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カテゴリ:国家と文明(市場原理主義と社会主義)
『国家と文明』 内容2 の続きです。 2、生産力発展論批判
「物質的生産力の発展こそ歴史を前進させる原動力であり、生産力の発展水準に照応して生産関係・生産様式(経済のしくみ)が確定される」という仮説。
生産力はどうして増大するのかという根拠について確たる説明は何もなく、むしろ「産業革命」以来の近代的生産力の不断の増大の事実を不当にも「人類史全体」の法則にまで仕立て上げてしまったのではないか? 生産力の無限発展を証明なしに自明の真理として設定できるのか? という疑問。 例えば「古代ローマ」や「中世封建社会」において生産力の長い停滞期があったことが想像されるが、「停滞がなかった」と証明することは不可能である。 いや、そうは言っても新石器時代の農耕社会(「部族共同体社会」)と比較して「国家と文明」の成立した「古代専制国家」で生産力が発展していたことはピラミッド(巨大建造物)一つ見ても自明だ、という主張があるかもしれない。
A1 生産力水準のより低い「おくれた」諸民族への蔑視 (「ノルマ」達成に向けて駆り立てる旧ソ連の実態)
(立証不可能な)生産力の量的増大よりも、人類史における生産力の質の変化に注目し、生産力をどのような方向に発展させるべきかを探る
A 新石器革命〔打製石器(旧石器)にかわって磨製石器(新石器)を使用すると同時に、農耕・牧畜を開始させた技術革新〕 ここで人類は初めて人間的な意味での生産を開始した。だが、この時に人類は自然の生態学的循環(自然の循環)を撹乱してしまうようなことはせず、生活に必要なものだけを自然から獲得し、不要になったものは(己の身体をも含めて)自然に戻すようにしていた。 さて、竹内芳郎は、その後の大きな技術革新である「金属器革命」と「産業革命」をハードな文明、「新石器革命」をソフトな文明と呼び、「質的な違いがある」と述べるとともに「新石器革命」の性格・理念を現代に復権させ活かしていくことを主張します。 それは一体なぜでしょうか? 「30年以上前に書かれた本」と思えないような先見性について、次回まとめたいと思います。 『国家と文明』 内容4へ続く 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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