|
カテゴリ:歴史
「ウクライナ」戦争開始以降の主な記事(PDF版) ぜひ、動画をご覧いただければと思いますが、主な内容を「文字化」してみましたので、ご一読いただければ幸いです。 Q そもそも徴用工とは? A 朝鮮半島から「動員」されて、大日本帝国内で労務にあたった(労働させられた)人々 ここでは「朝鮮から日本への労務動員」に絞る。 朝鮮から日本への労務動員とは、普通は国家総動員法に基づく労務動員実施計画で動員された約72万人の男性労務者のこと。(逃亡があったため実数67万人というデータも) Q 主な動員先は? A炭鉱(それ以外は工事現場と鉱山) 韓国では実態が強制だったものはすべて徴用と呼ぶ。日本政府は「徴用はわずかな期間だけ。あとは自由契約だ」と主張するが、募集も実質は強制だった。 Q 問題点は? A 多くの人は強制的に動員された。(全員ではないが) 最初は募集。最初の年だけは干ばつで、朝鮮でお米が不作だったため応募が殺到した。 (だが、求人条件に嘘があったら自由な意思で契約したとは言えない。) Q 嫌なら辞めればいいのでは? A 強制労働とセットだからそうはいかない。 動員が始まった半年後に「特高警察」がさまざまなトラブルをまとめている (求人条件と実態が違うとして起こった紛争も報告されている。) Q 募集による労務動員というタテマエだった頃から、既に実際は当局が強制的に動員したことを示す当時の文書がある。 例:「実務は朝鮮官憲によって強制供出する手はずになっている、すなわち警察において、割当数を必ず集める。」(募集した企業がこういう認識だった。) 1942年からは官斡旋と言って当局が正式に応募者を斡旋したが、年を追ってどんどん強烈な強制になった。1944年には朝鮮総督府の官報にこう書かれている。 「労務に応じて希望の有無を無視し、各行政機関に供出を割り当て(強制供出)させていることは問題だと総督府のナンバーツーが説教した」ということだが、焼石に水。 Q 実態は? A その三か月後に朝鮮を視察した東京の役人の出張報告によれば「出動は全く拉致同様、夜襲、誘い出し、その他の方策を講じて人質的掠奪・拉致の事例が多くなる。」 (口が裂けても自由契約なんて言えないが、これが「官斡旋」。) そして44年9月からは正式に徴用開始。これは文句なしに強制。 Q 2つ目の問題点は? A 強制労働。 退職の自由がなかった。(縛りつけられていた) Q 縛った方法は? A1 日本に連れてこられた労務者は全員「協和会」という組織に加入させられた。 協和会の会員証には職場がどこだと書いてある。会員証に書かれた職場と違うところにいたら捕まって連れ戻された。 A2 宿舎を塀や鉄条網で囲って閉じ込めた多くの記録がある。 Q 全部そうだったのか? A 監禁・軟禁は動員先によって違うが、強制貯金は全国共通。朝鮮総督府のマニュアルに生活費以外は貯金させろと書いてある。(貯金通帳を取り上げたら逃げにくい。) 資料:業界団体が朝鮮人労務者の扱いのアンケートをまとめた冊子(日立鉱山の回答) 「通帳は会社事務所が保管し、特別の事情がなければ、預金の払戻の取り扱いをしない。」 Q 酷使虐待の実態は? A 場所によってさまざまだが、酷使は長時間労働休みなし。病気でも無理に出勤させる。 朝鮮人労務者の大半は肉体重労働に回されたから長時間労働はなおさら危険。 官報の統計によれば、一番きつい採炭夫に優先的に回されている。 具合が悪いと申し出ただけで殴られたり蹴られたり、そんな暴力的酷使虐待が日常化していたことは、特高警察の月報にも残っている。殺した事例もある。 ※ 以上のような加害者側の記録が被害者の証言を裏づけている。 Q 賃金不払いの実態は? 賃金から寮費、食費を天引きし、それ以外は国元への送金と貯金。 会社が一括送金する約束だったが、真面目に送金しなかった会社が多かったため。 (国元の家族は働き手を取られ、お金も入らずめちゃくちゃになった。) Q 終戦で動員が終わった後は? A 貯金やら何やらきちんと清算しなかったところが多い。不払いの総額はわかっているだけで2億円近いとする政府の資料もある。(当時の金額) Q 戦後の対応は? A 終戦直後を除いて不払い賃金も賠償もいくつかの例外を除いて何も払ってないし、払うのをとことん拒んできた。なかったことにしようとする連中まで出てくる始末。 これは朝鮮人労務者の慰霊碑を立てる事が出来た数少ない例(群馬県) 史実が史実だと示すために今回は日本側の資料に絞って出した。が、実際の現場では生身の人間の血が流れた。その有様を知るには少しでもいいから被害者の証言を素直に読んでほしいと思う。ましてなかったことにさせてはいけない。 にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.08 20:05:43
コメント(0) | コメントを書く
[歴史] カテゴリの最新記事
|