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2009.03.25
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私のブログ記事「驚きのフィンランド教育 3 -格差をなくせば学力は伸びる-」に対して「教育の窓・ある退職校長の想い」toshiさんからていねいなコメントをいただきました。わたしの「応答」がかなりの分量になりましたので、記事にさせていただきます。

>『待つ』ということについては、日本の場合、多くは、教員の指示がないと子どもたちは遊んでしまう姿を思い浮かべると思いますが、
>フィンランドの場合は、自学の姿勢が育っていますので、『待つ』時間であっても、どんどん自分のペースで、自主的に学ぼうとするのだと思います。

 一部遊ぶ子はどうしてもいるようです。実際、授業場面(フィンランド)の写真の中にも出てきます。が、それを押さえつけるのではなく(つまり多少は許容しつつ)、自分自身のための学習であることを語りかけたり学習そのものを通してそれが実感できるように持って行こうとしています
学習そのものに対する「動機づけ」がかなりの程度成功しているのは見事だと感じます。

>そして、(フィンランドの)教員は待つ時間も子どもがどのような学びをしているか把握しようとしているのではないでしょうか。日本においても、主体的な学びを保障することのできる教員は、みな、そうした姿勢を持っています。

 発問の後に充分な時間をとる場合、確かにそれぞれの思考過程をしっかりと確認しようとしているようです。また、数学の演習中は「生徒はおしゃべりをしながら教えあい(・・・)先生は机間巡視の間に一人ひとりの進度を把握し、適切に支援していく」(201頁)、といった授業場面の紹介もありました。

>そして、若い先生の子ども時代から、そういう教育が行われていたということが大きいでしょうね。

 子ども時代の教育でも「思考過程」を大切にするために時間をかけて待ち、それぞれが提示した「発想や“こたえ”」を適切に評価できているのでしょう。だから、子どもの頃からすぐ“こたえ”を求めるのでなく「時間をかけて考えあうこと」の大切さを学んでいるのだと思います

>また、日本の場合、教員による説明・解説の授業が多く、それはとかく理解の遅い子にとって、おいてきぼりを食う原因になっていると思いますが、どうでしょうか。

 上に述べられたような授業の形態も確かに重要だと思います。『格差をなくせば子どもの学力は伸びる -驚きのフィンランド教育-』で紹介された授業を見る限り、「自学自習」の時間をとって教員が個別に指導する場面や、子どもたちが教えあう場面が(フィンランドでは)多くそれが「理解の遅い子をおいてきぼりにしない」ことにつながっているように見えます

 ただ、授業形態以上に重要だと思われるのは基本的な発想です。toshiさんが注目しておられる《子どもの状態だって違うし、授業が計画通り行くわけないに決まっているじゃない》という(フィンランド教師の)言葉はまさに、貴ブログ記事「初任者が希望と夢をはぐくめるように」で述べておられたことと重なるのではないでしょうか。

>その子、その子の内面にある。その子にとって今必要としている学力こそが、その子にとっての『基礎的・基本的な内容』なのである。

 そのような発想に立てば、「計画通りいくわけない」だけでなく「計画通りいくことが少しもよいことではない」ということになるでしょう計画通り進めて「その子にとって今必要としている学力」を保障できなければ全く意味がないわけです

>おもしろいなあと思いました。日本では、それは、ストレスがたまる理由として語られることが多いのですよね。

 それがストレスになる理由は、まさにtoshi さんが述べておられるとおりだと思うのです。

〔“世の中の常識”が以下のようになっている〕
学習指導要領、すなわち、国が決めた学習内容こそが『基礎的・基本的な内容』であり、それは徹底して指導しなければならない。なにしろ、『確実な定着』なのだからね。
そういう教育観があるから、教え込みがあるし、競争原理の学力調査があるし、そして、その延長線上には受験がある

 だから、「予定通り進まない」ことが“あせり”や“ストレス”になりやすいのでしょう。 
 フィンランドの教育が逆に「(テストなど)競争による動機づけ」を注意深く抑制し「待つ授業」、「のんびりした授業」を展開しているのは「(一人ひとりの)その子にとって今必要としている学力」を保障するためだ、といってもいいのではないかと思います。そして、それが大きな成果を挙げていることは周知のとおりです。

 その背景としては、戦後の日本でもある時期まで進められた「教育の分権化」(すべての権限を教育現場に)という政策がフィンランドで貫かれていること、それが大きいと思われます。 

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Last updated  2019.03.30 13:42:27
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