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カテゴリ:豊島区
椎名町に昼間に来ることはあっても、夜呑みに来るのは久しぶりの事です。その理由は明白で、大概の酒場を経巡っているつもりでもはやあえて立ち寄る店などなかろうといういつもの根拠薄弱な自信が砕かれたのは田端の立呑み屋の常連の話によってでありました。その方が語るには、椎名町駅から徒歩5分ほどの商店街の外れにある居酒屋が大変気に入っていてつい昨日も美味しい肴をたんまり頂いてきたと自慢げに語っておられたのです。そこでぼくはマメに呑み歩いていることを語ってみせたりしていたから、さすがに足を伸ばさぬわけにはいくまいとようやく重い腰を上げてそのお店に向かうことにしたのでした。それが突然の思い付きだったので、なんと愚かにも店名すら失念したままでなんとかなるさで向かったけれど、結局なんともならずに本来の目的を失ってしまったのでした。
見慣れた道筋を辿って行くと、やはり見慣れた酒場があるだけのはずなのに「酒房 野茶坊(やちゃぼ)」のようなぼく好みな酒場がまだ残されているのだから、人の視線は節穴だらけだと改めて思うのです。いや、今これを書きながら思い起こしてみると確かにこんな店があったような気もする。だけれどその時にはきっと少しの興味も抱けなかったのです。今回、改めて目当ての酒場を探し求めて何度かこの通りを行き来したことで、店内の様子が換気の窓から覗えたことで、俄然このお店への興味をもたらし得たのだから、当初の目的は達せられずとも想定外の収穫を得られたのだから問題などないのです。さて、外観だけではぼくの気を引けなかったこの酒場の店内はどんな様子かというと、永遠に暮れる事のない夕暮れ過ぎと闇夜のトバ口との狭間のような時間に置き去りにされたような切なさに満たされているのでした。明るく明朗な酒場は逆に客のぼくには後ろめたいのです。さて、そうした胸をつかれるような店内ではありますが、ご夫婦は極めて淡々としているし、常連のオヤジ二人組は近頃の若者のケチ臭い呑み方について文句を語り合っていたりと他所の酒場と何ら違うところはないのです。焼鳥は普通だし、値段だって近頃の酒場と比べると幾分お高めと当たり前に日常使いはしないだろうけれど、でもしんみりと呑みたい時にこういう酒場があると安心だろうと思うのです。 一方で、先の店よりも一見客を寄せ付けぬ頑な印象を放つのが「季節料理 三好」です。季節利用とか小料理とか、曖昧で掴み所のない店に入るのは今でも若干の戸惑いがあります。酒場という広義なカテゴリーがあるとしてそのサブカテゴリーにうちは料理を売りにしていますよという自己主張を掲げるのが、どうもそんなに肴に拘らなくなったぼくには重荷に感じられるのです。しかし、そうした安直な印象を実は裏切るようなお店が多いということも知っているのです。かつて開店当初は肴自慢の酒場をやるつもりがやがて店主の高齢に応じるように品書きの記載を減らしていき、小さな冷蔵庫に貼るような小さなマグネット式のホワイトボードに精々十品程度が記されるだけになったりするのです。その品も日持ちのする季節感など無視したような料理名が並んでいる場合が多かったりするのです。店内も今では散らかり放題になっていて客席というよりは主人の生活空間が侵食してきていたりする。このお店もまさにそんなタイプのお店で、もはや意気揚々と規約を獲得しようという意欲など微塵もなく惰性で開いているように思えるのです。しかし、そんな酒場があったって一向に構わぬと思うのです。そこには長年通い詰めて、店やオヤジと共に歳を重ねてきた馴染みがいて、彼らは互いの安否を確かめるようにして店に集うのであって、そこには肴など不要なのであります。それどころか会話すら無用である人達を見る事も少なくありません。客は店に入り軽く会釈し、オヤジはそれをチラリと見遣る。お通しの刺身こんにゃくを摘みながら、酒をお通しの刺身こんにゃくを摘みながら、酒を二杯ほど瞬く間に呑み干すとすくっと席を立ち、つむじ風のように立ち去る。そういう呑み方ができればカッコいいんだけれど、まさしくそんなお客さんがお越しになっていたのです。そんな彼らの間に会話らしい会話などないのだけれど、それでも十分に気持ちは伝わっているんでしょう。酒呑みは斯くありたいと思うけれど、ぼくにはまだ30年は修業が必要そうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/07/04 08:30:05 AM
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