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shchan_3

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2008.03.19
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カテゴリ:哲学・思想
総合学習とサルトル・竹内芳郎

 『国家と文明』において竹内芳郎氏は「科学の分野においても民主主義が大切であり、〈巨大科学〉とは異なる〈世界内科学〉が重要であること」を強調しました。

 これは教育、特に「総合学習」と響きあう点が多いと思いますので、以下に(常態で)まとめてみます。
                          
 前回の「学習指導要領」で文部省は「総合的な学習の時間」を設置し、次のように定めた。「総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、生徒の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や生徒の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする」と。

 これは民間教育研究団体や教職員組合がそれまで提唱してきた総合学習の発想を一部取り入れて設置されたものである。ここでは、先駆的に「総合」学習に取り組んできた橘女子高校(神奈川県)の取り組みを紹介したい。

 橘の「総合」教科は、次の三つの領域からなる。総合Aは「自然と人間、命の問題」をテーマに1、自然とのかかわり、2、食べること、作ること、3、ヒトから人間、4、共生、5、自分・自律、という流れで構成される。

 そして、総合Bでは「総合Aで学んだ知性を体のすみずみまで働かせる」ために「(湯飲みなどの)物作り、群読、民舞、合唱その他の自己表現」を行うことを内容とする。そして総合Cでは「他人との関係、社会的関係を獲得して自立」していくことをめざし、1、農作業、2、共同食事作り、3、ボランティア活動などに取り組む、という。

 そもそもなぜ橘女子高は、従来の教科の概念を越えた「総合」学習を取り入れたのか。その意図は次の通りである。従来の教育は「個別的・断片的知識」を次々と頭脳にたたきこみ、その量を競うという面を多分に持っていた。

 しかし「総合」は、「じっくり観察したりじっくり感じたり」する空間を設定することによって、「生きていく根っこ」のところに彼らを立たせ、「見つめ」「振り返り」「思考し」「気づき」「認識する」というプロセスを大切にしながら本当の学び(具体的経験のなかで生きる真の学び)を体験させようとするものである。

 以上のような橘女子高の実践は、いわゆる「総合学習」の一例といえるが、このような「学習」を生みだした背景や目的はサルトルや竹内芳郎の問題意識とつながってくる面が多々あるように思われる。以下、そのことについて述べてみたい。

 JPサルトル著『弁証法的理性批判』の究極的な目標は、人間に関するあらゆる個別的諸科学を包括する一つの全体的な人間学のために、確固とした哲学的土台を提出するところにあった。それではなぜサルトルは、そのようなことを目指したのだろうか。

 そもそも近代の個別的諸科学の特徴は、限定された部分領域の現象のみを取り上げ、一つの専門分野内でとことんデータの「分析」を行い「部分合理性」を追求するというものであった。ところがそのような「部分合理性」をひたすら追求した結果、人間生活の全体・地球全体として見た時様々な人間疎外や公害・環境破壊など極めて深刻な問題が生み出されていった。

 このような科学そのものが生み出した問題点を克服していくためにはどうするべきなのか。まず第一にサルトル・竹内芳郎が強調するのは、人間そのもの(具体的経験の全体)に立ち戻っていくことである。(注)

 先に挙げた橘女子高校の取り組み(A「自然と人間・命」、B「物作りと自己表現」、C「農作業、共同食事作り、ボランティア活動等の社会的体験」をテーマとした総合学習)は、まさに個別化・細分化された諸科学・教科の枠を越えて人間そのもの(具体的経験)へと立ち戻っていく実践だと言えるのではないだろうか。

(注)

「科学は人間の具体的経験の抽象化であるが、その抽象化の母体(具体的経験)を忘却した時、あらゆる科学が人間疎外に陥る」ことを竹内芳郎氏は繰り返し強調している。


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Last updated  2019.03.23 20:12:04
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