全て
| カテゴリ未分類
| 懸賞
| 東京の旅
| 行事、地域
| 家族
| 滋賀、奈良の旅
| グルメ
| 四季の移ろい
| スポーツ
| 馬籠より
| 韓国旅行
| 中津川より
| 恵那より
| 美濃の旅
| 愛知、三重の旅
| 長野、山梨の旅
| 静岡の旅
| 京都の旅
| 大阪、兵庫、岡山の旅
| ヒューマン
| 旅のいろいろ
| 喫茶
| 菓子
| パソコン、電化品、車
| ヨーロッパ、ハワイ旅行
| テレビ、映画、音楽
| 歴史、伝統
| 買い物、主婦業
| 芸術、文化
| 日々の暮らし
| ニュース、時事
| ペット、動物
| 花、植物
| 飛騨の旅
| 自然
| 子ども
| 神奈川の旅
| 温泉
| 名古屋より
| ブログ、リンクス、ネット
| 中日ドラゴンズ
| 木曽より
| 夕焼け
| 食べ物いろいろ
| 行楽、遊び
カテゴリ:カテゴリ未分類
「縄張り」とは動物個体あるいはグループが 直接に防衛するか、あるいは信号を通じて他 個体を排斥し、排他的に占有する地域のこと である ウィキペディアより お馴染みの言葉だが、その語源はというと 築城する時の基本的な設計を、縄張りと言い その要めは曲輪の配置であるそうで、実地で 縄を張って、検証をした事に由来するそうだ 軍学者らが、その知識を遺憾なく発揮をして 縄張りをしたものだが、武田信玄の軍師である 山本勘助もまた、海津城、高遠城、小諸城という 信州の名城の縄張りをしたと伝えられている 武田信玄が東信州の統治の為に築城をされたのが 小諸城であるが、城下町よりも低地に城の縄張りが されている為に、別名を「穴城」とも呼ばれている その立地は西側の千曲川の断崖で防御をされ、浅間山の 田切地形の深い谷を、空堀に有効に利用をしたものだ 古くは平安時代から鎌倉時代にかけてを、木曽義仲の 武将でもあった小室太郎光兼が、ここに居館を構えた のが始まりであったそうだ 室町時代に入ると、この地の豪族であった大井光忠が 小室氏の勢力を抑えて、その子の光為の代には現在の 二の丸跡に出城として、乙女坂城を構えたそうだ 群雄割拠の戦国時代に入ると、先日の荒砥城の 日記でも登場をした村上村上義清が、大井氏に替わり 小諸も領有をするようになったが、程なくして 信濃に触手を伸ばす武田信玄によって、城は落城 武田信玄は、山本勘助と馬場信房に築城を命じて 天文23(1554)年には完成をし、甥である 武田信豊が城主になったそうである 天正10(1582)年に、武田勝頼が織田信長に よって滅ぼされると、信長の武将である滝川一益が 入城をするが、程なく本能寺の変が起きて武田方で あった佐久の依田信蕃が城主となった しかし小田原の北条氏直が、大軍で攻め寄せた為に 依田信蕃は徳川家康の下に落ち延びて、北条方の 大道寺政繁が占拠をするが、両者の戦いで徳川方の 領有となって、依田信蕃の実子である松平康国が 小諸の城主となった 天正18(1590)年には、豊臣秀吉が小田原の 北条氏を滅ぼして、天下の体制は豊臣のものとなり 小田原攻めでの功労が認められて、5万石で大名に 列せられた仙石秀久が小諸城主になり、三層の天守や 黒門、大手門を建て、息子の仙石忠政の代に三の門と 足柄門を建てるなど、小諸城の大改築が行われた ちなみにこの仙石秀久は、戸次川の戦いで独断専行で 大敗を喫しながらも、小田原征伐では活躍し大名に返り 咲いた事から、戦国史上で最も失敗し挽回した男として 「センゴク」という漫画で取り上げられ人気だそうだ 小諸では早くから殖産興業に目を向け、蕎麦を名産品に しようと取り組んでいた殿様であるそうで、美濃国の 土岐氏の流れをくむらしい 全巻セット!