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カテゴリ:時事問題
議会制民主主義の存在意義は、そのなしうることではなく「防ぎうること」にある。つまり、この制度は決して良き政府を保障しはしないが、政府が極端に国民が望まない方向に進み続けることを防ぐことができる。
ずいぶん昔、誰だったか忘れましたが印象に残った言葉です。滋賀県知事選挙の結果などを見ても、「なるほど」と思います。しかし、大切なことは「代表を選ぶ投票行為以上に、一つひとつの重要な問題に関して直接意思表示をすること(し続けること)」ではないかと考えています。
ここでは、遅まきながら、「集団的自衛権容認の閣議決定」に関して、7月1日に書いた文章を以下に公開しておきます。この問題については、まさに意思表示をし続けることが重要だと考えるからです。
7月1日、解釈改憲によって「集団的自衛権」を容認する閣議決定がなされました。これは、日本政府が戦後とってきた憲法解釈の大きな転換となるわけですが、そもそもこれは自民・公明両党だけで決めるべき問題でしょうか。憲法の大原則の一つ(平和主義)の根幹にかかわる問題、ましてや多くの命にかかわる問題です。
これも憲法に明記されていることですが、そもそも主権は国民にあります。自国が攻撃を受けなくても集団的自衛権行使(他国への武力行使を実力で阻止する「自衛隊の出動」)が可能だとするには、主権者である国民の直接的な意思表示(国民投票など)が必要ではないでしょうか。政権政党にこのような重要な「決定」をお任せした覚えはありません。
立憲主義とは、「憲法は、国家権力を制限し、国民の自由と権利を保障するものである」という原理であり、その原理に立てば、国民の生命や尊厳に直結する重大なことがらを、時の国家権力(政府)が勝手に決めることは許されません。 実際、日弁連は2014. 5.30にあげた「決議」の中で次のように述べています。 「集団的自衛権の行使は憲法第9条の下では認められないという解釈は、これまで政府が一貫して維持してきたものであるが、(・・・)現在、政府は、このような従来の政府解釈を時の内閣の一存による閣議決定等の判断で変更し、集団的自衛権の行使容認を行い、憲法第9条の基本的内容を改変しようとしている。これは、憲法を最高法規とし、国務大臣等の公務員に憲法尊重擁護義務を課して(憲法第98条第1項及び第99条)、権力に縛りをかけた立憲主義という近代憲法の存在理由を根本から否定するものである」と。
さて、日弁連はそれに続いて憲法9条が果たしてきた積極的な役割(自衛隊が海外で武力行使をしないよう歯止めをかけてきたことなど)を強調しています。確かにそれも重要なのかもしれませんが、それで十分でしょうか。私たちはむしろ、憲法9条があるにもかかわらず日本が引き起こした問題(ベトナム戦争やイラク戦争への支持・協力)に目を向けるべきではないでしょうか。
「国の交戦権はこれを認めない」という条文にもかかわらず、米国の戦争に「可能なかぎりの協力」をしてきたという事実、そして、米国の不正〔1、北ベトナム爆撃の契機となったトンキン湾事件は米国の戦略的挑発だった、2、イラク攻撃強行の口実=大量破壊兵器は存在しなかった〕が明るみに出た後も、「日本政府による戦争への支持・協力」について反省もせず居直ってきた事実。(安倍首相も国会答弁で責任はイラクにあるなどと言っています。)
大切なことは、そのような不正を監視することによって、いかなる意味においても「戦争参加」を拒否し、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること」(憲法前文)でしょう。この監視を極めて困難にするのが「特定秘密保護法」ですが、それをも含め、安倍内閣の暴走は現在進行中です。何としてもそれに歯止めをかけること、明確な意思表示をしていくことこそが、主権者である我々の責務ではないでしょうか。 これまで無批判に米軍の武力行使を支持し協力してきた日本政府が、集団的自衛権の行使が可能になったとき、どのような行動をとるのか。限定的に行使しますから信じてください、といっても無理な話でしょう。 にほんブログ村 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.03.01 23:17:10
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