ハオチェン・チャン@紀尾井ホール(2014/5/31)
一年弱も書いていなかったのか。それほど私の環境が変わってしまったのだが、糸井重里さんがどんなことでも10年やり続けるとものになると語った重みがわかる。貧乏性の私が折角聴きにいったコンサートのことを忘れてしまうのはもったいない、と吐き出すように書き出したのが9年前。それ以前には、現在来日中のプレトニョフがモーツァルトを弾いた素晴らしいコンサートも含まれるが、あの頃は吐き出していなかったので、どや顔で弾いたアンコールの曲目のことなどももすっかり忘れた。友人が最前列のチケットを忘れてきた、などとどうでもよいことは覚えているのだが。たまたま、このつぶやきの再開(?)を待っているという声を数名からいただいたので、ちょっくら吐き出してみることにした。ただ、今の私は首都圏にいるわけではないので、いつストップするとも限らないのだが。自由になる時間が以前ほどではないので、短くいってみよう。ハオチェン・チャン ピアノ・リサイタル20142014年5月31日(土) 13時30分開場/14時開演紀尾井ホール 一列左の方ショパン : マズルカ Op.17-4, Op.24-2, Op.59-2&3ベートーヴェン : ピアノソナタ第21番 ハ長調 Op.53 “ワルトシュタイン” ---ブラームス : 3つの間奏曲 Op.117譚盾 (タン・ドゥン) : 水彩の8つの思い出バルトーク : ピアノ・ソナタ Sz.80---アンコールショパン:ノクターン「遺作」雷雨で飛行機が飛ばなかったらしい。翌早朝に出直して、ロングフライトで公演直前に日本へ。24歳という若さでなければ、とてもエコノミーで来日してこの日を迎えられるとは思えない。彼のSL機関車のような突進力は相変わらず。本日注目したのは、彼の打鍵とそのスムースさ、そして力量である。彼の師、ゲイリー・グラフマンが師匠であるピアノ界の絶対王者ホロヴィッツから教わった唯一のこと。ピアノ演奏のテクニックやメカニックではなく、「カーネギーホールでいかに音を鳴らすか」だけだそうである。ショパンのマズルカ。注目してみると指をそれほど振りかぶるわけではないのに巧みに弱音から強音までを奏でる。その強音がホールに響き渡るのを感じ、これがホロヴィッツから受け継いだ音の出し方なのかと遠くを見つめたりした。ワルトシュタイン一瞬たりとも弾き遅れることのない圧倒的なテンポと音量。これは一楽章から拍手が出るわけだ。これだけでアンコールピースになりうる一楽章。こみ上げるものを思わず飲み込んで我慢した。叙情楽章の2楽章、こういうところがハオチェンの課題か。朗々と聴かせるところの感動がやや薄い。元気よいが一楽章ほどではない三楽章のような楽曲も凡庸に感じる。彼の魅力は、やはり突進力なのだと感じる。詳細は最後に記載しよう。ブラームスの間奏曲。1曲目に弾いたこの切ないメロディーがなんだか胸に染み入らない。これは友人である高木君の得意曲でもあるのだが、シリアスな二曲目とあわせてこういう思いを込めた曲は実は苦手なのかもしれない。これまた最後に記載。一転、多彩な色を魅せるタンドゥンはやはり素晴らしく、無垢のキャンバスに何色ものペイントをぶちまけた演奏である。バルトークは想像通り。一点突破あるのみ!の突っ走り。一点どうしても記載したい。かのホロヴィッツ。カーネギーホールで音を鳴らすことに神経を使ったピアニスト。晩年のラフマニノフ3番コンチェルトではピアノを鳴らすためにオケの中にピアノを置いて一段ピアノを上げたそうだ。またオケに負けない無茶な調律を依頼し、フランツ・モアが生涯で失敗だったコンサートと言い切る調整を要求した。しかし、最晩年は「ホロヴィッツ・アット・ホーム」に代表されるようなモーツァルト。ホールではなく家の中でレコーディングし素晴らしい美音に感動する。今のハオチェンは、圧倒的なテンポで轟音を撒き散らすことに注力し、美音の魔力を封印(気づいてない)していないかということである。24歳の頃のホロヴィッツはテクニックと轟音でヨーロッパを席巻し、1928年(25歳頃)のカーネギーホールで「鍵盤の隙間から煙が上がった」と絶賛されたデビューをした。テクはある。音も鳴る。となると先人たちを教訓に克服感以外でも感動させられる若手ピアニストであるのではないかと思うのである。来週のオケとのラフマニノフ。この辺が聴きものだと思われる。いかんせん、桁外れの若者だったことは間違いなし。