連休中の出来事 (1)
< 紀行文執筆と応援に熱中した日々 > この連休は、先月行った平泉の歴史と俳句を中心とした紀行文の執筆に熱中していた。書き始めたのが4月27日の月曜日で、書き終えたのが5月7日の木曜日。毎日3千文字から4千文字以上を書き続ける作業は、私にとってかなりきついものだった。 自分が作った下手な俳句についてはどうにでも書ける。また現地で見て来たことを再現するのは、さほど困難な作業ではない。問題は歴史的な事実を書く際の調査だ。平泉の資料は4月に旅行した際に何種類か入手していて、かなり参考になった。後は伊達藩、一関藩、宇和島藩のことなどをウィキペディアで調べた。それでも私が書いたことに事実誤認があって、翌日慌てて書き直した箇所もあった。 俳句と歴史を交えた紀行文執筆。この試みは苦しくもあったが、またその一方で楽しい作業でもあった。変な譬えだが、調査を要する長い文章を書くことは、案外ウルトラマラソンに似ているかも知れない。苦労を乗り越えた先に喜びが待っていると言うか、或いは挑戦した者だけに与えられる喜びと言えようか。 前半の自分はかなり草臥れていた。その疲労の中で、1回の執筆が4時間にも亘る日もあったし、調査だけで1時間以上かかる日もあった。書きたいと思うことの殆どを書いた積りだが、書き忘れたこともある。例えば中尊寺金色堂の須弥壇の下に、奥州藤原氏初代清衡、第二代基衡、第三代秀衡のミイラと第四代泰衡の首級が納められていることなどだ。 頼朝軍によって滅ぼされた泰衡が首を切られたことは理解出来るが、胴体はどうなったのか。何故三代に亘って藤原氏がミイラとなったのか。これは生前からの意向が強く影響しているように思う。つまり死後自らも仏となって平和都市平泉を守ると言う考えだが、果たして実際はどうだったのか。 紀行文を連載しながら、2つのことが気掛かりだった。1つ目は走友が参加していた「川の道」520kmのレース。秋田のJunさんのブログへの書き込みが、スタート後190kmの埼玉長野県境辺りで途絶え、その後の状況が掴めずはらはらしたことだ。だが、彼の性格と昨年のレース状況を知っていたため、苦しみながらもレースを続けていることを信じていた。 新潟の走友、銀のねこさんが第5日目にゴール地点まで行き、スタッフの方にJunさんの情報を確認してくれ、彼が苦戦しながらも頑張って走っていることが判った。結果は制限まで30数分を残してのゴールだった。傷む足、襲う眠気と戦いながらも完走した彼は、その翌日秋田の自宅まで車を運転して帰ったはず。その気力には脱帽だ。 気掛かりの2つ目は我が東北楽天の動向。田中マー君が4連続完投勝利の後、「肩の張り」を訴えて戦線離脱。やはり開幕後の勢いは一時的なものに終わるのかと思ったのだが、その懸念は良い方に裏切られた。思わぬ新人井坂の活躍などもあって、魔の9連戦で何と7勝2敗の好成績。全く嬉しい誤算だった。そして登録抹消の田中にも、初の月間MVP受賞の嬉しいニュースも飛び込んだのだ。連休中の他の話題については明日に譲ることにしよう。<続く>