カテゴリ:船舶・navy
戦艦大和は、時代遅れの大鑑巨砲主義の象徴だが、艦コレブームもあり、いまだに多くの日本人に愛されている。 大鑑が必要だったのは大口径長距離射程の大砲を備えた戦艦で、敵の射程距離を超える範囲からアウトレンジ戦法を実現するためだった。 攻撃されることなく、敵を撃破するという虫のいい考えは、航空戦力の発達で打破された。 戦艦大和、武蔵の艦橋上部に水平に張り出した棒状のものが備えられているが、それが長射程砲撃の精度を支える基本となる測距儀。 創立100周年、苦闘の歴史を振り返る 執筆者: 安藤健二 2017年07月24日 HuffPost Japan 世界的なカメラメーカーのニコンは、7月25日に創業100年を迎える。 第二次大戦の敗戦で大ダメージを受けた軍需企業が、カメラメーカーに転換。 朝鮮戦争で復活したという日本経済の縮図のようなニコンの歴史を紐解いてみよう。 ■戦艦大和の「15メートル測距儀」とは? ニコンの始まりは、大正初期の1917年。 三菱財閥の4代目総帥、岩崎小彌太の個人出資で設立された「日本光学工業株式会社」だ。 光学製品のほとんどを輸入に頼っていたが、第一次世界大戦で輸入が途絶、光学機械の自給自足体制の確立が急務となっていた。 日本光学は日本軍との関係が深く、ライフルの照準器や望遠鏡など、軍事用の光学機器(光学兵器)を数多く生産した。 中でも著名なのが、世界最大の戦艦「大和」と「武蔵」に搭載された光学兵器「15メートル測距儀(そくきょぎ)」だ。 「大和」と「武蔵」は口径46センチという巨大な主砲を持っており、その射程は約40キロに達した。 砲弾は放物線を描いて飛んでいくために、砲撃対象との距離を正確に計る必要がある。 そのために、全長15メートルと巨大な測距儀が必要となったのだという。 二つの対物レンズで取り込んだ画像を重ね合わせて距離を測るのだが、当時の金額で40万円で今日の数億円に相当するという。 …(略)… 測距儀の基本的な構造はシンプル。 横長の筒の左右に対物レンズとその後ろに鏡、プリズムを配置し中央方向に画像を送り、接眼部で調整して見る。 左右で見える目標の角度が異なることを利用して相手までの距離を測る。 目標にピントが合うと、距離測定用の目盛りで距離が判明する。 左右の対物レンズ間の距離(基線長)が長いほど精度を高くしやすいことから、大和の測距儀は15mにもなった。 巨大な秘密兵器、大和、武蔵の主砲は45口径46cm。 主砲塔の測距儀は戦艦長門が波式6m、戦艦陸奥は新式の武式8mで竣工。 後に10mに改装されたが、大和、武蔵の測距儀の長大さが分かる。 巨大な測距儀は電探(レーダー)の発達により意味がなくなる。 軍事に携わっていた企業は、当時の日本国内としては最先端の技術を擁しており、レンズに関する技術を活かして敗戦後のニコンはプロ使用のレンズ、カメラで有名になった。
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最終更新日
2019年02月05日 22時17分44秒
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