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shchan_3

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2012.03.22
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カテゴリ:学校の力を高める

 近年注目を集めている「学びあいのある授業」(学びの共同体)について私自身の考えも整理しておきたいと思います。 

  学習形態(コの字型やグループ学習)自体は別に新しいものではありません。「学習集団づくり」などの実践は従来から積み上げられていました。しかし、「学びの共同体」の新しさは明確に「学校づくり」、「学校改革」として取り組みが打ち出されていったことでしょう。

 ここでは特に高校の現場における意義(および課題)を列挙しておきたいと思います。(常態で)

1、教科や学科の枠を越えて、学校全体が「授業研究」に取り組む体制ができる

例)授業づくりと学校づくり (過去記事)

 これまで高校の現場において、教科や学科の枠を越えて「授業研究」を一緒に行う機会は稀であった「学校改革の取り組み」としての「学びの共同体」の広がりが、同時に教科や学科の枠を越えた「授業研究」を広げていく意味を持っていたことは間違いない

 もともと、そのような取り組みとして提唱されたことに加え、授業後の研究協議が「子どもの学びの事実」を中心に進められる(したがって、発言にはその教科の専門性を必ずしも必要としない)という方式が「枠を越える取り組み」を促進した、と考えられる。

2、上記の体制を基盤に、教職員自身が学びあう同僚性が構築できる

 この点については、リンク先の「授業づくりと学校づくり」からもよく読み取れる。そこでの同僚性の構築については、I さん自身の「周りを見る目」の変化としても語られているが、強い説得力を感じさせるものがある

 また、1、でも取り上げた「子どもの学びの事実」を中心に進められる授業後の研究協議が、実りある「教育評価」(教育の成果を子どもたちの実態に即して丁寧に評価し、授業改善や学校改革、教育条件の整備につなげていく取り組み)の力量を互いに高めていくものであることにも注目しておきたい。

(現在の「学校評価」も、子どもたちの現実に即してその「学びや成長を評価していく現場の力量」を高めていくことによって初めて実質的な改革につながると考えられる。)

3、「学びの共同」の大切さを共有できる

 「教室の学びを個の経験の軌跡を基盤として共同体的な実践へと再構成する活動」,「個人主義的な学びを共同体的な学びへと転換すること」(佐伯胖・藤田英典・佐藤学編 「シリーズ学びと文化(3)学び合う共同体」 東京大学出版会92頁)の重要性が、実践を通して共有されていく。

 個人が「平和で民主的な国家および社会の形成者」となっていくためには、発言を出し合い聴き合って「学びの共同」を成立させていく経験は貴重なものであると考えられる。

4、希薄になりがちな子どもたち同士の「関わりあい」(集団づくり)の大切さを共有できる

 「学びの共同体」には「授業を通しての集団づくり」という側面が確実にある。事実、佐藤学自身、「学びあい」「関わり合い」の大切さを繰り返し強調している。また、例えば広島県安西高校の報告の中には、「学びの共同体」を学校全体で取り組むことが、生徒会行事の活性化等にもつながったことが報告されている

5、「聴きあうこと」の大切さを共有する

(佐藤は)相手の言わんとすること,教材が問うていること,教師が発問していることをしっかりと「聴く」ことによって,自分の考えを構築していくような教室を「しっとりとした教室」(佐藤学「教室からの改革-日米の現場から-」 国土社)と形容する。

(「しっとりとした教室」では,「話す」以上に,「聴く」ことが大切にされている。こういった様々な事象を受け止め「聴く」ことを佐藤は,〈受動的能動性=対応〉と呼んでいる。) 

「学びの共同体」の課題 

1、「学びの共同体」の立場から佐藤学は、「学び合い」と対比したかたちで一斉授業を批判する。しかし、その批判される一斉授業は、常に「教師による教え込み」である。単純な図式化によって一斉授業がその質を問われることなく、十把ひとからげに否定されるのは問題であろう。
 一斉授業も大切にしながら、状況に応じて「グループによる学び合い」を取り入れる。それが実践における妥当な判断だと思われる。「学び方」に多様性を認めない教条的な面が「学びの共同体」にあるとすれば、それは問題である。

2、学びを成立させ深める際の「教師の指導性」が適切に位置づけられていない

 柴田義松が(「『学びの共同体』と学習集団の実践」 現代教育科学No.591 明治図書2005で)指摘するように「学びの共同体」においては「子どもの発言を交通整理的に分けて板書することによって,お互いの相違点や共通点を明らかにし,対立するポイントを明確化したり,発問によって子どもの思考をゆさぶり,子どもの考えを広げたり,深めたりする教師の指導性」があまり追求されていない

 子どもたちの「聴き合う関係」,「学びあう子どもの学び」をつくるための教師の指導性や教材解釈をしっかり問うことは大切であろう。そのためにも、学びの共同体」の取り組みに「過去の授業研究の積み上げ」を包摂していくことが、その「学校づくり」を豊かにしていくことになるだろう

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