定林寺跡(チョンニンサジ)を出て、近くにある国立扶余博物館へ。
入館料は1000W(約135円)。
百済昌王銘石造舍利龕(しゃりがん)は1995年に扶余の東側にある陵山里寺址(ヌンサリサジ)で発見されたそうや。
右側に「百済昌王十三季太歳在」、左側に「丁亥妹兄公主供養舎利」という銘文が刻まれてる。
右側の写真で、「百済昌王」っていう字がわかるやろうか。
「百済昌王(威徳王)13年(567年)丁亥に、聖王の娘で昌王の妹が舍利供養した?」っていう意味らしい。
この厨子のお蔭で、1993年に同じ場所から発掘された香炉も百済時代のものとわかったんやて。
百済金銅大香炉は、扶余市のマスコットマークにもなってる。大きさは60cmちょっと。
頭をもたげた龍が、口で香炉を支えてる。
香炉は胴と蓋に別れてて、胴には24枚の蓮の花びら。その花びらには不死鳥、魚などが刻まれてる。
蓋の部分は蓬莱山の形で74の峰。山羊、虎、 鳥、 猿、 猪、象、馬などの動物や鳳凰、龍などが刻まれてて、上のほうには笛、簫(しょう)、 琵琶、琴、 鼓を演奏している楽士もいはる。小さな穴がいくつか開けられてて、そこから焚いたお香が漂うようになってる。
蓋のてっぺんには、鳳凰が首と嘴の間に如意珠を抱いて翼をひろげてる。
こんな昔から、アロマテラピーがあってんなあ。
それに仏教だけやなく、神仙思想もまじってる。
7世紀初めに造られた金銅観世音菩薩立像は、法隆寺の百済観音にちょっと似てはるかな。
以前はここにあった金銅弥勒菩薩半跏思惟像は広隆寺や中宮寺の半跏像のもとになったもんやけど、今はソウルの国立中央博物館にいはる。
お庭にも、石像がいろいろあった。時代は百済より新しくて、統一新羅や高麗の時代のもんみたいや。
石仏、亀趺(きふ)も、ひょうきんでかわいらしい顔付やった。
この博物館も関心がある人にとっては、興味が尽きんとこやろうなあ。
路地もなつかしい雰囲気がしてた。
百済と扶余について詳しいサイトがあった。
関西外国語大学で催された歴史講演会「百済王氏のルーツを探る-扶餘編」
続きます。
今日のラッキーくじは、両方ハズレやった。
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