質の高い授業
さて、前回の記事では「○○先生に学ぶ」というテーマで行う「学習会」を通した「学校づくり」について紹介しました。このように、教職員同士が「生活指導」だけでなく「授業」のあり方についても「学びあう」ことが大切なのは言うまでもないことでしょう。
そのような「学校づくり」の事例に先立って、(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』から)フィンランドのある授業を紹介します。
国内のお金の流れから、国や企業などの社会機構の役割を理解する授業だった。日本人が授業見学に来る予定だからといって、アウテレ先生は対外貿易からフィンランドと世界の国の関係を見る授業に発展させていた。(・・・)
一斉授業だが、教師が上手に生徒の意見を引き出して、考えさせる授業であった。
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』193頁)
プリントのデータを読み取らせ、ケータイを使って計算もさせる。
中国とは輸出超過だが、日本とは輸入超過の関係にある。これは、中国にはケータイ電話がたくさん売れているのに、日本にはあまり売れていないということだ、などいろいろ考えが出る。 (『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』194頁)
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』195頁)
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』198頁)
授業風景の写真からうかがえるのは、この授業が生徒の知的な関心を充分引き出すものになっていることです。(↑最後の2コマ「授業が終わっても考えは発展し、先生のもとに生徒が集まってきて質問し、まだ考えて、なかなか去ろうとはしなかった」)
著者も「相当高い専門力」を基盤とする「質の高い授業」と絶賛していました。「事象そのものに対する興味・関心」と「学び、探求していこうとする意欲」がふくらんでいくこの実践は素晴らしいもので、私たちが目指していくべき授業のモデルといえるでしょう。
私は、以前のブログ記事(競争しても学力行き止まり 6 )で、日本における成人の「科学的応用力」の低さを問題にしてきましたが、それは、「“受験競争という刺激”に頼りすぎ、対象(事象)に対する自然な興味・関心をふくらませる教育に失敗しているためではないのか」、自らを省みる必要があると感じます。
しかしながら、まさにこの日本において行われている「上記写真のような質の高い授業」を私自身は何度も参観することができました。その学校は「授業研究」が盛んに行われている学校でした。
次回記事は、 「授業研究」を中心に「学校づくり」を実践している事例について紹介したいと思います。
フィンランドの教育6
教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
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