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2008.06.03
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〔番組の内容 1〕

 いまから86年前の日本で、 「人間は誰もが尊敬すべき存在である」 とうたった宣言がつくられた。 水平社宣言 である。起草者したのは 西光万吉 。彼は被差別部落出身の青年だった。

 西光は部落出身であることを隠して生きるため18歳で上京する。(・・・)「部落民だということがわかったらどんなことになるんだろうと心配だった。」彼にとって部落民であることは恥ずべきこと、隠しておくべきことだったのだ。

 そのような西光に転機が訪れた。1918年の米騒動である。生活に困窮した「部落民」からも「騒動」に加わる人がいた。警察は部落に対する徹底的な捜査を行い全国で8千人の検挙者のうち約9百人が部落民だった。

 警察だけでなく、当時の新聞や雑誌も「部落民」の暴力を非難した。「部落民は伝統的に動物を殺すことを仕事にしてきた人たちの血筋だから、残忍な心を持っているのだ、」(雑誌「一大帝国」)と。部落民であること自体が犯罪であるかのような理不尽な非難に西光は憤りを覚える

 差別され貧しさを強いられていた部落民が生きるために声を上げれば心根まで残忍だと非難される!

 しかし、振り返ってみれば自分自身差別から逃げたいあまり「部落民であることを恥ずべきこと、否定すべきことと考えていた。」そして、西光は決意する。「これからは自らが部落民であることと正面から向き合って生きていこう、」と。

 こうして西光は故郷に戻るのであるが、何をどうすればいいのかわからない状況であった。しかし、ある学者の「論文」をヒントに「自分たちの力で現状を打破していこう」と一歩を踏み出す。

 他方、大日本帝国の政府はいわゆる「融和運動」を始めた。

 政府は部落民が反抗的であることは部落民の心根の中に問題があるとして、部落民の側が改善すれば世間の同情を受けて差別がなくなるといった「指導」をおこなった。西光はこのような政府中心の運動に強く反発したのである。

 そもそも差別の原因が部落民にあるというその考え方が間違っているのだ。それを変えていくためには自分たちが声をあげ団結して行動を起こすほかはない。

 こうして西光は「パンフレット」を作って全国各地へ働きかけ、集まった同士とともに団結のための組織をつくり「水平社」と名づけた。


 1922年1月、西光はある新聞記者のもとを訪ねる。「部落民への同情や哀れみを呼びかけるような運動はやめていただきたい」新聞記者は納得しなかった。「私たちはあなたたち部落の人たちのためにやっているのだ。世間の同情を求めることの何が悪いのか。」

 西光は机をたたいて訴える。「かわいそう、気の毒だから同情してやるという恩着せがましい態度こそが心外なのだ。そのような姿勢こそが部落民を見下しているのだ。」

 そして西光は語る。「尊敬する気持ちを持って同じ人間を見てほしい、」と。西光の言う尊敬とは「人を家柄(・・・)等で見るのではなく、その人の個性を認め本質的に人が人と向き合うこと」だったのである


 西光の訴えを聞いた新聞記者は、「同情してやる」といった自分自身の傲慢さに気づく。(「急に私自身が恥ずかしくなってきた」)人間は本来尊敬すべきものである、という西光の考えはこうして徐々に理解者を増やしていく。

 全国水平社創立の2ヶ月前のことだった。

〔コメント〕

 ガンジーやキングのドキュメントもそうでしたが、現実を引き受け一歩踏み出していく西光の決意と行動は感動的です。
(他者によって一方的に貼り付けられたレッテル・現実をまず決然と引き受け乗り越えていくことを主張したサルトルを思い起こすのは私だけでしょうか。)

 そして、人間は本来平等であり「尊敬すべきものだ」という西光の確信も、「人間相互が信頼し尊敬できる世界」を求め続けたガンジーの姿勢と共通するものがあるように思います。

 人間は「自分を認めてほしい」「尊重してほしい」という根源的な願いを持っている、ということは200年以上前にヘーゲルが深く洞察していました
  そして、「一人ひとりがかけがえのない存在であり、尊重(尊敬)されるべきものだ」といった「人権思想」も「近代社会」が次第に確立し合意を形成していった「原理」なのです


 しかし、人間はその逆のことをなんと数多くしてきたことでしょう。「人間は尊敬(尊重)されるべきものだ」という原理が形式的にではなく確立していくためには、西光のような多くの人々の苦しみと決意、勇気ある行動が必要でした。

 それは、後世の私たちにも強い感動と勇気を与えるものです。このような具体的な経験と現実に向き合う行動こそ、学校教育においても大きな説得力を持つものであると確信します。

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Last updated  2021.12.24 18:39:46
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