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2011.05.02
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 本日は4月24日に書かれたイールさんのブログ記事(えんぴつけずりは手回しで~間の必要性~)に関連して私なりに考えたことをまとめてみます。

  さて、そもそもえんぴつけずりは手回しでというブログ名と「歴史的な転換期の今もっとも大切なものを問いかけます」という副題がいったいどう結びつくのか?当初、私も不思議に思いました。

 その疑問にはじめて答えてくれたのが上記のブログ記事だったのです。 

 ブログ主のイールさんは、手回しのえんぴつけずりを使いながら、自分自身に間を与えることができたこと(体験)を紹介し、「歴史的な転換期の今もっとも大切なものは、間であることを、再認識させていただきました」と述べておられます。

 さて、それにしても、本ブログ記事の副題「~イールさんと湯浅誠とウロコ先生~」の方が不可解だ、と思われる方もいらっしゃると思いますが、鍵となる言葉(歴史的転換期、間の必要性)について私の関心とも絡めながら考えていくうちに、上記の副題が浮かんだのでした。

 まず、歴史的転換期についてですが、 「今回の大震災(未曾有の複合災害)という自然や人工物からの挑戦」に対して社会としても個人としてもどのようにレスポンス(応答、応戦)できるのか、ということが主要な関心だったことを、4月30日の記事で(イール夫さんは)述べていらっしゃいます。 〔( )は引用者〕

 このような「問題」に対する応答の試みの一つを拙ブログでも紹介いたしました(東日本大震災から2ヶ月 いま、私たちにできること)。このシンポジウムの主催者は、次のように述べています。

  「すでに着手され、これから長い時間をかけて築かれていく復興過程の中で、私たちが目指すべきものは何だろうか。私にとってそれは貧困や自殺に追い込まれない社会であり、一人ひとりの力が発揮される条件を整える包摂型の社会(強い社会『反貧困』より)である。今まで求めてきたものと別のものではない。」 〔湯浅誠 : ( )は引用者〕

 「非正規労働者の無権利状態、失業者が生活保護を受けられない状況、『構造改革』によって農業・中小企業が破壊されている状況・・・こうしたことは、3・11以前から連続していて、それが3・11以後に、むしろ、さらに拡大させられているのではないか?

 いま、新しい運動を考えるときには、3・11以前から連続する運動課題と3・11以後の状況とをつなげることが必要なのではないだろうか?」 (河添 誠)

 まさに未曾有の複合災害に対する現実的な対応を即座に進めていくと同時に「一人ひとりの力が発揮される条件を整える包摂型の社会」の建設を急ぐこと、そのような湯浅・川添の問題意識に私は強い共感を覚えます。

 そして、湯浅らの言う「包摂型の社会」「強い社会」を創っていくためにも市民社会における議論(合意形成)のルールが大切になってくる わけですが、イールさんの強調された"間"と湯浅の強調する"溜め"には大切な共通点があるように思われるのです

〔ここで、以前の記事の一部を再掲します〕

 「『どんなに忙しくて、切迫していても背中のあたりがゆったりしているのがいい』といわれて、深く納得したことがあった。」
 「活動しているとひどい事例にたくさん出会う。ひどいと感じて、役所や社会に対して怒りがわいてくることがある。その怒りにまかせて、活動し、発言すると、どうしても言動に人格がどーんと乗っかってしまう。」(『どんとこい、貧困!』264頁)

 「でも、同じ状況下でも、どこかでそれが自分の全部じゃないという留保がかかっている人がいる。『私もいいかげんですけどね。へへ』っていうところが残ってる。それを比喩でいうと『背中のあたりがゆったりしている』ということになるんだろうと思う。」

 「それは真剣じゃない、ということとは違う。真剣だし、大まじめだ。でも『こうだろう』と意見を言いながら、でもどこかで『そうじゃない意見もあるでしょうね』ともう一歩引いた視点をもっている。我を忘れてはいない。反対意見を受け入れる余地(溜め)がある。」

 このような余地(溜め)こそが、討議民主主義を成り立たせる上で極めて重要であると湯浅は考えて、次のように述べます。  

 「その"溜め"が『あなたはそう言うけれど、こういう面もあるんじゃないですか』という別の意見を引き出していく。議論が成り立つ。黙らせない。そして、その人の別の意見を引き出すことが説得のチャンス、問題を共有できるチャンスとなる。」(265頁)
(・・・)