ご購入は当店で!期間延長!全商品 送料無料です!【漫画】センゴク天正記(1-5巻 最新巻) 天下分け目の関が原の戦いでは、家名の存続の為に 西軍に与した跡継ぎの秀範を、廃嫡の上で勘当をし 東軍につき家督は三男に継がせ、徳川の世では信濃 上田に移封。後に但馬出石へと蕎麦を伝えた また小諸城は、徳川秀忠が上田城の真田昌幸攻めで 手こずって、関ヶ原に遅参をして家康に叱責された 際の本陣だったそうだ 小諸は、徳川三代将軍家光の弟である徳川忠長(駿河 大納言)の所領の一部となり、荒砥城でも紹介をした 家老の屋代忠正が入ったが、忠長が辻斬りや家臣の 手打、浅間神社で猿を狩るなどの行状などから改易と なってしまい、屋代氏も連座で改易をされたが、後に 罪を許されて、安房国北条藩1万石を与えられた 寛永元(1624)年に、松平憲良が美濃大垣から入封を したのを皮切りに、幾度となく城主が交替をしたのだが 元禄15(1702)年に、越後与板から牧野氏が入封し そのまま明治を迎えた 現存する建造物は、現在の懐古園の入り口の三の門と 大手門のみで、共に国の重要文化財に指定をされている 三の門は1615年に建てられた門は、洪水で崩壊し 1765年に再建されたもので、徳川家を継いだ徳川 家達の筆による懐古園の有名な大額が掛かっている 明治14年(1881)年に、小諸城跡に懐古園が 造られた時の記念碑があって、題字は勝海舟の筆に よるものだそうだ 酔月城、白鶴城といった優美な名も持った城跡には 戦国の欲望と愛憎と哀れが、いっぱい渦巻いている ようだった 真田といい仙石もよく生き延びたものだ。その為には 親子が敵味方に分かれてまでも 平成21年6月27日に信州小諸城跡で撮影 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
「縄張り」 不動産や建築でも使いますね。
意味は同じようなことですが。 小諸城も時代とともに、いろいろ変遷がありましたね。 天下分け目の関が原の戦い、古代の「壬申の乱」も関が原が分け目の戦いだったんですよ。 (2009年07月03日 15時45分56秒)
これからの暑い季節お城に行くのは危険です^^;
私はもっと涼しくなってから行きます!! (2009年07月03日 15時48分16秒)
鏡石は鏡の代わりに使っていたのでしょうか?
(2009年07月03日 15時51分49秒)
縄張り争い、という言葉が多く使われていますが、
そのような由来があったのですよね。 それぞれの言葉はどのようにして出来上がるのか、 凄く興味が出てきました。 (2009年07月03日 16時17分10秒)
東信出身の上司によれば、昨年の大河ドラマをこのあたりの人はイベントなどしなかったとのこと。武田氏による小諸の民衆への虐殺や、子女の奴隷売買などの悲惨さが今でも残っているらしいです。懐古園といえば千曲川のスケッチとか、草笛も思い出します。
(2009年07月03日 16時25分56秒)
名前の通りで、鏡のように自分が映りそうです(^^)
はじめて見ましたが珍しいですね~! こっちにもここのような所があればのんびり歩いてみたいです☆ (2009年07月03日 17時29分32秒)
家名の存続の為に東西に分かれて参戦、どちらが勝っても家名は残る。命を懸けた保険、切ないけれど小豪族の知恵ですね。
(2009年07月03日 17時50分15秒)
家名を守るため、親子あるいは兄弟が納得ずくで敵味方に分かれて戦ったた戦国時代。それが武人の価値観でしたね。現代では相続争いで骨肉相食む姿を見聞きしますが、これでは家名はズタズタ。どこで価値観が変わったのでしょうかね。
