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テーマ:武田信玄(5)
カテゴリ:政治
白い木蓮は散ってしまったが昨日から咲き始めた紫木蓮
今甲府では開府500年が祝われている。武田信玄の生誕500年にもあたり各種式典が予定されていたがコロナで延期になったり中止になったりしている。しかし傑出した武将だった武田信玄は戦が強かっただけでなく領民にも慕われていたとのことなので人物像を眺めてみたいと思う。元よりこの世に完全な人物などがいるわけがなく、欠点もあったと思うが主な業績を見ながら論じてみたいと思う。 500年前と言えばつい最近のように思われ先祖をだどって行けばすぐそこにいるような人物であるが時代が異なり当時は合戦が繰り返されていた時代で合戦に強いことが領主の第一条件であった。 当時の領主は皆堅牢な城を築城していたが信玄は「人は石垣、人は城」と石垣や城などよりも人間つまり兵士や領民の心が堅牢なのが一番強いと考えていた。武田24将は適材適所に配置した24人の武将でその強さはずば抜けており近隣に鳴り響いていたが、信玄の人を見る目と育て方が優れていたことがうかがわれる。 政治でも様々な施策をしており釜無川の氾濫で農地が流されるのを防ぐために信玄堤という堤防を作って領民を守り農産物の収穫量を数倍にしている。戦術的にも優れており、当時信玄と並び称された名将上杉謙信とは川中島で押しつ押されつの名勝負を繰り返したが駿河の今川や三河の徳川家康などは簡単に打ち破り三方ヶ原の戦いでは家康は完膚なきまで打ち負かされほうほうの体で逃げ帰った。西方作戦で京に上り信長を打ち負かして天下掌握するつもりであったがその途中で病に倒れ(胃がんと言われている)53歳の生涯を閉じた。信玄が生きていたらといつも思うが運、不運とか時代の流れなどもありどうなったか分からない。しかし信長を打ち負かした可能性は十分あり天下統一して信長よりも、秀吉よりも善政を行った可能性があり、残念でならない。しかし歴史は信長ー秀吉ー家康と続いて家康は太平の世を築いた。 当時は群雄割拠の武将たちが天下をとろうと戦闘を繰り広げてきたが、今は戦争でなくて知力で天下を取ろうと何人かが総理大臣の座を狙っているが謙信、信玄、信長、秀吉、家康級の人はいない。信玄生誕500年に当たり大きな志を持って日本国、世界をリードしていく大将の出現を望むものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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