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2011年12月04日
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カテゴリ:Dalian大連2011

雨の老虎灘公園を見学し、だんな様がラテックス高反発枕を買うたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅10月1日、3日目。
1時間ほど自由時間になったので、日航ホテルのところで宿泊者の人と一緒に下ろしてもろた。
今回ツアーには入ってなくて行きたかった場所があった。
日航ホテルからほど近いところにある、勝利橋を渡る。
勝利橋は、鉄道の線路を跨ぐ跨線。
帝政ロシア統治時代はロシア橋、日本占領時代は日本橋と呼ばれていたそうや。
この橋を渡ると、ロシア風情街がある。
帝政ロシア時代にロシア人が多くの住んでいた地域なんやそうや。
入口のところに、「大連芸術展示館」がある。
ここは、1902年にロシアの東清鉄道汽船会社社屋として造られた建物。
日本の租借時代には、大連倶楽部、満鉄日本橋図書館などとしても使われていたそうや。
戦後解体されてしもた。
大連と姉妹都市である北九州市が、友好都市締結15周年を記念して、1994年門司港レトロ倶楽部のなかに、この建物の複製を建築し、「国際友好記念図書館」としてる。
そのとき日本で造られた建材を輸入して、大連でも1996年に複製が再建され、「大連芸術展示館」となったそうや。
そこから続くメインストリートの両側に、欧風の建物が並んでるけど、ほとんどは2000年にロシア風情街として改修したときに、想像して造られたもののようや。
どことなくテーマパークのような雰囲気もする。
売ってる物は、マトリョーシカやロシア風の帽子や手袋などもあるけど、ロシア製なのかどうかは怪しい。
しばらく歩くと左手に、大連船舶技術学校」と書かれた建物があった。
ここは、東清鉄道技師長でダーリニー市長を兼任したサハロフの官邸として1900年ごろに建てられもの。日本統治時代は、満鉄総裁公邸やったそうや。
学校のはずやのに、1階中央にはロシア語が書かれた入口があって、バーみたいやった。
ロシア風情街の突き当たりに、立派な建物が見えた。
かつて「ダーリニー市役所」やったところ。
帝政ロシアは、1898年に大連、旅順などを租借すると、「ダーリニー市」をつくった。
「ダーリニー」はロシア語で「遠い」という意味。
1900年に東清鉄道事務所として建てられたこの建物が、1902年に「ダーリニー市役所」になった。
日露戦争の結果、1905年に租借権が日本に譲渡され、1907年に満鉄本社となる。
1908年に満鉄本社が移転すると、大連ヤマトホテルとしても使われる。
中山広場の大連賓館(旧大連ヤマトホテル)ができたのが1914年やから、それより前の話。
それ以降も満蒙資源館になり、戦後は東北資源館、大連自然博物館となった。
1998年に博物館が移転すると、この建物は使われなくなり、今は廃墟のようになってる。
大連の歴史をずっと見てきた貴重な建物やねんから、なんとか残してくれるとええのになあ。
大連の旅、続く。
(旅行時の為替、1元12.5円で計算)

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最終更新日  2011年12月23日 00時28分44秒
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