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カテゴリ:フィンランドの教育
私のブログ記事「驚きのフィンランド教育 3 -格差をなくせば学力は伸びる-」に対して「教育の窓・ある退職校長の想い」のtoshiさんからていねいなコメントをいただきました。わたしの「応答」がかなりの分量になりましたので、記事にさせていただきます。
>『待つ』ということについては、日本の場合、多くは、教員の指示がないと子どもたちは遊んでしまう姿を思い浮かべると思いますが、 >フィンランドの場合は、自学の姿勢が育っていますので、『待つ』時間であっても、どんどん自分のペースで、自主的に学ぼうとするのだと思います。 一部遊ぶ子はどうしてもいるようです。実際、授業場面(フィンランド)の写真の中にも出てきます。が、それを押さえつけるのではなく(つまり多少は許容しつつ)、自分自身のための学習であることを語りかけたり、学習そのものを通してそれが実感できるように持って行こうとしています。 学習そのものに対する「動機づけ」がかなりの程度成功しているのは見事だと感じます。 >そして、(フィンランドの)教員は待つ時間も子どもがどのような学びをしているか把握しようとしているのではないでしょうか。日本においても、主体的な学びを保障することのできる教員は、みな、そうした姿勢を持っています。 発問の後に充分な時間をとる場合、確かにそれぞれの思考過程をしっかりと確認しようとしているようです。また、数学の演習中は「生徒はおしゃべりをしながら教えあい(・・・)先生は机間巡視の間に一人ひとりの進度を把握し、適切に支援していく」(201頁)、といった授業場面の紹介もありました。 >そして、若い先生の子ども時代から、そういう教育が行われていたということが大きいでしょうね。 子ども時代の教育でも「思考過程」を大切にするために時間をかけて待ち、それぞれが提示した「発想や“こたえ”」を適切に評価できているのでしょう。だから、子どもの頃からすぐ“こたえ”を求めるのでなく「時間をかけて考えあうこと」の大切さを学んでいるのだと思います。 >また、日本の場合、教員による説明・解説の授業が多く、それはとかく理解の遅い子にとって、おいてきぼりを食う原因になっていると思いますが、どうでしょうか。 上に述べられたような授業の形態も確かに重要だと思います。『格差をなくせば子どもの学力は伸びる -驚きのフィンランド教育-』で紹介された授業を見る限り、「自学自習」の時間をとって教員が個別に指導する場面や、子どもたちが教えあう場面が(フィンランドでは)多く、それが「理解の遅い子をおいてきぼりにしない」ことにつながっているように見えます。 ただ、授業形態以上に重要だと思われるのは基本的な発想です。toshiさんが注目しておられる《子どもの状態だって違うし、授業が計画通り行くわけないに決まっているじゃない》という(フィンランド教師の)言葉はまさに、貴ブログ記事「初任者が希望と夢をはぐくめるように」で述べておられたことと重なるのではないでしょうか。 >その子、その子の内面にある。その子にとって今必要としている学力こそが、その子にとっての『基礎的・基本的な内容』なのである。 そのような発想に立てば、「計画通りいくわけない」だけでなく「計画通りいくことが少しもよいことではない」ということになるでしょう。計画通り進めて「その子にとって今必要としている学力」を保障できなければ全く意味がないわけです。 >おもしろいなあと思いました。日本では、それは、ストレスがたまる理由として語られることが多いのですよね。 それがストレスになる理由は、まさにtoshi さんが述べておられるとおりだと思うのです。 〔“世の中の常識”が以下のようになっている〕 >学習指導要領、すなわち、国が決めた学習内容こそが『基礎的・基本的な内容』であり、それは徹底して指導しなければならない。なにしろ、『確実な定着』なのだからね。 >そういう教育観があるから、教え込みがあるし、競争原理の学力調査があるし、そして、その延長線上には受験がある。 だから、「予定通り進まない」ことが“あせり”や“ストレス”になりやすいのでしょう。 フィンランドの教育が逆に「(テストなど)競争による動機づけ」を注意深く抑制し「待つ授業」、「のんびりした授業」を展開しているのは、「(一人ひとりの)その子にとって今必要としている学力」を保障するためだ、といってもいいのではないかと思います。そして、それが大きな成果を挙げていることは周知のとおりです。 その背景としては、戦後の日本でもある時期まで進められた「教育の分権化」(すべての権限を教育現場に)という政策がフィンランドで貫かれていること、それが大きいと思われます。 ↑ よろしければ投票していただけますか (一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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学修指導の中で、子どもに考えさせる、子どもが課題に取り組むという時間は、必要ですよね。
こういうことは、僕が新卒時代は、教員の常識でした。ですから、校内研究会では、もっと、子どもに考えさせる時間を与えるべきだttのではないかという意見がよく出たものです。 今は、それが、薄くなってきていると思います。 子どもが考える時間が、あってこそ、豊かな授業になっていくのだと思います。 子どもに考えさせる時間、その一つとして、僕らは、書き込みをさせています。 それを、TBさせて戴きます。応援して戻ります (2009.03.26 09:59:34)
