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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:イタリア映画
フェリーニ作品にはわからないものもあるけれど、全体を考えると好きです。 ローマ三部作といわれるの中のひとつ。原作はネロ帝に寵愛されたという、ペトロニウスの『サテュリコン』。 古代ローマ。快楽主義の学生エンコルピオ(ポター)は、親友アシルト(ケラー)と一人の美少年を争って破れる。その後、彼が経験するローマの退廃と堕落の遍歴譚。 酒池肉林の宴、男同士の結婚、屍肉を食らえと遺言する老詩人の物語など、異様なキャラクターが登場する。 精神世界を描いても、放蕩や狂乱を描いても、純粋さがあるフェリーニ監督。 退廃的な中にも、ユーモアや柔らかさがあります。 グロテスクで辛辣なところは、同じイタリアのパゾリーニ作品と共通した面を感じましたが、この純粋さだけは、他の監督にもない種類のものではないでしょうか。 ローマの退廃と、芸術と、色彩の饗宴。 そこで繰り広げられるおぞましい様さえ、惹かれずにはいられない、好感を持たずにはいられない、そんな映画でした。 壮大なセットと美術にかかった労力を思うと、溜め息がでます。どのカットをとってみても既成のものはない、すべて造り上げたもの。 それがあまりに素晴らしいので、目が離せません。 一つひとつ見事なセットが、言いようのない存在で迫ってきて、堪能する前に、また次の芸術が現れてくるようでした。 壮大なセットさえも、フェリーニ作品は壊しまう・・。思い切りの良さは、感嘆したり圧倒されるばかりです。 壊すという行為は、きっといろんな意味が含まれているのでしょう。 壊すからこそ、ただ落胆させてはおかない、仄かな希望が生まれる。 多くのロードムービーが、海に行き着くことで再生を意味するのと似ているように感じます。 主人公エンコルピオが経験することは、あらすじのままに、不健康で壮絶です。 このごろ、偶然にか必然にか、内面にも外面にも強烈な映画ばかり観ていますが、シュバンクマイエルの『ルナシー』も、パゾリーニ作品も、異質な世界に抛りこまれて、その先は自分次第だけれど、フェリーニの描く世界には幻想という救いが残されているようです。 だから親しみが湧いてくる。 主人公が辿る不可思議な道。途中で彼は、ふたりの詩人と出会います。 ひとりは貧しくも、真の詩人。もうひとりは見せかけの詩で、私腹を肥やす偽の詩人。 貧しい詩人は主人公に知を与え、真実の言葉(詩)を遺して逝きますが、見せかけの詩人は享楽に溺れ放蕩三昧。 突然死んだフリを決め込む件は、『ルナシー』の侯爵と重なりました。神の真似事なのか、不謹慎な行い。人でなしを地でいく者たちがたくさん登場します。 その真似事の葬儀で聴こえてくるのは、なんと仏教のお経でした。全体に様々な要素が詰め込まれた、猥雑でありグローバルな面白さ。 若者たちの彫刻のような肉体美は見所。驚くほど強烈なインパクトある作品。 こちらも死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。 イタリア語、ギリシャ語、その他の言語も使用されているようですが、字幕がつくのはイタリア語のみ。自然と謎めいた印象も残りました。 監督 フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini 製作 アルベルト・グリマルディ 脚本 フェデリコ・フェリーニ ベルナルディーノ・ザッポーニ 撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ 音楽 ニーノ・ロータ 出演 マーティン・ポッター ハイラム・ケラー サルヴォ・ランドーネ キャプシーヌ (カラー/125分/FELLINI-SATYRICON) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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