 「自分の方が詳しいテーマで、人を黙らせることはある意味簡単だ。(・・・)黙らせること。それが自己責任論の目的だった。私たちの目的は逆だ。しゃべってもらうこと。ものを言える社会にしていくこと。」(266~267頁)

 そして、湯浅は市民社会のルールについて次のようにまとめ問題提起をしますが、これこそウロコ先生が強く共感されたものだったのです(「市民社会のルール」という言葉、いつも忘れないようにしたいと思います、と・・・)

1、自分の意見に自分の人格を埋没させない。真剣に意見を主張しながら、でもどこかで「反論をどうぞ」という余地("溜め")を残しておく。

2、意見を交わす相手の"溜め"を増やす。一方的に説き伏せても、相手の"溜め"は増えない。"溜め"が増えれば関心が広がる。それが、自分が大切にしているテーマに対する討論につながる。

 イールさんの強調された「間の必要性」は、​​ 湯浅のいう「溜め」​​ (こちらは少し広い概念です)と深くかかわる問題提起だと私は感じたのです。

5月4日追記 : (単独の記事としては)「具体的にどうすればいいと言っているのかわからない」という指摘もいただきました。よろしければコメント欄のdolceさんへの応答(2つ目)湯浅誠の講演をご参照いただければ、と思います。

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さようなら   kurazoh さん
しょうさんご推奨のブログの管理人がどういう人か分かりましたか。
現実の世界の方々にご迷惑がかからぬよう,ブログ村のブログは閉じました。
長いお付き合いでしたね。これからもしょうさんのスタンスは変えず,どうぞご活躍下さい。
ありがとうございました。 (2011.05.02 21:29:28)

特定の個人の情報を検索した結果を   kurazoh さん
アップした記事は,21時46分現在は削除されたようですが,関係者にご迷惑をおかけした責任は私にもあるようですので,皆さんとネット上でかかわることは今後一切やめようと思います。 (2011.05.02 21:49:08)

Re:さようなら(05/02)   shchan_3 さん
kurazohさん

>現実の世界の方々にご迷惑がかからぬよう,ブログ村のブログは閉じました。
>長いお付き合いでしたね。これからもしょうさんのスタンスは変えず,どうぞご活躍下さい。
>ありがとうございました。

 最近のブログコミュニケーションに関しては苦言を述べさせていただくことが多かったのですが、本日ヘーゲルの言葉(以下)を読み返しながら、あなたのことを思い出していました。

 「精神は否定的なものに目をそむけ、肯定のかたまりになることで力を発揮するのではない。・・・」 
 「精神が力を発揮するのは、まさしく否定的なものを直視し、そのもとにとどまるからなのだ。」

 この姿勢がヘーゲルの弁証法にダイナミズムを与えていたことは疑いありません。そして、教職員も(われわれ自身の問題として)否定的なものから目をそらさない、ということは重要だと思います。

 ただ、どのような実践事例(失敗or成功)を挙げるにせよ、大切なのは「乗り越えていく意志(ともに成長していく意志)」だと考えるのです。

 そのような強い意志を共有していくような実践を広げていきましょう。いつか、現実の世界でお会いできるかもしれませんね。

 ウロコ先生も、「ブログ上の論争相手と実際に出会って話をして、相互に理解しあった(意気投合した)」という経験をお持ちです。

 こちらこそ、長い間ありがとうございました。
 お元気でご活躍ください。 (2011.05.02 23:59:16)

Re:間の必要性 ~イールさんと湯浅誠とウロコ先生~(05/02)   けんとまん1007 さん
いつも、ありがとうございます。

『間』『溜め』大切な言葉だと思います。
私の場合、あくまで感覚的なものなで、しょうさんのように深く思いはいたってないと思っています。

スピードとかデイベートとか、そんなことがもてはやされて、気づくと、とにかく相手よりも一歩でも早く、相手をぐうの音も出ないようにすることこそ、価値があるのだという風潮になってしまったのかなと思います。

職場を見ていて感じることでもあります。

観点がずれているような気もしますが、そんなことを思いました。
(2011.05.03 04:36:59)

最後に一言だけ。   kurazoh さん
本名でコメントを入れたり,自分の映像を公開したりできる人は,うらやましかったです。 (2011.05.03 09:39:22)

結局どう行動するかが問題   dolce さん
>なるべく実践的に発信したいと思います。

よろしくお願いします。

(2011.05.03 16:52:09)

