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殿上人日記

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2012年11月21日
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カテゴリ:京都の旅



まぁ、これは次の日? いえいえアラレも降れば、風雨も
キツイ日であったのだが天気がころころ変わって、編集上
前後したけど、あの雨が止んだ熊川宿を出て15分後位後
最初の観光地に着いた時、青空すらも・・・


               

日頃の行いのが良いのか、単なる偶然なのかは判らないが
福井県内で唯一の国宝(建造物)のある小浜市の明通寺に
着いた途端の出来事であった。天気の変わらぬうちに国宝
寺院を拝観させていただこう!




アメリカの大統領と同じ名前で、知名度が上がった小浜では
あるが、私がここに来たいと思ったのは30年は昔。当時は
まだ10代であった。子どもの頃から城だ、古墳だ、お寺だ
なんて歴少女だったので、「海のある奈良」とも言われてた
小浜市は、京都市内や奈良に負けぬ文化財の宝庫であると
本などで知っていた


               

古くより大和王権の日本海側からの出入口として、繁栄を誇り
海産物を奈良や京都まで送った「御食国(みつけくに)」の
一つでもあった。奈良の東大寺で行われる「お水取り」の水は
小浜の遠敷川の鵜の瀬から送られたものである(この寺の近く)




その為に中央集権とのつながりも深く、奈良時代の頃からの古い
寺社なども多く、特に重要文化財に指定された仏像などが魅力で
それらの仏像巡りをするのが、小浜観光の目玉でもある




福井県内には6つの国宝があり、永平寺の道元筆「普勧座禅図」
瀧谷寺の「金銅宝相華文磬」、常宮神社の「朝鮮鐘」、劔神社の
「梵鐘」、そして建造物として明通寺の「本堂」と「三重塔」だ

やはり小浜観光の最初には、ここ明通寺に訪れようと思っていた


               

流石に国宝寺院だけあって建物の風格なども違う。拝観受付けを
済ませると、毛糸の帽子を被ったご僧侶が一緒に本堂まで上がられ
本堂に鎮座する御本尊の前で、お寺やお堂、仏像などについてを
簡単に説明をして下さった




話によれば三重塔に続き、2010年からは本堂の屋根葺替工事が
続き、昨年12月に工事が完了したそうで、三重塔の方から見れば
確かに屋根がピッカピカ。それにしても今年の拝観で良かった!




工事中で拝観出来なかった熊本城。工事中の青ビニールが悲しい
寺社仏閣数多し!

屋根の葺替工事には、境内の檜から採取した檜皮も使われており
参道の樹木が真っ赤っかだったのはそのせいか


               

明通寺(みょうつうじ)であるが、真言宗御室派の寺院で、山号は
棡山(ゆずりさん)という。この山中には棡樹(ゆずり木)があって
その樹下に不思議な老居士が住んでいたそうだ。征夷大将軍として
蝦夷征伐を行った坂上田村麻呂が霊夢を見たそうで・・・




この老居士の命ずるまま、天下泰平、諸人安穏を祈願して、大同元
(806)年に堂塔を創建し、老居士は棡の木を切って、本尊である
薬師如来や、降三世明王、深沙大将の三体を彫って寺に安置をした


               

平安時代末期(既に時代が↑の話とは合わないけど)に造られたと
思われる御本尊の「木造薬師如来坐像」、「木造降三世明王立像」
「木造深沙大将立像」、「木造不動明王立像(元・松林寺のもの)は
どれもが国の重要文化財に指定をされている




中でも砂漠の毒蛇を神格化したインドの神様で、西遊記に登場する
する流砂河の主でる沙和尚(沙悟浄)のモデルとなった深沙大将の
立像は、頭部に髑髏、腹に幼女の首を付けた異形の護法善神として
表され重要文化財に指定されているのは、岐阜県の横蔵寺と丹後の
金剛院のと3体の仏像のみだそうだ

        明通寺、木造深沙大将立像


               

更には国宝の「本堂」であるが、文永2(1265)年に落成をした
入母屋造、檜皮葺きの建物で、屋根や隅軒などが鎌倉時代の特色を
よく示し、堂内は中世仏堂特有で内陣と外陣(礼堂)に別れている




国宝の「三重塔」は、文永7(1270)年に上棟。高さは22メートル
初層内部には四天柱が立ち、釈迦三尊像と阿弥陀三尊像が安置され
柱や壁には十二天などが描かれているそうだ


               

境内には樹齢500年の萱(かや)の樹も。車に戻ると俄かに天気も
崩れて、数分もしないうちに雨も降ってきた




雨の中、市内の次のお寺に到着。今回は仏像が目的だからと雨の中を
本堂へと。羽賀寺(はがじ)は高野山真言宗の寺院で、山号は本浄山
霊亀2(716)年に、奈良の女帝元正天皇の勅願によって、行基が
創建したとされている


               

守護細川氏などの庇護を受けていたが元弘の乱で焼失し、細川氏清が
再興。更に後応永5(1398)年にも焼失するが、永享8(1436)年
後花園天皇からの勅命を受け、奥州安倍氏の安倍康季が再興をした

本堂は文安4(1447)年の建立で桧皮葺の入母屋造り。北山文化の
特徴があり堂内は内陣と外陣が明確に区別されている。重要文化財に
指定をされている




御本尊の元正天皇の御影との説がある「木造十一面観音菩薩立像」は
10世紀初期の作で、檜の一木造、翻波(ほんぱ)式。衣文、膝に届く
程に長い腕など、平安前期の古様をとどめている

その他に木造千手観音菩薩立像、木造毘沙門天立像、紙本墨書羽賀寺
縁起などが重要文化財に指定をされているそうだ。雨でも仏像拝観で
あれば苦にもならない


               

ゆっくりと堂内の仏像を拝見させて戴いていると、雨にぬれるからと
お寺の方が、本堂軒下の靴を堂上に新聞紙を敷いてそこに移動をして
くれていた。そんな心配りがまた嬉しい




むかしむかし若狭のある漁村の庄屋の館で、海辺で拾ってきたからと
食べれば永遠の命と若さが手に入る人魚の肉が、村人らに振舞われた
そうだ。しかし不気味なので皆で話し合って、食べた振りをして懐に
入れ、帰り道に捨てる事にした




ところが、一人だけ話を聞いていなかった者がおり、自宅に持ち帰って
隠して置いた人魚の肉を、その家の娘が盗み食いをしてしまった。娘は
食べた時そのままに、いつまでも十代の美しさを保ち、何百年もの間を
生きたそうである




その美しさゆえに結婚をしても夫に先立たれてしまい、父も年老いて
亡くなり、村の人々にも疎まれて尼となり、国中を周って貧しい人々を
助けたそうだが、最後には世を儚んでこの岩窟に消えたそうである

そんな哀れな八百比丘尼が入定した岩窟が小浜市の「空印寺」にあった




生没年として最も有力な説は、白雉5(654)年に生まれ、宝徳3年
(1451年)に京都を訪れて、その後に小浜へ戻り800歳で入定を
したものであるという




        平成24年11月15日に小浜で撮影(最後の写真は16日、宮津で)





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最終更新日  2012年11月26日 10時29分26秒
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