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カテゴリ:東と西が出会う国 トルコ情報
本日、不法転載に関する記事をアップしたのですが、意図的に保留にいたしました。とはいえ削除したわけではなく、いつかのために保存しております。知る人ぞ知る事実ですが、5年以上も前から同じ人物による執拗な違法転載 (盗用) の被害に遭い続けております。これまでの盗用は全て証拠として残していますが、今回も証拠として残すためにちょっとした細工をいたしました。
さて、7月後半から8月にかけてトルコ南部の Fethiye (フェティエ) に視察旅行に行っておりました。フェティエは日本の旅行会社のツアーにはあまり含まれない、知られざるリゾート地。トルコで有名な海沿いのリゾート地はアンタルヤですが、わたし的にはフェティエを強力にお勧めいたします。まずフェティエの海の美しさ。といってもフェティエから少し離れた Ölüdeniz (オルデニズ) に出かけていただく必要があります。この海は地中海屈指の美しさを誇ります。https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201908020000/ フェティエで海の他に有名なのがリキヤ時代のあるいはリキヤ人による岩窟墓。どこかでこのお墓の写真を見られた方もおられるかもしれません。高台にある山の岩肌に掘られたお墓で、「アミンタスの墓」と呼ばれています。 ここに到達するには、下の写真にあるような階段をひーこらひーこら登る必要があります。 さて、岩に掘られたこうしたお墓は1つだけではありません。ちょっと離れたところから見てみますと… 岩にたくさん掘りぬかれていることが分かるかと思います。しかもこうした遺跡が住宅地にたたずんでいるのも興味深いです。 というわけで、フェティエにあるのは海だけではありません! さてこの岩窟墓を見ていて感じたのが…何かヨルダンにあるペトラのお墓群に似ているではないか? ということ。↓こちらペトラの遺跡群 で、インターネットで探してみますと、やはりそういう説もあるみたいです。つまり現在のトルコ南部全域に王国を持っていたリキヤ人と現在のヨルダン周辺に王国を構えていたナバテア人の間に交流があり、リキア式の岩窟墓がナバタイ人に受け継がれたという説です。 緑の部分がリキア王国があった場所、赤で囲んだ部分がナバタイ人が支配していた場所です。地中海をはさんでいますが、この2つの王国の間は船で簡単に行き来できたでしょう。リキヤ式岩窟墓は西暦前4世紀のものと言われています。ナバテア王国が栄えてペトラが建国(建設?)されたのは西暦前2世紀ごろといわれています。商業的・文化的交流があったことは十分考えられますね。とても興味深いです。 というわけで…、トルコが誇るトルコ南部のリゾート地フェティエ。トルコに来られたらぜひ足を運んでいただきたい場所の1つです。 トルコに関心のある方もそうでない方も一日一回応援よろしく! です↓ 下の「ブログ村」のURLをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダン・イラン・トルコ・エジプト・イスラエルツアーなど、中近東のツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Levant」(旧名 Picturesque Jordan) は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありませんし、レストランが所有するツアー関係のサイトも当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。 資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.24 06:40:20
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