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カテゴリ:フィンランドの教育
この間、ブログ記事「驚きのフィンランド教育」を連載してきましたが、成績上位層に対する指導の実態や結果について、これまで言及していなかったので補っておきます。
実際、Psycheさんから次のような質問がありました。 >「格差をなくす」というのが「底辺層の学力UP」というのは理解できました。 >しかし、上位層の学力が上がらなければタイトルにあるように >「格差をなくせば学力は伸びる」ということと矛盾しませんか。 この質問について(前回コメントではうっかりしていましたが)、まだ示していないデータも示しながらお答えします。 さて、OECDの国際学力テスト(PISA)のデータからまずわかるのは、「フィンランドは学力格差が小さい」ことと「平均が高い(伸びている)」ということです。しかし、それだけではありません。次のグラフをご覧ください。 『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』41頁 確かに、このグラフでまず目立つのは「フィンランドの下位25%の高得点」です。 しかし、上位25%の「高学力層」に限定した国際比較(数学的リテラシーの比較)においてもフィンランドはアメリカ、ドイツ、日本などを上回っています。 そもそも、「底辺層に手をかけた結果、その他の生徒が伸びない」という状況が生じていれば「学力世界一」にはならないでしょう。ここで、『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』を引用しておきましょう。 改めて確認すれば、フィンランドの姿勢は、底上げはするが、上は際限なく解放とすることである。フィンランドの人々の言葉で言えば、 「(・・・)できないひとの底上げはするけど、できる人は放っとくんです。だってできるんだから」ということだ。(41頁) 確かに、普通に考えるとこの方針は、高学力層の伸び悩みを招きそうですが、「自立して学べるように育てていけば教師や大人を越えて伸びていくようになる」(同)というのがフィンランドの教育関係者の主張です。そして、実際のデータを見るかぎり、そのような「やりかた」は一定成功しているように見えます。 「(フィンランドの)学校では、算数は基本的に教科書を用い、進度に応じてワークブックをコピーして渡していた。それもやり終えた子どもは、自分で答えあわせをして先に進んでいた」(161頁)、という光景が「象徴的な姿」のようです。 上位層を「放っとく」方針にもかかわらず、フィンランドにおいては「研究・開発」を担う人材も豊富で、国際競争力指数も日本より高いわけですから、「一種のミラクル」と言えるかもしれませんね。 〔追記〕 上記の「ミラクル」が成立した理由についてPsycheさんから質問がありました。その回答もご覧ください。 次回記事は(こんどこそ)、「授業研究」を中心に「学校づくり」を実践している事例について紹介したいと思います。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ よろしければ投票していただけますか (一日でワンクリックが有効です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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確かに、このグラフでまず目立つのは「フィンランドの下位25%の高得点」です。
しかし、上位25%の「高学力層」に限定した国際比較(数学的リテラシーの比較)においてもフィンランドはアメリカ、ドイツ、日本などを上回っています。・・・・・・・ * 下位も上位もよいということですね。 説得力がある資料ですね。 ありがとうございました。 感謝の応援をして戻ります。 (2009.03.11 22:16:15)
今、日本で・・特に、中学校で「できる子をほっておく」が難しいのは、「できる子なら、もっとトレーニングすれば、よりレベルの高い高校に合格できる可能性がでる」という期待が、特に保護者にはあるからではないかと思います。
このフィンランドの「できる子をほっておく」というのは、基礎の部分の理解と学習の方法を身につけた子に、さらに試験問題を解くためだけのトレーニングを施す意味はなく、どんどん自分で勉強していけばいい、という意味に受け取ることもできそうですよね。 私は高校受験の意義を全否定はしませんし、かつて・・自分が受験生だったころ・・、(当時の)「共通一次試験は悪くない」という投書をしたことがありますが(笑) (2009.03.11 22:43:56)
具体的に上位層が伸びている要因は何ですか。
「解放」などという曖昧な表現ではなく、具体的に教えていただけますか。 できる子供は放っておいても勝手に伸びていくという意味でしょうか。 (2009.03.12 02:58:04)
よたよたあひるさん
> このフィンランドの「できる子をほっておく」というのは、基礎の部分の理解と学習の方法を身につけた子に、さらに試験問題を解くためだけのトレーニングを施す意味はなく、どんどん自分で勉強していけばいい、という意味に受け取ることもできそうですよね。 おそらくそうでしょう。そして実際にできる子が自分で「どんどんやっている」のがすごいところですね。 > 私は高校受験の意義を全否定はしませんし、かつて・・自分が受験生だったころ・・、(当時の)「共通一次試験は悪くない」という投書をしたことがありますが(笑) 私自身は中学校の1~2年の頃、担任にあおられて必死で勉強しましたが、一番をとるための勉強に嫌気がさして(3年時に)一年近く「学習放棄」をしたことがあります。 親は、さぞかし心配だったことでしょう(笑)。 (2009.03.12 22:38:38)
Psycheさん
>できる子供は放っておいても勝手に伸びていくという意味でしょうか。 上記は一般論としては成り立ちがたいのですが、フィンランドで実際に伸びているのは「学習への動機づけ」に成功しているからでしょう。 実際の授業場面では、個別の演習等の時間中、担任や「支援職員」は遅れた子につきっきりです。その間、できる子は「することが終わって遊んでいる」場合もあるのですが、はるかに多くの子どもたちが思い思いに「どんどん学習している」様子がわかります。 対象への関心(自然科学・社会科学)や、具体的な生活・経験とのつながり(数学)、情報を取り出し解釈することの楽しさ(読解)等の形で「学習そのものへの動機づけ」が成功すれば、色々なことに関心を持ちながら自ら(生涯)学び続けることにつながりそうですね。( (2009.03.12 22:54:10)
今日9729さん
TBありがとうございました。抽象語による文づくり、楽しそうですね。語を具体的な文やコミュニケーションに活用する場面で「動機づけ」が行われるわけですね。 本日も応援させていただきました。 (2009.03.12 23:05:01) |