いらっしゃい~~~~ぃ
再開後、初めて店に入った時に花番さんたちの詩吟のような声を聞くと、【かんだやぶそば】に来たなぁ、と心地よく思う
【かんだやぶそば】 千代田区神田淡路町2-10
ホームページ、
木鉢会加盟店、
新そば会会員
1880年(明治13年)創業。「砂場」「更科」とともに江戸三大そば名店として知られる。
幕末の名舗【団子坂蔦屋】(後に藪蕎麦)の淡路町店を堀田七兵衛が譲り受けて営業を始め、明治時代後期に団子坂本店が廃業して藪蕎麦本店の看板を受け継ぎ今日に至っております、とのこと。
関東大震災後の1923年に再建した店舗は木造2階の数寄屋造りで、都選定歴史的建造物に指定されていた。
昨年の2月、古い配線による漏電火災で焼失してから店は新しく建てられ、10月20日に営業を再開。鉄骨造り一部2階の平屋建てで、前の店のたたずまいを残している。
ご存知、【藪蕎麦御三家】のひとつで、
『
東京五つ星の蕎麦』では”
伝統の味を守る歴史ある名店11軒”のひとつに選ばれている。
再開当初から行列がすごかったようだが、1ヶ月過ぎた日の午後4時前なら空いているかな?と思ってやってきたら、結構賑わっていた。
お品書き。
裏返し。
いただいたのは常温で『菊正宗 特撰』\770円(お通しのねりみそ付き)と『かまぼこ』\670。
蒲鉾は、ビッグコミックの
「
そばもん(13)」に載った【鈴廣】製。
※
鈴廣かまぼこが食べられるお店
旬のおすすめで『かきそば』\1,240。
蕎麦粉十、小麦粉一の割合で主に国産(長野・青森・北海道・茨城)の最上級粉を用いているそうで、クロレラを少量加えて緑色になっている。
ああ、美味しいわぁ~
おつゆも全部飲み干しちゃった。
初代も喜んでいるかな? ごちそうさまでした~
【訪問履歴】
5回目:
2012年07月20日 『おかめそば、かまぼこ、わさびいも』
4回目:
2010年06月11日 『せいろう、天ぬき、かまぼこ』
3回目:
2010年02月02日 『おかめそば、小田巻き蒸し、わかさぎの南蛮漬け』
2回目:
2008年11月21日 『かきそば』
1回目:
2008年03月04日 『かきそば、そばずし』
【関連ブログ】
@千葉そごう店(12回目)
◆
2014年1月10日 『おかめそば』
【関連ブログ:かんだやぶそば監修】
■
2010年12月5日: 江戸せいろう蕎麦@東京駅で『シャモロックせいろう』
【関連ブログ:藪御三家】
■
2014年10月27日: 並木藪蕎麦@浅草で『かけそば』 他
■
2014年08月04日: 池の端藪蕎麦で『巣ごもりそば』
※ 千代田区のおそば屋さん巡りの履歴はこちら。
※ 2018年4月14日追記:
地域情報誌『谷根千』(廃刊)の98年7月の「谷根千54号 あたしゃあんたの蕎麦がいい」
に「再び藪蕎麦のこと」という記事があり、三輪伝次郎が開いた「団子坂の藪」・屋号は
【蔦屋】について書かれている。
・いつごろから始まったものかはわからないが、幕末にはすでに存在した。
・三輪家の墓(肴町の潮泉寺)で安政3年の男性の戒名あり。初代・三輪伝次郎のものと
するとかなり古くの開業と思われる。
・伊勢安濃津の藩主・藤堂和泉守の家臣。千駄木の下屋敷に勤番。手先器用で蕎麦打ち得意
・30歳の頃、山口姓から三輪姓に変えて町人になり、団子坂権現山に300坪の土地を求め、
そば屋を開業した。
・「谷根千」発行社のある団子坂マンション(文京区千駄木3-1-1)一体あたりか
・明治になって土地を買い増し、団子坂菊人形が始まったこともあって賑わった
・堀田平七郎 著『うどんのぬき湯』
「団子坂藪の敷地は相当なもので、坂上が仕事場と土蔵と崖下に面して八畳三間の客席、
坂下が(人工的)滝と客席、遠い昔は現在の電車通りまで達しておったそうだ。」
・3代目の時、三輪家は日露戦争後、相場に失敗、廃業して中国に渡ったという。