鳩山一家はいかがなものでしょう。 (2009年07月03日 17時52分31秒)
群雄割拠する戦国時代において絶えず翻弄され続けた分岐点だったんですね。
時代によって役割も変わるんですね~!...と古を想像します♪ (^^) (2009年07月03日 18時24分03秒)
上杉が武田信玄が死んだ聞いて、豆腐食べながら、お箸、簿トンと、落とした、箸今も、水やにあるらしいですね。
(2009年07月03日 19時29分15秒)
Re:ファイター(07/03) KEN-0623さん
夢穂さん >以前、ブラット・ピットか誰かの映画でそういったテーマの映画を見たような覚えがありますが、世の中には身近なところですら自分の計り知れない価値観と違う時間の流れた世界があるものです。にゃんこもまた同じかもしれません。同じ時間と場所を共有していながら、そこにおける人生はまったく別であるのが猫であるのかも >>>動物に限らず植物と話ができる人が居ますが、そういう人は、人と話すのが下手なようですネ。 今日は、石垣ずくめですネ。 (2009年07月03日 19時44分06秒)
ホタルブクロが咲いてる・・・こちらではなかなか見られない花です。
城ひとつにもいろいろな歴史が刻まれているのですね。 しかし「穴城」とは・・・もうすこしきれいな呼び名はないものでしょうか。 真田家、最後まで家を守りぬいた知略、すごいと思います。 (2009年07月03日 20時48分32秒)
今晩は~~~♪
『鏡石』、自然の形のままで鏡の様に磨かれてるなんて!! しかも、小諸城、他のお城とは明らかに角度が異なる石垣 信州のお城、何時も驚いちゃいます! 燈籠や、井戸それに城壁、素晴らしい物がしっかり保存されていて 素敵ですね! (^_^)ノ"""" (2009年07月03日 21時37分00秒)
小諸懐古園は 遠い昔 中学校の修学旅行で行きました
もう一度 夢穂さんの写真で見て回りです が こんなに広かったっけ~~ 今、行ったら また 感覚も違うんだろうな~ (2009年07月03日 21時44分25秒)
風情がありますね。
(2009年07月03日 22時31分44秒)
小諸城が別名「穴城」とよばれること 知りませんでした。
そして縄張りという言葉 二つ思い出しました。 一つは 家を新築するとき 敷地の四隅に竹を立てて 必ず縄が張られて 神事のときお神酒が供えられること。(これは 意味が違うかな?) もう一つは 今日私のブログに乗せた 鮎の友釣りのとき 鮎が縄張り争いをするから 囮の鮎に仕掛けられた針にひっかかる釣りの話です。 新しい「縄張り」の勉強ができました。 (2009年07月03日 22時45分40秒)
こんなに素晴らしい石垣が残されているのですね!
小諸城のように沢山の城主の変遷があった城は多いのでしょうが、なんだか小諸城という響きとたおやかな石垣の曲線に優雅な雰囲気すら感じてしまいます。 (2009年07月03日 23時51分32秒)
「縄張り図」…。数年前地元の山城をボランティア(強制労働?)でとらされた思い出が…。
武田信玄は面白い城を造りますね。名前が「穴城」とは、信玄だけに意味が深そうな。それにしても長野の千曲川は歴史に深い影響を与えているんですね。確かに千曲川の景観はすばらしいものです。 (2009年07月04日 07時16分24秒)
金沢で育ったため、ガキん頃、城ってズ~ッと
同じ家が継ぐもんと思っとった。大名は、前田。 長じるにつけ、城とりの実態を知ると、稀有な 加賀。ま、戦がないって、幸せなこと。有難し。 (2009年07月04日 09時24分40秒)
高所恐怖症ですか?