toshi先生のブログもずっと以前から拝見していました。toshi先生は私の最も尊敬する恩師と雰囲気がそっくりなのです。同記事で、toshi先生の以下の部分が印象的でした(抜粋ですみません)。
>『考えをしっかりもつことと思考の柔軟さと、』という資質は、 >日本人にとって、大人でもむずかしい。 >自分の考えに凝り固まり、自分の考えと違うからといって、(縁が切れる)。 >これはなぜか。 >多くの大人は、子どものとき、問題解決学習を経験していないからだ。 >考えがないか、自分の考えにこだわるか、どちらかの傾向を強めてしまう。 私は以前、日本人でフランスで勉強している高校生の数学を、帰省した夏休みの期間2年連続で教えたことがあります(その子がフランス語の教科書を日本語に通訳して)。 解答よりも、解き方よりも、「それを如何にして教師に,クラスメイトに説明するのか」に重点が置かれていることに驚きました。フランスだけでなく、それがヨーロッパの学習の主流らしいですね。その高校生が私に教えてくれました。フィンランドは特にそれが徹底しているのでしょうか。 (2009.03.26 12:48:43)
今日9729さん
コメント、TBありがとうございました。 >校内研究会では、もっと、子どもに考えさせる時間を与えるべきだったのではないかという意見がよく出たものです。 >今は、それが、薄くなってきていると思います。 そうですね。大切な原点を確認しながら授業実践を進めていくことが重要だと思います。 >子どもに考えさせる時間、その一つとして、僕らは、書き込みをさせています。 ブログ記事、読ませていただきました。(本日も応援です。)「答が一つに限定されない問い」について楽しみながら考えていくことは本当に大切ですね。 何とか応用を考えて授業に取り入れてみたいと思います。 (2009.03.26 17:46:33)
Mr. Hot Cakeさん
>>『考えをしっかりもつことと思考の柔軟さと、』という資質は、 >>日本人にとって、大人でもむずかしい。 環境問題など、見解を異にする人とのコミュニケーションを試みたこともありますが、確かに難しいですね。上記の資質は極めて大切なものだと思います。 >(フランスでは)解答よりも、解き方よりも、「それを如何にして教師に,クラスメイトに説明するのか」に重点が置かれていることに驚きました。 >フランスだけでなく、それがヨーロッパの学習の主流らしいですね。その高校生が私に教えてくれました。フィンランドは特にそれが徹底しているのでしょうか。 本を読んで、確かにそのような訓練の機会が多い、という印象があります。 また、「説明する」前の段階として「異なる考え(情報)を収集して柔軟に解釈する(読みとる)力」も訓練されているようですね。北欧の民主主義の成熟度はかなり高いようですが、そのような意味での「力」が土台にあるのでしょう。 (2009.03.26 17:48:49)
『待つ』ことと関係あるのですが、以前拙ブログに、『校長先生の授業(2)TOSSとくらべて』なる記事を掲載したところ、亀@渋研Xさんが、ご自分のブログ、『PSJ渋谷研究所X』で、『子ども、「校長先生の授業」、TOSS-2』なる記事を書かれました。そこでは、
『(保護者の立場からの物言いだが、日本の多くの授業では、討論させたりノートに書かせたり発表させたりすると、)授業がよどむような印象を受ける。テンポが悪くなりがちだ。しかし、この校長先生の授業では、よどみが生じないような工夫がいくつもされている。』とありました。 わたしは、一市民のこの感想に、すごい感動を味わったのですが、それに加えて思いました。 それは、この校長先生の授業においては、よどみをなくす工夫もさることながら、子どもが十分内発的動機をもっているので、子ども自身が授業をよどませないような意欲をもっているということでした。 フィンランドと授業形態は異なっても、『同じような内発的動機重視の取組は日本でも行われていますよ。』と申し上げたく存じます。 また、 《「待つ授業」、「のんびりした授業」を展開するのは、「その子にとって今必要としている学力」を保障するためだといっていいのではないか。そして、それが大きな成果を挙げていることは周知のとおりです。》については、 『待つ』『のんびり』は、子どもであって、教員は、決して何もせず待ったり、のんびりしたりしているわけではないと申し上げたい。 その間、子どもの意欲、問題意識、定着度など、きめ細かく観察しているに違いありません。そして、それを、以後の学習に生かすのです。そうでなければ、学力世界一はありえないでしょう。 日本でも、日本のよさを生かしながら、内発的動機を重視した授業がなされるようにしたいですね。 (2009.03.31 21:28:27)
toshiさん
>この校長先生の授業においては、よどみをなくす工夫もさることながら、子どもが十分内発的動機をもっているので、子ども自身が授業をよどませないような意欲をもっているということでした。 >フィンランドと授業形態は異なっても、『同じような内発的動機重視の取組は日本でも行われていますよ。』と申し上げたく存じます。(・・・) >『待つ』『のんびり』は、子どもであって、教員は、決して何もせず待ったり、のんびりしたりしているわけではないと申し上げたい。 >その間、子どもの意欲、問題意識、定着度など、きめ細かく観察しているに違いありません。(・・・) >日本でも、日本のよさを生かしながら、内発的動機を重視した授業がなされるようにしたいですね。 日本における(内発的動機づけを中心とする)授業実践には大きく励まされますね。 私も素晴らしい授業を何度も参観したことがありますが、上記コメントで書いておられる点は当てはまっていると思います。 研究授業や実践報告などを通して、素晴らしい取り組みや実践を広げていきたいものですね。 (2009.03.31 22:32:11) |