神仏信仰にまつわるそば処を集めてみた。
伝説はあっても、それに対応するそば屋が現存しないものも多い。
■稲荷蕎麦萬盛総本店@春日
東京都文京区春日2-24-15-102
2011年7月6日実食
『稲荷箱そば』
蕎麦稲荷
狐が化けた
澤蔵司(たくぞうす)という優秀な
伝通院の僧侶がそば好きで、澤蔵司がひいきにしていた門前のそば屋では、澤蔵司が現れた日、銭に必ず木の葉が混じるので怪しみ、ある晩、店の男がそばを買った澤蔵司をつけて行くと、森の中にそばを包んだ皮が散らばっていたという。
また、この出来事から店の男が澤蔵司は狐だと感づき、それが原因で澤蔵司は伝通院の覚山上人に自分が狐であることを打ち明けたと言う説がある。
そば屋の主人も、その徳を慕いて常に供養していたとされ、澤蔵司稲荷尊として祀られてから社前にそばを献じていたと記されている。
江戸中期、後期の縁起、略縁起にもまだ、そばの奉納が続いていると記され、明治や昭和初期の記録にも奉納が続いていると書かれているそうだ。
現在でもその日の初茹で(初釜)のおそばが朱塗りの箱に収められ奉納されている。
■柏屋@北千住
東京都足立区千住2-32
2023年1月16日実食
『地獄そば』
蕎麦閻魔
日光街道沿いの千住宿あたりは食ベ物を扱うお店が建ち並ぶにぎやかな場所だった。 その中にうまいと評判の蕎麦屋があり、毎晩美しい娘が一人で蕎麦を食べに来ていた。当時、 夜半に若い娘が一人で蕎麦を食べに来る事はめずらしい事で、 店の主人は不審に思い、娘の後をつけた。 娘は裏街道を抜け、金蔵寺というお寺に入ると閻魔堂の中に消えていった。 その話は評判となり、 金蔵寺の閻魔様に願をかけ、願いがかなうとお蕎麦を供えるというならわしが いつの間にかでき上がった。
■寺方蕎麦 長浦@東向島【閉店】
東京都墨田区東向島6-38-2
2011年7月10日実食
『妙興寺そば』
愛知県
妙興寺に慶長年間在籍した、僧侶恵順が記した「蕎麦覚書」を現代風に再現している。
■
尾張屋@浅草(
現在の店とは異なるものと思われる)
2018年3月1日訂正
※ 「蕎麦春秋vol.18(2011年夏号)」P36-P37 によると
【尾張屋 本店】(東京都台東区浅草1-7-1)がモデルのようである。
蕎麦喰地蔵 (田島山 誓願寺 塔頭 西慶院(現九品院))
九品院がまだ浅草にあった当時、浅草広小路にあった「尾張屋」という店に毎晩、高僧がそばを食べにきた。店の主人が不思議に思い、後をつけると地蔵堂の中へ姿を消した。実は僧は地蔵さまの化身で、その夜の夢枕に現れて、供養してもらった礼に店の主人とその一家を守ることを告げたという。主人はその後も地蔵さまにそばを供え続けたので、一家は無事息災に暮らすことができたとのこと。
■該当店舗現存せず@柴又
柴又蕎麦地蔵(薬王山医王寺:東京都葛飾区柴又5-13-6)
訪問記
高野山の火事で本堂が全焼した源珍僧都は薬師如来を背負って全国行脚に出た。四国山中で脚の病気で倒れた源珍僧都を心配した村人は一体の恵比寿天像と蕎麦粉を彼に贈った。
谷で篭って修行していた時、蕎麦を練ろうと水辺へ向かった。
水底を見ると金色に光る物を発見した。
そば粉に砂金がついていたのだが、大いに驚いて「恵比須天にそばを奉るはかかる効力ある故ならん」と喜び、病も癒えて再び行脚をはじめた。そして「そばを食するものは命長く、脚気に病める者癒え、商人においては恵比須天を祀り、そばを供えて礼拝すれば商売繁昌に成る」と説き、「みそかにそばを食し、かけとりに行かば金銭意の如く集まる」と唱え、多くの人を救ったという。
■該当店舗現存せず@中野坂上
石臼塚(明王山宝仙寺:東京都中野区中央2-33-3)
神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていた。
そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになった。
その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなった。
そうした石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に『石臼塚』を立て供養している。
■該当店舗現存せず@北烏山
そば禁制の石碑(称住院(しょうおういん):東京都世田谷区北烏山5-9-1)
称住院は、慶長元年(1596)白誉上人が湯島に創建、明暦の大火後浅草(西浅草3-5)へ移転。
寺中道光庵の庵主がつくる蕎麦が評判となり、そば切り寺とも称され、文人墨客が多数訪れた。関東大震災で罹災し、昭和2年に当地へ移転した。
「園光大師巡礼之処第18番称往院」とあるが、右側に「不許蕎麦入境内」と刻まれている。これには、次の由来がある。
称往院境内の道光庵主は信州人で、そばをつくることがじょうずで、檀家の参詣人に自製の信州そばをごちそうしたところ、あまりうまいのでいつのまにか評判になり、念仏道場にくる人々にせがまれて、実費で頒つようになった。当時の川柳「浅草の名高き庵へよばれ客」等にも、その名高さがあらわれている。
しかし、そばな有名になるほどに、庵主の本来の業が怠りがちなので、称往院住職はついに怒って、そばを当院より追放するという前述のような碑を、山門前に建てた。
現在、そばやの屋号に、「○○庵」というのが多いのは、江戸称往院のこの由来にもとづき、美味を誇る象徴とされているからである。(せたがや社寺と史跡より)
■深大寺そば組合@深大寺
2013年11月30日見学
そば守観音(深大寺:東京都調布市深大寺元町5-15-1)
毎年11月中旬、深大寺そば組合によって「そば守観音供養祭そば献供式」が行われる。深大寺に江戸時代から伝わるかごが修復され、そば粉を練って丸めた「そば玉」と練り鉢など「そば道具一式」がかごに乗せられ、参道を練り歩く。そば店店主らが白丁(はくちょう)に身を包み、そばを献上する儀式を行う。
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神仏信仰系そば処(まとめ2)に続く