はじめに一言。
には入ってないから!
舞台は、最新の
東京人 2010年 03月号 [雑誌]で取り上げられた吉原。
今は日本随一の
街。
ここに、泡姫ご用達のおそば屋さんがあるという。
【そば処 梅月】 台東区千束4-27-12
紹介ページ1(by J.C.オカザワ氏)、
紹介ページ2、
クチコミ
街の南東の端にあり、すぐ北側には
店がいくつか見える。
私が知ったのは、J.C.オカザワ氏の
記事を読んだから。
後述する吉原最後の元料亭【金村】の見物も兼ねて、お昼をいただくことにした。
12時ちょっと前の入店。
店内はわりと綺麗で、大きな12人卓と4人卓x2、2人卓x1ほどのキャパシティ。
壁にはJ.C.オカザワ氏が書いた「おとなの週末」の記事が貼られている。
先客は3名で、ボーイ風黒服x1、労働者風老人x1、若者x1。
しばらくして、若い女性客がひとり来店! 若者の席に行く。
同伴? なんて、思いながらも、そばは『天もり』\1,350ができあがるのを待つ。
J.C.オカザワ氏によれば、泡姫たちの好物は、海苔が乗った『天ざる』\1,400だそうだが、私は海苔なしのほうが好みなので『天もり』にした。
海老2本と野菜2種(かぼちゃとなす)の天ぷらがなかなかおいしい。
そばは、「水車杵づき製法による幌加内産のそば粉を使用している」そうだが、自分の好みとちょっと違うので、むしろ、海苔かけのほうがよかったかも知れない。
ところで、若いカップル。雰囲気的に近所に住む普通のカップルみたい。
ちょっとした人間観察みたいのを楽しみたかったが空振りだったね。
ごちそうさまでした~
店を出ると、入れ替わりで若い女性。 おぉ、間違いない。
でも.....好みじゃなかった
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以前、
「東京人2008年11月号」の『吉原のそば屋』という記事に載っている【大村庵】さんを訪れた。(その時の
ブログ)
『
吉原 現勢譜 今昔図』という大判一枚刷(初版が昭和58年、平成5年に第3版)に明治27年、大正12年(関東大震災時)、昭和33年(公娼廃止時)が今昔図、平成5年が現勢図として載っている。
吉原の案内図としては、”吉原細見”として江戸時代の17世紀後半から出版され、『吉原 現勢譜 今昔図』は現代に蘇った”吉原細見”と言えるものだそうだ。
ここに載っている飲食店で現在に残っているのは、大正12年以来記載されているそば屋の【大村庵】と料亭の【金村】のみとのこと。
その【金村】が、経営者の高齢などで閉店することになった。
ふとしたきっかけでそのことを知った【
桜なべ中江】4代目が、「吉原の文化と歴史の灯を消してしまうのは忍びない」という思いから【金村】を引き継ぐこととなった。
【桜なべ中江(左)と土手の伊勢屋】
【金村】の名を残し、【桜なべ中江別館 金村】として再出発しているそうだ。その心意気、粋だねぇ。
※
紹介ページ
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夜は、【吉原大門蕎麦自然薯(よしわらおおもんそばとろ)】さんでそば屋酒。
【吉原大門蕎麦自然薯】 台東区千束4-37-12
と思ったら、そば切れorz
というか、諸般の事情で今月で店を閉めるから、営業縮小で、そばを打たなかったり、常連さんじゃないと入れないかもしれない。
まぁ、私はうまい酒と肴があればいいので...
もともとは寿司職人の店主に、おまかせで。
おいしかった~
別のところで再開したら、また伺わせていただくつもり。
店の名前は「かっこいいなぁ」って思っていたので、別名になるのはちょっと残念。
ごちそうさまでした~
【訪問履歴】
1回目:
2009年11月2日 『もりそば』