Re[1]:間の必要性 ~イールさんと湯浅誠とウロコ先生~(05/02)   shchan_3 さん
けんとまん1007さん
>いつも、ありがとうございます。

>『間』『溜め』大切な言葉だと思います。
>私の場合、あくまで感覚的なものなで、しょうさんのように深く思いはいたってないと思っています。

 うん「間をもとう」、「自分と相手の溜めをふやそう」、「個人と社会の溜めはどうすれば増やせるかな」、こういった心がけや問いかけが大切ではないかと思います。

 私もかなり「感覚的に」とらえています。「間」と「溜め」に関連がありそうだ、というのも多分に感覚的なものです。

>スピードとかデイベートとか、そんなことがもてはやされて、気づくと、とにかく相手よりも一歩でも早く、相手をぐうの音も出ないようにすることこそ、価値があるのだという風潮になってしまったのかなと思います。

 同感です。ウロコ先生もそのようにおっしゃっていました。 (2011.05.03 20:30:05)

Re:最後に一言だけ。(05/02)   shchan_3 さん
kurazohさん

>本名でコメントを入れたり,自分の映像を公開したりできる人は,うらやましかったです。

 それぞれいろいろな事情がありますから、同じことができない場合は多いでしょうね。  (2011.05.03 20:31:30)

Re:結局どう行動するかが問題(05/02)   shchan_3 さん
dolceさん
>>なるべく実践的に発信したいと思います。

>よろしくお願いします。

 端的なご指摘、ありがとうございます。
 左のカテゴリーを並べ替えて、実践に関わる記事(教育実践、保護者・地域との連携等)を上のほうに集めておきましたので、よろしければ。

 困難な状況下での学校づくりは「学校の力を高める(U高校の実践)」が圧巻で、私自身も多くの力をもらいました。
 社会や子どもの貧困の問題については「反貧困ネットワーク」や「地域のユニオン」を側面的に支援することしかできていませんが、「可能な形で」と考えています。

 また、私の記事には「行動以前」の、合意形成に関する考え方・社会の見方や、他国の実践、先人の思想から得られた示唆に関わるものが正直多いのですが、決して無意味ではないと考えています。 (2011.05.03 20:40:06)

Re:結局どう行動するかが問題(05/02)   shchan_3 さん
dolceさん

 「そもそも、どうすればいいと言っているのかわからない」ということでしょうか。

 主権者である私たちが「社会を変えていく」ために大切なことは、「どうすべきかの社会的な合意を形成して意思表示すること」だと思います。

 貧困・「社会的排除」の克服やセーフティーネットの構築にかなり成功していると思われる北欧社会を学びながら、私が最も目を見張るのは「社会的な合意を形成していく力」なのです。

(日本で精力的な活動をしている“反貧困ネットワーク”も、行動しつつ「社会の進むべき方向についての意思表示・アピール」をしているわけで、行政機関が本来なすべき役割の代行を意図しているわけではありません。)

 そして、「合意形成⇒意思表示」をしていくためには、現実を踏まえて民主的に議論していく力が必要でしょう。本記事の後半に書いたことは「そのための重要な留意点」ではないか、と考えるのです。

 もしよろしければ、湯浅誠著『どんとこい、貧困!』の書評をお読みいただければ、と思います。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/dontokoi-hinkon.html (2011.05.04 07:24:56)

Re:間の必要性 ~イールさんと湯浅誠とウロコ先生~(05/02)   今日9729 さん
1、自分の意見に自分の人格を埋没させない。真剣に意見を主張しながら、でもどこかで「反論をどうぞ」という余地("溜め")を残しておく。・・・・・・・


 こうして、生きられたら自分も他人のラクになりますね。

これが、人間の生き方の基本でしょうね。


応援して戻ります。

(2011.05.06 13:27:56)

Re[1]:間の必要性 ~イールさんと湯浅誠とウロコ先生~(05/02)   shchan_3 さん
今日9729さん
>1、自分の意見に自分の人格を埋没させない。真剣に意見を主張しながら、でもどこかで「反論をどうぞ」という余地("溜め")を残しておく。・・・・・・・

> こうして、生きられたら自分も他人のラクになりますね。

>これが、人間の生き方の基本でしょうね。

 特に自分が真剣に訴えたいことがあればあるほど、この姿勢は大切だと思います。ありがとうございました。 (2011.05.08 17:57:57)


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