見えますね。 「愛への渇望・青田典子さん」 *** オダギリ ジョーさん もっと素直に喜びを表現していいのに、クールに見せたりしてしまう。 心臓を大切にと言われると「たまに痛くなるんです」と。 江「エネルギーの流れが突出しているのに、アンバランス。 必要以上にものごとを感じ取りすぎて、神経衰弱や不眠症になったり 寝たらずっと起きられなくなったり、心臓にくる人が多いんです」 治す方法としては、呼吸法を実践するのが一番。 美「胸を張り出して鼻から頭いっぱいに吸うつもりで深呼吸して 下腹部まで息を入れ、口からゆっくり息をはく。この繰り返し。 食べ物も大切よ。あなたの食事はめちゃくちゃだから」 食事がほとんどスタジオかロケ先のお弁当だというオダギリさんは、 椅子にも真っ直ぐ座れないそう。 江「エネルギーが通っていないから、おなかを立てて座れないんです。 ポーズではなくて、健康体なのに疲れてしまってもたない。 そうなると頭だけ冴えて、体と分断されてしまう」 美「マイナス志向になって、だから生か、死か、To be, or not to be となるの」 江「ネガティブを跳ね返せないからすべて受け取ってしまい、混乱するんです。 きちんとした食事と、頭からまっすぐエネルギーを通して、 下も閉じる(丹田に力をいれる)とネガティブな考えをはじき返せます」 美「ご自分の部屋で呼吸法をして、あぐらか、 正座して足を広げてピラミッド型に座っているとき あなたに一番いいのは、グレゴリオ聖歌、宗教音楽をかけるといいの。 ものすごくパワーが出てくる。もともとやっていたことだから」 オダギリさんに限っては、「顔の絵」を飾るのはよくないそう。 江原さんが写真を透視するように、絵の人の精神構造と自分とがリンクしてしまう。 玄関には映画・「デッドマン」のポスターを貼っていたり、 部屋には骸骨の形のものや奇妙な人形、赤いランプといった マイナスの波動の出るものをたくさんを置いてあるようで、 これらはすべて神経が安まらない上、凶運を呼ぶもの。 美「本来はもっと静謐なものを求めていて、あなたの本質には合わないから イライラしてくるはずよ。音楽もインテリアも、 本来の自分の好きなものをそばに置けば、マイナス思考が全部変わってくる。 仕事も今まで15度位の範囲だったのが、180度、360度って広がってくるわ。 凶運を呼ぶものを置いているから死にたくなるの。 呼ぶんですよ、こっちへおいでって。 どやしつけて、ポスターなんか破いて燃やしてしまえばいい」 オ「でも、映画のポスター、欲しくて一生懸命探したんですよ」 美「悪いものには魅力があるの。正負の法則といって、 美味しいものは体によくないし、体にいいものは粗食で味気ないもの。 だから男でも女でも悪い人はものすごく魅力がある。 本当に自分にとっていい人は味気ないもの、心の安らぎはあってもね。 美味しいけれど体に良くないものを食べて破滅するか、 まずくても体に良いものを食べて健康的で明るい素晴らしい人生を歩んでゆくか、どちらかなの。 あなたは本来、聖なるもの、清らかで、清浄で慈悲深い、プラスの力を持っているの」 江「子供のときひとりぼっちだったことからいまでも孤独感にさいなまれるんです。 独りじゃないんですから。皆、いろいろありますよ。もっと強くなられて」 オ「はい、わかりました。」 ☆ 気持ちを明るく元気にする呼吸法の実践と、ネガティブなものをそばに置くこと 自分の孤独の記憶を大事にしていると、磁石のようにまた孤独を引き寄せてしまうこと 強くなること、たくさんのヒントをいただきました。 「心の鬼退治・オダギリジョーさん」 *** 沢村一樹さん 粘土に触れるようになられたのは、ストレスが溜まっていた時期で24歳くらいのとき。 沢「何かをやりたい、形になるものを作りたいと思っていて、探していたときに 子どもの頃に好きだったことで、ピンと来たのが粘土。 日本地図を粘土で作ったことがあって、 自分でもなんでこんなに綺麗にできたんだろうって思うくらい上手くできて。 次に作ったのがドラえもん。自分はなれないことがはっきりわかったので、 小学校六年のときに元旦からドラえもんを作ったら、またよくできたんですよね。 その記憶が非常に強く残っていたので、また作ってみようと。すぐ粘土を買ってきて」 国「何かしら作るのがお好きですね。」 沢「好きですね。あと、子どもの頃は穴を掘ったり。 出身の鹿児島はシラス(白砂 鹿児島県に分布する火山灰の地層)台地なので、 それで団子を作って闘う遊びがあるんですよ。 水分を飛ばして固くしたものを相手の団子の上に落として、どちらが固いか。 そういう遊びが大好きだったんです」 国「僕も村で作業したりすることが多いんですが、土を触ったりすることって本当にいいですね。 僕は陶芸家さんに守護していただいているので、粘土の感触とか、土の感触とか、 触るだけでたまらないんですよね」 沢「すごくよくわかります。子どもにも同じことをさせたいんですけれど、 土を触れる場所がないんですよね」 江「昔は空き地がありましたよね」 美「皆子どもは空き地で遊びましたよね」 国「空き地があっても、『遊んじゃいけません』ってなってますものね」 美「だから子どもの情操教育的には良くないわね。人工的なものばかりだと 電磁波や悪い気はありますけれど、自然の気がないですから。 そういういい気に触れた方が、いい人間に育ちますよね」 沢「ただ、僕はいっぱいいいものに触れてきたんですけど 教育的に良かったのかどうかは難しいところかもしれませんね。 粘土をやっていたから中和されたのかな。 粘土がなかったらもっとひどい道に行っていたかもしれない」 ☆ 私も大好きなことをすることをすることで、救われた経験があります。 地域の子供たちとのアートな集まりをお手伝いをしているのも なにかの拍子にふと心和んだり、ヒントを得たり 大人になった時の拠り所のひとつになればと願っているから。 今日も夫からお手伝いの理由を訊かれて上記のように応えると 「そういえば小さいときに釣りをしたり、絵を描いたりしていたなあ」 思い出や趣味などになって、いまの彼の心をも、ほっとさせる源になっているそう。 沢村さんの回できちんとお答えをいただけてとても嬉しかったです。 「心ゆくまで愉しむこと」、自然体でいること、どうぞ大切に。 「逃げの恋と痛みの関係」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 22, 2006 04:20:15 PM
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