もっと手すりから身を乗り出して、写真を撮らなきゃ(笑) 三の門は、少し変わってますね。 センゴクは読んだ事ありますけど、ヤンマガなら 喧嘩商売やカイジの方が好きですね。 (2009年07月04日 10時52分04秒)
勉強になりました。
今日は久々の晴天・・・気分爽快です。 今日も笑顔と感謝とガッツで過ごしましょう。 皆様の健康とご多幸をお祈り致します。 何時も有難うございます。 (2009年07月04日 11時21分16秒)
懐古園の門、立派ですね。
小諸は一度も行ったことがなく未知の土地です。 上州も含めて一度、旅してみたいと思っています。 (おそらくスキー帰り!?) (2009年07月04日 12時15分47秒)
こんにちは、コメントするのはお久しぶり。
懐かしいです。小学生のころは懐古園の城址は遊び場でした。以前城址は入園料を取られなかったので自由に入って遊べたのです。・・・こんなところで、かくれんぼや缶けりやっていたのですから・・・(爆) 懐かしい風景をありがとうございました。 (2009年07月04日 13時41分35秒)
>「センゴク」という漫画
明智光秀が奇怪な容貌に描かれているのが気に入りません。もっとひどいのは本願寺光佐! よく本願寺からクレームが出ませんね! (2009年07月04日 21時02分30秒)
昔の人も、仕事モシナイデ、イクサばかりしていたのですね。
(2009年07月04日 21時10分51秒)
小諸…
もう30年近く前、修学旅行で訪ねました。 どこかが私鉄の廃線跡だと言われ、鉄道ファンの我々グループが異様に盛り上がっていました。 当時、島崎藤村作詞の歌をバス内で合唱したのを憶えています。 (2009年07月04日 23時39分08秒)
歴史の宝庫ですね
お城が全部残っていたらすごい数になりそう 鏡石ってほんと光ってる~~~顔が写りそうだわ 縄張り・・・にゃんこの世界でもあります^^; (2009年07月05日 00時16分32秒)
小諸城へは幾度か行ったことがあります。しかし、よく調べておられますよね。これだけの情報を知ると、小諸城のことが改めてよく解ります。ありがとうございます。
(2009年07月05日 09時19分12秒)
穴城って初めて知りました。夢穂さんのブログは勉強になりますね。
(2009年07月05日 10時22分43秒)
鏡石だけに、ピカピカですね。
城跡て、ちょっと寂しいですよね。お城がないと、あまり行きませんが写真で見るとなんかいいです。 なんでかな??? (2009年07月05日 17時07分17秒)
へぇ
今、ロンドンでは風林火山の再放送を、JSTVでやってますよ (2009年07月05日 17時32分19秒)
城跡というと石垣が残されているケースが最も多いのでしょうか。
敵から守るための造りだなー 城とは言わないけれど、 石垣とか堀に似たつくりの御寺とか建造物とか あちこちにありますよね。 >戦国の欲望と愛憎と哀れが、いっぱい渦巻いている この一文にちょっと涼しくなりました^^; (2009年07月05日 22時22分53秒)
小諸には二度足を運びましたが、厳寒の夕刻の小諸城の感動は40年経っても生き生きと残っています。
一つの城を巡り、幾多の攻防があり、主もずいぶん替わったものですね。 (2009年07月06日 08時00分56秒)
勉強しにまいりました。
今日は雨、接骨院を休んでしまいました。 原因は先生の真似をし指圧をしたら 繋ぎかかった靭帯を押し過ぎて痛めてしまいました。 餅屋は餅屋、専門家に治療を任せておけば 良かったと反省しております。 皆様の健康とご多幸をお祈り致します。 何時も有難うございます。 (2009年07月06日 09時44分52秒)
生き残ることが大変だった時代から見れば、今はなんと平和な時代だこと。とりあえず、命は大丈夫ですから。
(2009年07月06日 14時54分16秒)
こんにちは~(*^^)"
見ごたえ。。。ありますね~(*^^*) 夢穂さんのブログは。。いつも身を乗り出して 見入ってしまいます。 なので・・ついつい・・行った気分に(^^; 鏡石☆触れてみたいです。 (2009年07月06日 15時19分25秒)
Re:いつも(07/06) KEN-0623さん
夢穂さん >正面からの写真などで、顔などに目がいってしまって気がつかなかったですけど、てくてく自由気ままな後姿を見ていると、あんよが靴下を履いているみたいで、尻尾ともどもとってもかわいらしいですね 時間が有るようで、無いようなココのノンビリした日常が垣間見えて良かったです >>>これまでココの写真を90枚ほどアップしていますが、一度に10枚近くアップするのは最近のことで、まとめてアップすると動きが分かり易いと思います。有料の画像の倉庫を利用するようになって枚数に制限なく640ピクセルの画像をアップするようにしています。これからも沢山の写真を撮りたいと考えています。 (2009年07月06日 15時54分34秒)
その昔、小諸城跡、懐古園に行きました。
島崎藤村の記念館があり、千曲川が見えた記憶があります。 (2009年07月07日 22時10分07秒) |